宿命報道#34 ■永野洋子の顔が一変した/岡本貿易買収の担当は永野だった/「ニュースにはしないでほしい」と永野
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
吉嵜と大神は築地署の鏑木警部補と話した後、丸菱商事へ向かった。コンプライアンス室長の永野洋子を通じて社長への面会を求めたが、「忙しい」との理由で断られた。投資に関する取材も申し入れたが、ほかの役員も株主総会を前に多忙で対応できないという。
応接室で、永野と吉嵜、大神の3人が向かい合った。
「警察による社の幹部に対する事情聴取が続いていて、大変忙しくしています。報道関係者に余計なことは言わないようにと釘を刺されています。今は報道各社が手を変え品を変えいろいろと報じてくるので、抜かれた方の記者が、その記事やニュースの内容について『正しいのか、間違っているのかだけでも教えてくれ』と言ってくる。ところがその確認が難しい。役員でも知らないことが記事になっているのですから。広報担当としてはてんてこまいです。今日も社長や役員が取材に応じられなくてごめんなさい」
永野は申し訳なさそうに言った。他の報道機関に対しても同様の対応をしているという。
ロングヘアを頭の後ろでまとめ、薄青色のバレッタで留めている。紺のスーツに身を固め、まさにキャリアウーマンを地でゆく颯爽とした容姿だ。心地いい香水の香りがほのかに漂う。
いつも人を包み込むような笑顔を絶やさない。年齢は30代後半か。社内での評判は「頭が切れすぎて怖い」というものだった。
吉嵜は「丸菱商事のコメントをいただく必要があります。例えば、M&Aや投資に関連して、反社会的勢力の存在が明らかになった場合です」と言った。永野に対して、「反社」という言葉を初めて出した。
永野は困った顔をして答えた。
「カーニバル社のことですね。複数の社から取材がありました。背後に暴力団がついているという話を私も聞きました。ネットでも流れ始めているようです」
カーニバル社を切り離し、デューダ社の買収を最終的にまとめ上げたのは永野だ。永野はすべてを承知しているのだ。
「確かに共和会の影がちらついていますね」。そう言った後、吉嵜はしばらく沈黙した。今、この時点で永野に対して、羽谷組の名前を出すかどうか迷っていた。永野の名は幸田の備忘録にも登場しており、永野が知っている可能性は高い。
永野は、吉嵜が聞こうか聞くまいか躊躇しているのを察して、「気になることがあれば言ってもらえれば、担当役員に話して取材の便宜をはかります。現時点で確約できないのは申し訳ありませんが……」と言った。
吉嵜は大神を見た。大神が「了解した」という感じでうなずいたのを確認して、口を開いた。
「実は丸菱商事が手がけているM&Aですが、岡本貿易との契約が大詰めを迎えていますね」
永野は意表を突かれた感じだった。返事までに少しの間があいた。
「その件でしたらインサイダーになりますので、今はお話しできません。一般論になりますが、M&A案件は売買契約を結び、東京証券取引所に報告し、プレスリリースした後であればお話しすることはできます」
吉嵜は一気に核心を突いた。
「岡本貿易は、認定広域暴力団である山手組系羽谷組と関係のある、息がかかった企業であるという情報を入手しました。丸菱商事として買収するには問題のある企業なのではないですか?」
永野の表情が一変した。柔和だった目が一瞬にして獲物を捕らえるかのような鋭い視線となり、吉嵜をにらみつけた。どんな時でも沈着冷静な永野が明らかに動揺していた。
沈黙の時間が流れた。
「永野さんも、今吉嵜が言った羽谷組の件をすでにご存じなのですね」と大神が割って入った。
「次から次へと難題が押し寄せてきて、どうなってしまうのか。反社勢力との結びつきというのは本当なのでしょうか。信じられません。通常、契約にあたっては社内法務のチェックも受け、外部機関の調査も実施していますのに」。永野は静かに言った。
「チェックを受けたと言いますが、羽谷組のことを見逃すなんて信じられません。岡本貿易を推薦してきたのはどこで、どういう審査をして、誰が最高責任者として決めたのですか。永野さんはどのように関与したのですか?」と吉嵜が詰めて聞いた。
丸菱商事では、投資戦略本部が投資全般とM&Aを担当している。その下にビジネス企画推進部があり、精鋭のメンバー20人が調査にあたっている。永野もその1人だ。
M&Aの専門家を他社から引き抜き、業務にあたらせる。中途採用のプロフェッショナルが常時半分を占める特殊部隊だ。投資先は、仲介会社からの情報だったり会員制のネット情報だったり、それぞれが独自のネットワークで探してくる。「社長案件」としてトップダウンで候補企業名がおりてくることもある。
永野が答えた。
「交渉が大詰めを迎えている時期であり、具体的なことは企業秘密になりますので現状では話せません。担当役員にこうした取材があると報告しても同じ回答になります。ご理解ください」
「『取材の便宜をはかる』と永野さんが言われたので、羽谷組の名前を出したのです。こちらも手の内を明かしたのだから、きちんと対応していただきたい」と吉嵜が言ったが、永野は「契約締結前ではどうしようもありません」と繰り返した。
「永野さんが交渉に関わっているのかどうかだけでも教えていただけませんか」と大神が尋ねると、永野が答えた。
「私が岡本貿易との交渉を担当しています。だからこそ、余計に内容について話すことはできません。私が話した瞬間にインサイダー取引で摘発されます。ところで、このことはニュースにするのですか?」と聞いてきた。
「現状では確たる証拠がないので、すぐにはニュースにできません。だが、丸菱商事という大企業が暴力団と関係をもつということは大変問題のあることだと認識しています。なんでそんなことになったのか。裏がとれたら当然、ニュースにします」と吉嵜。
「そんな視点でニュースになれば、致命的なダメージを受けます。岡本貿易は食料品を海外から輸入している実績のある企業です。羽谷組と関係があると言われましたが、本当なのでしょうか。組の関係者が岡本貿易の役員に入り込んでいるとでもいうのですか。会社からそうした組織に資金提供があったのですか。なにをもって関係があるというのでしょうか。あいまいな状態でニュースにするのだけは控えていただきたいものです。あまりにも影響が大き過ぎます」
永野の立場では、そう言うのが精一杯なのだろう。険しい表情のまま、吉嵜と大神を見据えた。
帰り道、吉嵜は「どう思った?」と大神に聞いた。
「永野さんは羽谷組のことを知っていますね。こちらが組の名前を出したとき、とても驚き、厳しい表情に変わりました」と大神が言った。
「一瞬で真顔になったな。怖いぐらいだった。M&Aを担当するビジネス企画推進部の主幹も兼務しているし、知っていてもおかしくないがまさか、交渉を担当していたとは。驚いたな」
柳本専務にしても永野室長にしても、丸菱商事側は警察の調べや報道機関の取材に対して、共和会の話をあえて出すことで、羽谷組の影を消そうとしているように感じた。
それだけ表に出てきては困る存在であり、脅威なのだろう。
羽谷組に直接取材を敢行するしかない。吉嵜は心に決めていた。
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