宿命報道#29 ■「ショートセラー」の狙いは?/日本での窓口は、僧侶だった/マディ社社長はシチリア島の出身
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
吉嵜との打ち合わせを終えた後、大神は報道局の自分の席に戻り、再度、「空売り」について書かれた報告書を読み返した。
「米国の空売りファンド『マディ・リサーチ社』が半年前から、丸菱商事に狙いを定めて調査を進めている」としか書かれていない。
株式市場での「空売り」は、信用取引のひとつだ。通常の現物株取引とは異なり、将来に株価が下落することを予想し、現在手元に持っていない株を、証券会社を通じて借りてきてから先に売る。期日までに買い戻して返却することで利益を得る手法だ。株価が下がれば下がるほど利益が大きくなる一方で、逆に株価が上昇すると、損失が膨らむというリスクがある。
世界には、特定の上場企業を徹底的に調査し、不正や粉飾を告発することで株価下落を狙う空売りファンドが存在する。
米国の「マディ・リサーチ社」はその一つで、中国や欧米を中心に活動する著名なショートセラー(空売り屋)だ。市場でまだ表面化していない問題を抱える上場企業を見つけ出すと、徹底的に現場調査をして、情報を集め分析する。過去、数十社について粉飾決算などの疑惑を暴露した。司法当局が捜査に乗り出した事例も多く、上場廃止に追い込まれた企業もある。
代表のカール・フロックは、イタリア・シチリア島出身で経歴は謎に包まれている。
日本の経済紙のインタビューに応じたこともある。
「レポートの内容はすべてわれわれの徹底した調査によるもので、相当な時間と労力をかけている。インサイダー情報とは無縁だ」と言いながら、「日本は諸外国に比べて株式市場が閉鎖的だ。日本の規制当局は仲間内をかばい、株主を軽視する風潮が根強い。すでに相当問題のある企業の取引実態を確認しているが、当局が動き出す気配がない」と主張した。
マディ社は5年前に日本市場に参入して以後、いくつもの企業を標的にして詳細なレポートを公開してきた。東証プライム上場のITベンチャー企業について「収益力が過大評価されている」「100以上の開発プロジェクトの大半は休止状態、あるいは消滅したプログラムであり、実現する可能性のあるものはほとんどない」「社長、役員が巨額の株を売却している」と指摘した。
企業はすぐさま反論したが、株価は大幅に下落した。狙われた企業側は防戦するものの、ダメージは大きく、信用を取り戻すのは容易ではない。
マディ社は半年前から複数の調査会社を使って、丸菱商事の調査を開始していた。調査報告を発表する前に、全日本テレビによる工場誘致疑惑のスクープ、幸田投資戦略本部長の謎の死、柳本専務の行方不明という事案が次々に発覚。マディ社は「丸菱をターゲットにしたのは正しかった」と俄然、調査の勢いを増してきている。
順調に業績をあげてきた大企業でも、ちょっとしたつまずきから今まで表に出なかった問題が一気に表面化し、経営悪化につながっていくケースは枚挙にいとまがない。数ある企業のうち、マディ社のターゲットになってしまったことは不運としかいいようがない。ただ、非合法な手段でも使ってこないかぎり、公表された内容に対して、すばやく反論を展開し、株価への影響を最小限に抑えるしか対応策はない。
大神には、丸菱商事の断末魔が聞こえてくるようだった。それにしてもなぜ、丸菱商事にターゲットをしぼったのか。直接取材するしかない。
ニューヨーク本部事務所に国際電話した。大神は海外留学の経験があり、達者な英語で取材する気持ちでかけた。すると、東京の責任者が対応するという。なんと、僧侶の資格を持つ人物だった。
大神は、経済部の古畑に声をかけて、2人で四谷の事務所を訪ねた。難解な経済用語が飛び出してくることが予想され、経済に詳しい記者に立ち会ってもらった方が話はスムーズに進むと考えた。
僧侶は楠木重信と名乗った。地味だが仕立てのいい着物を着ていた。事務所にはほかに2人の女性がいるだけで、パソコンに向かい黙々とキーを叩いていた。
「丸菱商事の取材をしていたところ、マディ社が調査を開始しているという情報を得まして伺いました」。大神が趣旨を説明した。
「わかっています。全日本テレビは熱心に報道していますよね。幸田さんは殺されたのですか。まだ、犯人が逮捕されたとかいう話は聞きませんが」
「警視庁は現時点で自殺か他殺か断定していません。他殺の線が濃いのではないかと感じていますが、犯人がだれなのか皆目わかりません」
「物騒ですね、われわれも気を付けないといけないな」。そう言いながら、楠木はなんら怯えている様子を見せず、笑みさえも浮かべた。証券会社勤務を経て、しばらく僧侶としての修業を積んだ。2年前に、マディ社の日本代表になった。浦和市の浄土真宗の寺は兄が住職を引き継ぎ、楠木も時々手伝っているという。
「ところでどのような取材ですか」と楠木が聞いてきた。
「丸菱商事のどこが問題ととらえているのか。マディ社がつかんでいることを教えていただきたいのですが」と今度は古畑がずばりと訊ねた。
「丸菱商事の経営はどう考えてもおかしい。海外投資の失敗から始まり、最近力を入れているM&Aもうまくいったためしがない。それでも取締役会で議論するなど正規の手続きを踏んでいるのであればいいが、どうも社長とその周辺だけで隠密に進めているケースが多く見られる。株主への説明もなされていない。今の株価は実体よりも相当高い状態です。具体的な話は今はできません。発表時の鮮度、インパクトが落ちますのでね」
「ただ、投資にはリスクはつきもの。失敗だったからといって経営者の責任がすぐ問われるかというとそうはならない。そもそもマディ社が丸菱商事に目をつけたきっかけはなんだったのでしょうか」と大神が尋ねた。
「せっかく来てくれたので、きっかけだけ少しお話ししましょう。発表まではオフレコ扱いでお願いしますよ。米国でのずさんすぎる投資が発端です。いろいろと投資を展開していますが、そのうちの一つのファンドに、米国でも評判の悪い人物が関わっていました。相当な悪党です。どうしてそんな男のいいなりになっているのかを調査していくうちに、『なんだ、これは』という案件が次々に出てきた。どれもこれもオープンになっていないものばかりです」
楠木は一気にまくしたてた。
「そこまでひどいことになっているのですか。公表の仕方はどうされるのですか」と古畑が聞いた。
「マディ社の調査内容の全容を聞いたら、驚くなんてものではないですよ。公表は記者発表にしようと考えています。代表のカールも来日できるように日程調整しています。ただ、我々にも心配の種があります。暴力団です。先日、暴力団組員を名乗った男ら数人が、事務所に直接やってきて『今すぐ調査をやめろ』と大声をあげて騒ぎました。会社の与党的な立場で動いているのかどうかはまだわからない。まあ、嫌がらせには慣れていますけど」
「危険ですね。どこの暴力団か名乗りましたか。どのように対応していくのですか」と大神が聞いた。
「暴力団の名前ははっきりと聞き取れなかった。というか、組から雇われた半グレ集団のようでした。どう対応していったらいいでしょうかね。米国のギャングボスでも呼びますか。うちの社長はシチリア島出身で筋金入り。機関銃で対抗することにしましょうか」とニヤッとした後、続けた。
「我々は何も悪いことはしていません。すべて合法的に進めていることです。なにかあれば日本の警察に相談しますよ。すぐ来てくれるから頼もしい限りです」
大神が想定していた以上に、フランクなインタビューになった。「オフレコ」と言いながら、かなり詳しい話を聞くことができた。自分たちで調査して集めた内容なので、誰に遠慮することもなく話せるのだろう。
発表後は大々的にメディアで取り上げてほしいという思惑もあるのだろう。株価を大いに下げていく必要があるが、使えるものはなんでも使う。
それこそが、空売り専門組織の真骨頂なのだろう。
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