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宿命報道#23 ■「夫は自殺ではありません」。幸田の妻は言った/幸田の日記を受け取る

「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。

(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)

 大神由希は6月19日、金曜日の夕方、JR三鷹駅に降り立った。


 午前中、丸菱商事・柳本専務の消息に関する記事をまとめ、昼のニュースで流した。

 朝夕デジタル新聞が朝刊で「マネーカードで現金引き出す 柳本専務? 名古屋市内で」という特ダネを社会面トップで打ってきた。その確認作業は警視庁担当が行い、大神が銀行に取材した内容と合わせた。その際、柳本が失踪した6月16日の夕方にも、東京都内で現金が引き出されていたことを新たに聞き出すことができて、記事に新鮮さを打ち出すことができた。


 キャッシュカードを他人が盗み、暗証番号を割り出して使っているのでなければ、短期間に2度の現金の引き出し記録は、柳本が確実に生きている重要な証拠となる。


 大神は、柳本には会って直接聞きたいことがいっぱいあった。

 ホテルのバーで話した時、柳本は疲れ切っていたし、明らかに様子がおかしかった。幸田本部長が亡くなったのは翌日の夜だった。

 幸田の死の真相が解明されるためには、柳本の証言が重要であるということは誰でもわかる。それなのに、十分な証言もしないままに行方をくらましてしまった。なぜ失踪したのか。柳本ならば、幸田が吉嵜に電話した理由もわかっているのではないか。それと、丸菱商事で今一体何が起こっているのか。柳本はどこまで関わってきたのか。

 いつの日か必ず会うことができると念じながら、大神は記事を出稿した。

 ニュースが流れるのをスタジオで確認してから、再度、原稿を夕方ニュース用に書き直してデスクに渡し社を出た。有楽町駅から三鷹へ向かう。三鷹駅北口からバスに乗り15分、一戸建てが立ち並ぶ閑静な住宅街で降りた。昨夜から降り続く雨はやむ気配がない。色とりどりの傘を差した学校帰りの中学生が談笑しながら歩いていた。

 静かな風景が続く。目当ての家は瀟洒なつくりの2階建てだった。

 表札には、「幸田」と書かれていた。


 インターホンを鳴らした。「はい」と声がし、幸田の妻、晴美が玄関のドアを開けた。前もって電話で「伺いたい」と連絡していたので、警戒する様子はなかった。晴美はこざっぱりとした雰囲気で、病院で見たひきつったような厳しい表情ではなく、親しみのこもった表情で迎え入れてくれた。少しやせたのか、顎のあたりが少しとがったような印象を受けた。応接間に案内された。


 「このたびはご愁傷様でございます」。かしこまった挨拶しかできなかった。

 「幸田さんには4月6日に丸菱開発の件で取材させていただきました」

 「知っていますよ。幸田が言っていました。『テレビ局の取材を受けた』って、興奮気味に話していました」


 「あの後も電話での問い合わせに対して誠実に対応していただきました。でもあの時、幸田さんはとても汗をかかれていたのが印象に残っています」

 「もともと、汗かきですから」と晴美は笑った。「それと、取材を受けるなんて初めてだったので、緊張もあったのでしょう。その様子がテレビニュースで流れたのを長男が見て、『父さん、なんか悪いことしたの?』と聞くんです。困りました。だから、『お父さんは悪いことなんかしていない。会社が悪いことしたかもしれないけど』と言ったのです」

 居間に立派な仏壇が置かれ、幸田のすました写真が飾られている。大神は線香をあげ、応接間に戻ったが言葉が出てこない。少しの間、沈黙が続いた。

 

 晴美の方から「なにか聞きに来たのではないの?」と口火を切った。

 「そうですね。今日は、お仏壇に線香をあげたかっただけですので。特に奥様にお話を聞きたいとか、重要な取材とかがあるわけではありません」と話した。


 「あなたを見ていると、記者じゃないみたいね。先日来た別のテレビ局の人は大勢でやってきて、大きなカメラで勝手に仏壇は撮影するわ、子どもたちの様子を撮影するわで大変でした。自殺の動機で思い当たることはないかとか、家庭はうまくいっていなかったのではないかとか言われて、びっくりしてマスコミ不信に陥りました。頭にきて、別れ際、『絶対に今日撮影した映像を流したらだめだから』って、言ったのよ」


 「テレビ局でも強引な人は多いですから。でも映像を流すなと言われたら困ったでしょうね。それで、どうなりました? それでもニュースにしましたか?」

 「デスクとかいう人から電話がかかってきて『すみませんでした』と謝ってきたわ。でもニュースにはさせてくれって。結局それかって。子どもたちの様子はカットしてもらって、私の話だけ短く流れたみたい。見てないけど」


 「そうでしたか。同業者としてすみませんでした」

 大神は心からそう思った。記者であるより前に、心に深い傷を負った人の気持ちを理解することがなにより大切なはずだと思っている。

 ただ、人のことは言えない。自分も事件や事故の現場に行ったときは、原稿の締切時間を気にしながら取材しているうちに、テンションが上がってしまい、被害者の気持ちを汲む余裕がなくなってしまったことはたびたびあった。

 また、沈黙が続いた。その時、大神が、ふと聞きたかったことを思い出した。

 「思い出すのも嫌なことかもしれませんが、一つだけ聞かせてください。幸田さんの月島のマンションのことですが」

 「落ち着いてきているので、あなただったらなんでも話せそう。カメラを回してもいいわよ」。打ち解けた雰囲気になってきた。


 「マンションの部屋がきれいに片付けられていたという話を聞きました。奥様が違和感を持ったという話が警視庁の捜査員から、うちの警視庁担当記者が聞きました」

 「そうそう、あれはおかしいわ。会社ではどうだか知りませんが、家に帰ったらだらしなくてどうしようもなかった。若いうちはよくケンカしたけど、こちらも諦めて割り切ることにしたの。月島のマンションも散らかり放題でしたよ。でもあの日だけは、きれいに片付けられていた。女でもいたのかなと思いましたよ。それと、長い髪の毛が落ちているのを見ました。ただ、疑ってはいません。そんな器量もありませんし。趣味は登山とガーデニングだけでした」

 

 「長い髪の毛ですか?」。大神は初めて聞く話だった。


 「おかしいでしょ。女って怖いわよね。主人の遺体がある場所で、髪の毛まで見つけてしまうんだから。でも鑑識の方の中にも女性はいましたしね」

 「鑑識の人は帽子をかぶっているはずですよね。おかしいですね。鑑識はちゃんと見つけて押収しているのかどうか。髪の毛のことは警察には届けましたか?」

 「いいえ、拾って見たのですが元に戻しました。玄関のドアの真下だったので、ドアを開け閉めして、いろいろな人が出入りしているうちに屋外に出て行ってしまったかもしれないわね」

 「髪の毛のことは確認しておきます」

 「そもそも主人が自殺なんてするはずがありません。それだけははっきりと言えます。30年間も夫婦として寄り添ってきたのですから、わかります」


 「そうですね、自殺でなければ事件ということになります。そうだとしたら、犯人を見つけ出したいです」。大神ははっきりと言った。そろそろ引き上げようか考え始めていたら、晴美が「そうだ」と思い出したように言った。

 「あの、主人の日記があるんです。日記というかメモですけど。葬儀が終わった後に見つけて読んだけど、あまり内容はなかったわ。でも、よかったら見る?」

 「あっ、はい。ぜひ。よろしいのですか」

 「ええ、取材のお役には立たないと思いますけど。待っていてくださいね」


 晴美は席をはずした。そして大学ノートを2冊持ってきた。表紙は「備忘録」とあり、昨年と今年に分けられていた。大神は今年のノートを先に手に取った。日時の下に走り書きがある。毎日書いているわけではなさそうだ。晴美によると、寝る前にベッドの明かりの下でメモしていたという。


 大神は、最新の6月のことが書かれたページを見た。

 6月

  1日 「工場誘致 余波続く」「着工、遅れる模様」

  9日 「驚愕の事実 信じられない」「気力萎える」

 10日 「永野を電話で叱責」「強引なやり方 疑問感じる」

 11日 「タピオカ? 許せない」「戦う」「恐怖」

 12日 「専務と激論 納得できず」

 13日 「眠れそうにない」「薬が必要」


 亡くなったのが6月14日。9日の段階で異変があったことが窺えるし、以後13日までの4日間の記述は相当切羽詰まった表現になっている。


 「9日から13日までは月島のマンションではなく、こちらに帰っていたのですか?」

 「そうです。憔悴しきっていました。無理をしないように、とは言ったのですが」

 「そうですか。この日記は警察には見せていないのですか?」

 「警察の方には参考になりそうなものはできるだけお渡ししたのですが、この備忘録は寝室のベッド脇の棚に置かれていたもので、警察に提出するのを忘れていたんです。後になって気がつきましたがそのままにしていました。提出した方がいいでしょうかね。大したことは書かれていないと思いますが」

 「提出した方がいいと思います。警察はどんな情報でも欲しがっていると思います」

 「あなたの方から渡しておいてくれますか」

 「わかりました。いったん預かります。明日には必ず築地署に提出します」


 この後、気になる日付を探した。4月6日。大神が初めて丸菱商事に取材に行った日だ。メモが書かれていた。


 6日 全日本テレビ 取材受ける 吉嵜記者と礼儀正しい美しい女性記者 緊張した

 大神のことを「礼儀正しい記者」と書いている。

 大神は幸田の誠実な姿を思い出していた。


 目に涙があふれた。



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