宿命報道#20 ■コンプラ室長の永野、社長にきれる/「社長の事情聴取は断ります」と永野
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
丸菱商事の社長室に入ってきたのは、コンプライアンス・広報担当役員の井原和彦と、コンプライアンス室長の永野洋子だった。専務失踪のニュースを受けて、報道機関からの問い合わせが殺到しており、その対応状況の報告だった。
永野が楢崎社長に向かって言った。
「今朝までに新聞社から13社、テレビ局から10社。ネットニュースを扱う会社など不明な分も含めると30社以上から問い合わせがありました。幸田さんの死亡の背景や、柳本専務の所在についての質問が大半です。広報部には各社の担当者が詰めかけてたむろしています。中には警視庁担当記者が来ている社もあります」
永野は社長の反応をうかがった。しかし社長は目をつぶったままだったため続けた。
「『専務は16日以降、当社に出勤していない』と答えています。『専務と連絡はとれているのか』『連絡がとれないというのは社として異常事態ではないのか』といった質問が寄せられますが、こちらとしては嘘をつくわけにはいかないので、『連絡はとれていない。大変心配している』と繰り返し答えています。『捜索隊を結成したのか』という妙な質問もいくつかありました。ネットニュースを発信している『スピード・アップ社』は、特に執拗にこの問題を追いかけています」
それでもまだ、社長が黙ったままなので、永野が「社長、こういう回答で通してよろしいでしょうか」と一段と声を大きくして念を押した。
それでも社長は、「ああ」と言っただけだった。
「社長は本当に専務と連絡はとれていないのですか? 代表権を持つ専務の失踪など前代未聞の事態です。社員の間でも『上層部は一体どうなっているんだ』『重大な問題を隠しているのではないか』と批判的な声があがっています。社長、聞いていますか?」
永野がいらだったように語気を強めた。井原は「言いすぎだ」というような仕草をみせた。
永野は弁護士資格を持ち、食品メーカーでM&Aの法務担当を務めていた。3年前に丸菱商事に転職。社内では「ヘッドハンティング」と言われている。ビジネス企画推進部主幹としてM&Aを担当。さらに法務のプロとして法務部を管轄するコンプライアンス室長も兼務している。
中枢に位置する重要なポジションは、楢崎社長が人事本部の頭ごしに決めたものだった。永野は、社内の危機管理案件のすべての情報を入手できる立場にあった。
社長はようやく目を開け、面倒くさそうに口を開いた。
「専務との連絡はとれていない。先ほど、警察の事情聴取でも何度も繰り返し聴かれた。柳本は15日の夜、警察の事情聴取の後に社長室に来た。翌日朝からまた、警察に来てほしいと言われていた。咳を激しくしていて相当具合が悪そうだったので、すぐに家に帰宅して休めと伝えた。それっきりだ」
「社長に対する事情聴取は、主にどの点を聴かれたのですか?」
永野がずけずけと聞いていく。井原は、いつ、社長の雷が落ちるのか、気が気でない。
「専務のこと、幸田君の件、それから、経営課題、最近の危機管理案件全般について知っていることを聴かせてほしいということだった」
「まさか、社内の企業秘密をすべてお話しになったわけではないでしょうね」と永野が突っ込む。永野は社長が1人で警察の聴取に応じたことをつい先ほど聞いて怒りを露わにしていた。
本来なら危機管理上、必ず誰かが同席しなければならない。社長の事情聴取は、警視庁上層部からの強い要請だった。井原は聴取が決まったことを事前に聞いていたが、極秘扱いのため永野の耳に入れていなかった。
社長はむっつりした表情で言った。
「君、失礼だぞ。言っていいことと悪いことぐらい、わかっている。ただ、専務が警察に話したことについて確認したいと言ってきたので、言える範囲で説明しておいた。今日はそれで済んだが、『これからも経営やM&A、投資全般について聴かせてほしい』と言われている。投資についてリストを作成してくれと言われた。井原君、差し支えのないリストを作成しておいてくれ」と言った。
「わかりました」と井原が答え、何かを言いかけたところで永野が遮った。
「社長は今後、警察の事情聴取には応じないでください。事情聴取したいと警察が言ってきたら私に回してください。理由をつけて断ります。任意ですから問題にはなりません。社長が一線の刑事の事情聴取に振り回されるなんて聞いたことがありません。現在、宇都宮の工場誘致の問題で、担当者は警視庁捜査二課から相当厳しい取り調べを受けています。私はすべて同席しています。担当者から社にとって不利になるような発言が出ると困りますから。『工場誘致の件では、警視庁は刑事事件として立件を視野に入れている』と、親しいマスコミ関係者から聞きました。この件に関して社内調査委員会を設置しましたが、調査は中止、委員会は解散します」
「調査を中止した? マスコミは調査結果を待っているのではないか。柳本が記者会見でそう約束していたはずだが」
「中止した理由は、警察の捜査が入ったからです。捜査は、社内調査などという生ぬるいレベルではありません。それにマスコミの関心はもう工場誘致疑惑にはありません。幸田さんの死と専務の失踪に移っています。背景に経営上のトラブルがあったのではないかと推測し、激しい取材攻勢が続いています。委員会の解散は私の方からマスコミ各社に伝えておきます」。永野は激しい口調で畳みかけた。
社長はいらだった時によく見せる、右手の指で机をとんとんとたたく仕草をしながら言った。
「これからは警察からの要請にも、『忙しい』と言ってなるべく会わないようにする。だが警視庁のトップクラスからの要請だと断り切れないこともある」
そう言って、改めて永野の顔を見た。
「君はよくそう冷静でいられるな。君だって当事者だろう」
「どういう意味ですか、社長」
永野の声が一段と高くなった。あまりにも大きな声だったので社長は一瞬驚いた顔をしたが、「マスコミ対策はどうなっているんだと聞いているんだ。事実誤認の記事やニュースが山ほど流されている。社のイメージダウンだ。ひとつひとつ抗議して訂正させるべきではないか」と言った。
「誤報かどうかは広報ではわかりません。これまでの投資案件の問題点などは社長でしかわからないことです。どの記事のどの部分が誤報なのか社長ご自身が指摘していただければ対応しますが」
井原が「まあまあ、永野君、落ち着いて。どうしても社長の事情聴取が必要だと言われたら、君が同席すればいい。マスコミ対策はある時は慎重に、ある時は厳しく対応していこう」とあいまい話をしてまとめようとしたが、永野は「社長の事情聴取はきっぱりと断ります」と言い返した。
「もういい。君らは出ていけ。高藤を呼んでくれ」。社長がいらだったように言った。
経理担当の高藤常務が呼ばれた。
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