宿命報道#19 ■トップ主導の「隠蔽」がスタートした/丸菱商事社長から事情聴取
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
6月19日午後、丸菱商事の社長室で、社長の楢崎翔一はひとり呆然としていた。
隣の代表会議室で、築地署の鏑木警部補と警視庁捜査一課の若手刑事の2人から2時間にわたり事情聴取を受け、部屋に戻ってきたところだった。秘書が淹れた熱いコーヒーを飲みながら、刑事からの事情聴取という初めての体験を振り返っていた。
鏑木は表情は柔らかく、話し方も穏やかだが、核心を突いた鋭い質問を次々と浴びせてくる。とにかくしつこい。ねちねちと粘っこく聞いてくる。柳本専務の行方について心当たりはないのか。失踪の原因についてどう思っているのか。最近の様子はどうだったか。柳本に関連する質問が続いた後、幸田本部長の変死事案の話に移り、6月14日の夕方以降、社長室周辺の人の出入りについて細かく尋ねられた。
積極的に推し進めている投資案件とM&Aについては、最も時間をかけて詳しく聴かれた。なぜ今投資なのかについて持論を展開したところ、各論に入り、M&Aで買収を予定している「デューダ社」と子会社の「カーニバル社」との交渉経緯について集中的に質問された。
「デューダ社」の買収を検討し始めたきっかけはなにか。「カーニバル社」に反社会的勢力が巣食っていることにいつ気が付いたのか。社長にはどの程度の情報が入っていたのか。最終的な判断はどうするのか。
こうした質問があるだろうということは予想していた。
柳本専務が失踪する前の事情聴取で、「カーニバル社」について話したと言っていたからだ。できる限り丁寧に説明したつもりだった。
鏑木からは別れ際に、今後も何度か事情を聴かせてほしいと言われた。ここ5年程のM&Aで買収した企業の概要、投資案件、新規事業のほか、トラブルなど危機管理案件について一覧表にして提出するように求められた。その上で、過去に遡ってじっくりと話を聴きたいと言われた。
とたんに憂鬱になった。社長がいちいち細部について説明などできない。そんな時間もない。だが、柳本がいない今、安心して任せられる「説明役」が社内にいないのだ。鏑木という男は、相当粘着質な調べをする。うちの経営陣が乗せられて、つい余計なことを言ってしまえば、突っ込まれ、丸裸にされてしまうだろう。
不安と懸念ばかりが募るのだった。
細かい内容も含めれば現場のトラブルは日々、数えきれないほど起きている。ただ、社長の耳に入るのはよほどの案件だけだ。それがここ数か月で相次いでいる。
「天皇」とまでいわれたワンマン社長だった桧山から楢崎が社長を引き継いだのが3年前の6月。それまで桧山が実権を握っていた13年間は、丸菱商事が急成長した「黄金期」と言われている。
桧山の特徴は、決断の早さだった。「決めごとは翌日に持ち越さない」をモットーに重要案件も即決していった。海外進出を推し進めたほか、投資やM&Aにも活路を見出し、資源開発分野にも積極的に資金を投じた。
成功の陰にはいくつもの失敗もあった。投資部門で事前の調査が不十分なまま買収に乗り出し、結果的に巨額の負債を抱えたこともある。もっとも、カントリーリスクも含め、商社の仕事はリスクだらけだといってもいい。売上を伸ばしていくには、「失敗」はつきものだ。その失敗をいかに最小限のダメージで食い止められるか。それが、丸菱グループの「NO2」であり、危機管理の責任者だった楢崎の最大の責務であり、腕の見せ所だった。
しかし、大規模な投資の失敗が4年前に集中した。桧山の年齢は72歳で、近いうちの社長退任を匂わせていた時期だった。「最後の大勝負」と胸を張った巨額投資が詐欺にかかったような展開をみせ、すべてが泡と消えた。
その投資失敗も合わせて、その年度で表面化したすべての損失をありのままに公表すれば、5000億円を超える危機的状況に陥った。桧山が旗振り役で推進してきた案件がほとんどで、桧山の責任が問われる事態となった。
桧山の指示のもとで「緊急対策チーム」が隠密裏に結成され、楢崎が責任者になり対応策の検討にあたった。「隠密」とは、桧山に責任が及ばないように水面下で工作するということを意味していた。
数件あった問題案件のうち、米国のファンドへの1400億円にのぼる巨額投資の破綻、カナダのサケ養殖会社を900億円で買収したM&Aの失敗、シンガポールの現地社員による先物取引による損失330億円の計3件について、公にせず処理することになった。トップ主導の「隠蔽」だった。そして不正会計のもとで作られた3月期決算が株主総会で承認された。
「粉飾」のスタートだった。
「緊急対策チーム」は解散し、新たに、復活を意味する「リバイバル(R)・プロジェクト」が立ち上がった。隠蔽した計2630億円について帳簿上の損失回避、先送りを進めつつ、5年かけて埋め合わせしていく方針が決まった。
その手口は、特定のM&A案件で仲介業者やファンドを巻き込んだ不正、「のれん」の過大評価、コンサルタント会社やコーチィンググループへの巨額報酬とリターン、非連結だが関係の深い会社を使った売上操作など、あらゆる手段が画策された。
この間、複数のデリバティブ取引で損失を取り戻すことも計画、実行された。これらの工作は、社長ら代表取締役、経理担当役員、経理本部長ら数人しか知らされていない「極秘事項」で、計画立案と実行は、証券会社や銀行のOBで構成される外部のコンサルタント会社が中心となって綿密な計画を立てて進めた。
そして社長の座は楢崎に禅譲された。桧山は会長に就任したが、1年後に病気を患い、鬼籍に入った。「名経営者」として名を遺したのは、楢崎が桧山の「負」の部分を表面化しないように「隠蔽」を重ねた結果だった。
「Rプロジェクト」を含む危機管理全般の責任は、専務に抜擢された柳本が担った。「負の遺産」を引き継ぐ者が経営のトップを繋いでいく構図ができつつあった。
しかし、「Rプロジェクト」は業績の低迷と同時に計画通りに進まなくなった。「資源バブル」がはじけたことが大きかった。新型ウイルスの世界的な蔓延でアフリカや中南米での資源確保が停滞したことがつまづきの最初だった。海外との取引全般、モノの移動が停滞した影響で、売上、利益とも伸び悩んだ。大小のプロジェクトが見直され、さまざまな経費の大幅な削減が実行されていった。
損失を取り戻すために始めたデリバティブ取引も順調とはいかず、却って損失を膨らませた。右肩上がりの成長が止まると、いたるところでひずみやほころびが「問題案件」として噴出した。
極秘のはずのプロジェクトの内容の一部が徐々に社内外に漏れ始めた。楢崎にとって、「粉飾の発覚」という新たな、そして最大の「危機」が訪れようとしていた。
一つだけ、はっきりしていることがある。腹心だった柳本の行方がわからなくなった今、「粉飾」のすべてを包括的に理解しているのは事実上、自分しかいないということだった。
「社長という仕事は体力だ。そして孤立に耐えられる精神力だ」と、経団連の友人である後藤田武士が言っていた。
共感する言葉だが、「精神力」の面で、自信が揺らぎつつあった。
「すべては桧山の責任なんだ。私は桧山の指示に従って動いただけだ」と
叫びたい気分に襲われ、机をドンと叩いたその時、部屋の外から、「社長、入ってもよろしいでしょうか」という女性の声が聞こえた。
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