宿命報道#16 ■専務が消えた! 見張っていたのに 鏑木警部補に批判殺到
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
6月16日午前7時10分。築地署警部補・鏑木のスマホが鳴った。
「林です。柳本に逃げられました」
今、生きている中で、誰からでもいい、最も聞きたくない言葉を投げつけられるとしたら、どんなセリフだろうか。鏑木の答えは決まっていた。電話口の向こうから聞こえてきた、築地署捜査課巡査・林の口から発せられたフレーズ以上に不快な気分にさせられるものは考えられなかった。
柳本は幸田の直属の上司であり、最後に電話を受けた人物である。そのため鏑木は、念のため前夜から林を東中野の柳本宅前に張り込ませていた。
朝8時ごろに、署の車で築地署に向かう手はずになっていた。
「もし、もーし」。鏑木が返事をしないでいると、林の声のトーンが1オクターブ上がった。能天気に響くその声が、鏑木の怒りをさらに煽った。
「鏑木だ。逃げられたとはどういうことだ。昨夜からずっと張っていたのだろう。まさか眠り込んでいたんじゃないだろうな」
普段は穏やかな鏑木が、一喝した。林の声は急に硬い報告口調に変わり、昨晩からの経緯を説明し始めた。
午後9時15分、柳本が家に入るのを確認した林は、そのまま一晩中、家の前を張っていた。だが、朝になって予定時間を過ぎても柳本が現れない。インターホンを鳴らすと、妻の妙子が出てきた。
「午前6時に私が起きた時には、別の部屋で寝ていたはずの主人はもういませんでした。まったく気づきませんでした」と妙子は語った。
正面玄関から出たのであれば、林は気づいたはずだ。だが、裏庭には外へ出られる扉があり、普段は内側から鍵がかかっている。妙子の案内で林が確認すると、鍵は開いていた。家の中のどこにも柳本はいなかった。
柳本は深夜、裏口から外に出たのは間違いなかった。表に刑事が張っていることに気付いていて、裏の竹林を抜けて出ていったのだろう。
鏑木の指示で、築地署の山本巡査部長が丸菱商事に急遽向かったが、柳本は出社もしていない。柳本は現時点で、幸田の死についての真相を知る上で極めて重要な参考人である。行方がわからないというのは、警察としては大失態を犯したといわれても仕方がない状況だ。
鏑木は署長、副署長に報告したが、厳しく叱責された。
幸田の死は他殺の可能性もあることから、この日は午後から警視庁捜査一課の刑事による事情聴取も予定されていた。捜査一課からは「一体、築地署は何をやらかしてくれるんだ」「失態だ。鏑木ともあろうものが」と非難が集中した。
鏑木は巡査部長時代、警視庁捜査一課の刑事として数々の難事件解決に立ち会った。普段は人のいい中年の男が、いったん事件が発生すると、解決するまで事件のことしか考えられなくなる。
「いつ寝ているんだ」と同僚が心配するほど捜査に集中する。水戸市の出身で、幼いころから納豆が大好物。今でもよく食べていて、ついたあだ名は「粘りのカブさん」。警部補に昇進したと同時に署にでたが、捜査一課に戻って中心として働くことが約束されている期待の人材だ。
捜査一課の管理官からの電話も鏑木は直接受けた。
「昨日の事情聴取で、本人は反社会的勢力ともめていると言っていたんだろう。相当、取り乱していたというではないか。責任を感じて自殺でもしたらどうする。なんで社に戻るというのを許可したんだ。拉致された可能性もあるぞ。捜査優先で、社や自宅に戻さず、ホテルに缶詰めにしておくべきだった」
前日、専務が体調を崩していたことや、精神的に不安定な状態だったこと、アリバイが確認済みであったこと、3時間の調べを終えて社に戻したことは、築地署刑事課長、副署長らに報告していた。署長の耳にも入っている。
専務が予定通りに今朝午前9時に署に現れていればなんの問題もなかったが、行方がつかめなくなった途端に、すべての上司が一斉に鏑木を責め始めた。
「何としてでも見つけ出せ」
署長は、柳本が出向きそうな場所を洗い出し、確認に出向くよう全署員に号令をかけた。
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