宿命報道#10 第2章 「公益通報」のトリック ■投資戦略本部長の死/吉嵜への直前電話の謎
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
6月15日、吉嵜の「大学・教育プロジェクト」事務局長としての最初の仕事は、東京・武蔵野の武蔵女子大学でのメディア講座の講師役だった。50人ほどの女子学生を前に、「テレビは生き残れるのか――マスメディアの歴史と新たな挑戦」というタイトルで80分間話す。
メディアを取り巻く環境は劇的に変化している。インターネットが世の中を席巻して以降も、放送業界は旧態依然としたビジネスモデルを維持してきた。しかし、CM収入頼みの経営には限界がくることは明らかで、各局は新たな取り組みに乗り出していた。
放送外収入確保に向けた具体的な事例を映像を交えて1講義80分で話すのだが、初めての経験のため、吉嵜は2週間前から資料集めに奔走していた。緊張も相当なもので、3日前からは何度も講義の予行練習を繰り返していた。
前日の14日夜、気になることがあった。
午後7時13分、丸菱商事投資戦略本部長・幸田博から吉嵜の携帯に電話がかかってきたのだ。幸田とは携帯電話の番号を交換していたが、それ以降、電話をかけたこともかかってきたこともなかった。幸田との連絡は大神に任せきりだった。
独り身の吉嵜はちょうど自宅マンションの風呂に入っていて、電話に気づかなかった。報道局時代と比べ、勤務時間外に仕事の連絡があることはほとんどない。そのためマナーモードにしていた。風呂から上がっても電話の着信やメールをチェックせずに、ノートパソコンで翌日の授業で使う映像のチェックを繰り返した。
15日午前1時、ベッドに横になってからスマホを手に取った。ニュースサイトをチェックしているうちに「着信履歴」に気づいた。それが幸田からだった。何事かとすぐに折り返し電話したが、呼び出し音が鳴るだけだった。早朝になって再び電話してみたが、その時もつながらなかった。
幸田には、吉嵜が報道局から異動したことを伝えてはいなかった。工場用地誘致疑惑のニュースに関係して何か連絡があったのだろうか。社内調査委員会の結果が出たという連絡だったかもしれない。律儀な幸田ならあり得ることだった。
報道局にいれば、幸田からの電話となれば「一大事」という感覚だったろう。しかし今は女子大での講義のことで頭がいっぱいで、すぐに連絡がとれなかったとしてもそう気に留めることはなかった。仕事関係の話であれば、吉嵜が電話にでなければ、大神にかけるだろう。幸田からの電話はいったん忘れ、講義に集中することにした。
講義が始まって間もない午前11時すぎ、背広の内ポケットに入れていたスマホが振動した。講義を続けながらスマホを取り出しホーム画面を確認した。
大神からだった。講義中は電話に出ることはできない。学生にも禁じている。メディア講座が終わってから教室を出て、社外講師の控室に入ってから大神に電話した。
「大変なことになりました」。大神の声が震えていた。
「なに? どうした」
「幸田さんが亡くなったんです」
「えっ、幸田さんって、丸菱商事の?」
「そうです。私たちが取材した投資戦略本部長の幸田博さんです」
想定をはるかに超えた驚きだった。
幸田本部長は、三鷹の自宅とは別に、丸菱商事本社からそう遠くない中央区月島に借りていたマンションの部屋で首を吊って亡くなったという。早朝、家族からの電話を受けた管理人が部屋に入り、遺体を発見した。
このマンションに泊まった時は、必ず三鷹の家族宛に電話を入れていた律儀な男だったが、昨晩連絡がないことで妻が不審に思い、朝になって管理人に伝えたのだった。
「管轄の築地署から朝、プレスリリースがでました。亡くなったのが、丸菱商事の投資戦略本部長だということで、大騒ぎになっています」
「それは大騒ぎになるだろう。自殺なのか。それとも事件、事故?」
「築地署は自殺か他殺か断定していません。両面で捜査すると言っています。事故ではありません」
「そうか。一体何があったのか。実は昨夜、幸田さんから俺の携帯に電話があったんだ」
吉嵜は思い返しながら、すぐに気づかなかったことを悔やんだ。亡くなる直前の電話だったのだろうか。いったいその時、幸田氏はどんな状況だったのか。
「ほ、ほんとですか。幸田さんは何と言っていましたか?」。今度は大神が驚きの声をあげた。
「風呂に入っていてでられなかった。かかってきたのは通話記録から午後7時過ぎだった。それに気づいて深夜に電話したがでなかった。大神には電話なかったか?」
「ありませんでした。吉嵜さんに何を伝えたかったのでしょう」
「まったくわからない。俺に電話があったことは、警察に届けた方がいいな。死亡推定時刻の参考になるだろうし。あとで連絡しておく。もっとも警察側からも連絡があるだろう。事情を聴かれるだろうな。社にも報告しておかなければ。とりあえず君の方から柏木デスクに伝えておいてくれないか」
大神は「わかりました」と言った後、「それにしてもついこの前にお会いして取材した方が、こんな形で亡くなるとは思いもしませんでした。一体何があったのでしょう。その後の電話取材でもとても丁寧に対応してくださいました。誠実で素敵な方でした。私たちが書いた記事が原因だったのでしょうか。とても悲しいです」としんみりと話した。
報道の現場に長くいると、人の死に対して鈍感になることがある。人の死は、「ニュース」である。そのため、記者が「死」に直面した時、その重い現実より前に、職業的な立場が優先され、原因、背景、状況を把握するための取材の段取りに意識が向いてしまうことが多い。
人間として沸き上がる当然の感情を抑え込む。無理矢理でも一時的に麻痺させなければならない因果な職業なのかもしれない。ただ、大神は「悲しいです」と口に出して言った。相当落ち込んでいる様子が、離れていてもわかった。
吉嵜は「確かに、感じのいい人だった。信じられない」と言った後、「ところで、柳本専務とは連絡が取れないのか。専務にあたれば何かがわかるのでは」と聞いた。
「それが、専務はつかまらないんです。携帯をかけてもでません。警察から事情を聴かれているのだと思います。コンプライアンス室長の永野さんも報道対応で忙しそうです。電話がつながった時に何を聴いても『わからない』というだけでした。相当混乱しているようです」
大神はそう言った後、「ところで大学の講義はいつ終わりますか? その後、会えませんか。お話ししたいことがあるんです」と言った。
「午後に大学で打ち合わせがあり、それは午後1時半に終わる。大学を出るのは午後2時ごろかな」
2人は午後3時にテレビ局で会うことにした。
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