ジームスカン王12
作業場から右に折れ暫くすると、後宮へ繋がる長い回廊に出た。無彩色の本宮とは違い、朱色に塗られた柱とツルツルに磨き上げられた大理石の床が、華やかだ。
回廊の先に大きな観音開きの扉がある。赤い漆に螺鈿細工が施され、咲き誇る花の中を小鳥たちが舞っている。
「見事な物だな。」
ラオは我を忘れて、思わず見惚れてしまう。
「百年以上前に、国中の職人を集めて作ったと言われています。父タチバナもこの扉の意匠は気に入っておりました。」
「流石文化の国ジームスカンだな。」
ハチドリの説明に、ただただ感心するばかりのラオであった。
横に控えていた二人の兵士が扉を押す。錠は掛かっていないのか、扉は静かに左右へと開かれた。中に入るとちょっとした広間になっていて、小さな卓に柔らかそうな座布団が設えられた長椅子がある。ここは、後宮に渡ってきた王がしばし寛ぐ場所になっているらしい。
「父のタチバナは、母が亡くなった後も側室を持つ事はありませんでしたが、ここに住んでいた自分の姉とその娘に会う為、よくここに来ておりました。しかし従姉妹が嫁に行き、叔母も二年ほど前に亡くなってからは殆どここに来ることも無くなりました。そのうち兄が側室を持つ様になると、ここに住まわせる様になったのです。」
その説明にラオは少なからず驚いた。
「父王がまだ健在のうちに、王子が後宮を使ったのか?」
テムチカンではあり得ない話である。
「父はそういう所はかなり合理的なんですよ。あるのに使わないのは勿体無いとか言ってましたね。しかし、これが兄があんな風になった原因の一つかも知れませんね。オオナマズに子どもに甘いと言われても仕方ありません。」
ハチドリは、苦笑いでそう答えた。
しばらく進んでも人の気配が無く、中は静まり返りガランとしている。本宮同様、所々に埃が舞い、手入れがされていないのは一目瞭然である。
「僕はここに殆ど足を運ぶ事はありませんでしたが、ひどいものですね。」
溜息をつきつつ、ハチドリが呟く。ラオはなんと声をかけて良いものか分からず、ただ頷くのみであった。
黙って先に進むと、ふとどこかで嗅いだ事のある匂いがした。香木を炊くようなそれでいて何か腐ったような独特の匂い。
「これは!タージルハンの後宮で嗅いだあの匂いじゃないか!」
ラオは思わず叫んでしまった。
「タージルハン王が廃人になっていたと言う、あの場所の匂いですか?」
ハチドリが顔を真っ青にする。彼はカワウソの話を知っている。やはりカワウソの様に廃人となってしまったのか、現実味を帯びてきたバンブーの状況に、ラオも焦りを感じる。
「カワウソ殿と同じかはバンブーに会わなければ分からない、ハチドリ王、先を急ごう。」
二人は嫌な予感を振り払うように奥の方へと足早に歩き出した。
奥に進むと、大きく立派な扉が見えた。
「この扉の向こうは、宴に使われる大広間になっています。」
ハチドリがそう説明しながら扉を開けると、一層匂いがきつくなる。タージルハンでもそうだったが、この匂いを嗅ぎ続けていると気分が悪くなって来るのだ。
「何だこれは!」
開けられた扉の前で立ち尽くし、ハチドリが叫んだ。
何事ぞとラオも中を確かめる。そこには大勢の人が倒れていた。今斬られたばかりと思われる傭兵たちに混じり、後宮に仕えている女官たちの姿もある。人数にして50名ほどの男女がおり重なる様に死んでいるのだ。
「王宮内で何て事を・・・。」
ハチドリは衝撃のあまり声が出ない。
「傭兵たちと女官たちの切り傷の様子が違う。傭兵たちの切り傷は、マーマタンの刀傷に見えるな。・・・やけになった傭兵どもが女官たちを襲い、そこに駆けつけたヒツジグモたちが傭兵を斬ったのだと思う。」
ラオは死体の状態を自ら確認しながらそう言った。自分でも驚くほど冷静にこの状態を分析出来ている。部屋の様子を観察していると、絨毯で何かを覆い隠している様な所を見つけた。
「何だこれは?」
ラオが近づき絨毯を捲ると、焦げ臭い匂いがして中に燃やされた衣服があった。装飾の豪華さを見る限り、バンブーの側室たちの衣装であろう。
「傭兵たちは、後宮に火をつけようとしたのか?」
ラオは思わず叫ぶ。
「絨毯で消火されていたみたいですね。後宮の使用人に危害を加えるどころか後宮に火をつけるだなんて、傭兵どもは何を考えているのでしょう。」
王宮が燃えていたかも知れないと言う事実に、ハチドリは泣きそうな顔になる。
「傭兵どもはワニガメに梯子を外され後が無いからな。ならばジームスカンの王宮諸共、道連れにするつもりだったのかも知れないな。」
もちろん許されることでは無いが、敵とは言えそこまで追い込まれた事に哀れささえ感じる。結局彼らはワニガメに良いように利用されていたのだ。
「ここにはもう誰も生きている人間はいない。クスノキ殿たちはもっと奥に行っているみたいだな。」
部屋全体を見終わり、ハチドリにそう告げる。
「もう兄を見つけているかも知れない。僕たちも急ぎましょう。」
ハチドリはやっと落ち着くことが出来たのか、それでも震える声で先へ進もうとラオたちを促す。
ラオは黙って頷き、広間の奥にあった扉からさらに進む。
奥に行くにつれ、匂いはますます強くなる。
「嫌な匂いですね。気分が悪くなる。」
眉間に皺を寄せ、ハチドリが呟く。
「多分香を炊いているのだと思うのだが、幻覚作用でもあるのかも知れぬ。叔母上に見せれば何かわかるかも知れないが。」
ラオたちは、軽い吐き気を感じながらも先を急ぐ。
大広間ほどではないけれど、それでも所々で人が倒れている。中には本宮から連れて来られたと思われる、男たちも混ざっていた。
「傭兵どもは、本当に自暴自棄になっているようだな。」
一目で死んでいると分かる人々に、心が苦しくなって来る。
「まるで鬼の様な所業ですね。同じ人間の仕業とは思えない。」
ハチドリは搾り出すようにそう呟いた。
「王と殿下じゃありませんか!それではもう城門は開いたのですね。」
交差する廊下に差し掛かった時、不意に声を掛けられた。一同は驚き、声のした方を確認する。そこには、調度品の大きな壺の影に隠れる様に屈むクスノキの姿があった。
「クスノキか!お前無事だったんだな。」
ハチドリが、安心したように声をかけた。
「後宮に何十人かの傭兵が潜んでいまして、私の安全を確保する為、ニシカゼ殿がここに隠れている様にと言ってくれたのです。実際私がいても足手纏いにしかならないですから。」
クスノキはそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「他の連中は奥に行ってるのかい?」
ラオの質問に、「王妃の間に向かっている筈です。今はそこで、バンブー様が普段の生活をしていらっしゃる。」とクスノキは答えた。
「イタチもそこへ向かっているのだな。クスノキ付いて来れるか?お前の安全は僕たちが守る。」
ハチドリが聞くと、「もちろんでございます。」とクスノキは大きく頷いた。
「この惨状はやはり傭兵どもの仕業なんだろう?」
ラオは聞かずにはいられなかった。クスノキは悲壮な顔で頷く。
「本当に酷い事です。私は今の所、生きている人には会っておりません。
我々が後宮に入った時、傭兵どもは死体を蹴り上げながら大暴れしていました。それも笑いながら・・・、その姿はとても人間とは思えませんでした。しかも、あろう事か広間に火を着けようとさえしていたのです。幸い、ヒツジグモ殿がすぐに消し止めてくれましたが、燃え広がっていたらと思うと背筋が寒くなります。本当に、自暴自棄になった人間ほど恐ろしいものは無いですね。
傭兵たちを止めようと、マーマタンの御三方とイタチ殿が奴らに襲いかかったのですが、驚いた奴らは王妃の間の方へと逃げて行きました。彼らは今、傭兵どもの後を追っています。奥がどうなっているのか私にはまだ分かりません。」
クスノキの説明は、だいたい予想していた通りだった。マーマタンの3人がうまう動いてくれているようだ。
「とにかく急がねばならぬな。」
ハチドリは厳しい眼差しで、奥の方を睨みつけた。
「いくらイタチが加勢したと言っても、マーマタンの御三方の剣術が本当に優れているのが、よく分かりますね。」
奥に行くほど増えていく、傭兵たちの残骸にハチドリは感心している様だった。クスノキが、彼らの戦いの様子を教えてくれた。
「あの方々はそれは見事な剣さばきで、まるで舞を舞う様に敵を倒していきました。失礼ながら、私はアカホシ殿は荒事に向いていないのでは無いのかと誤解しておりました。しかし、あんなに鮮やかに剣を振るう者は、ジームスカンの武将の中でも中々見つける事は出来ないでしょう。彼らには、底知れぬ強さを感じましたよ。」
「マーマタンは古来より、貿易の要所としていろんな民族に狙われて来た歴史があるからな。しかも国土の殆どが厳しい砂漠の中だ。彼らは幼少期から、厳しく訓練を受けて育つって言ってたよ。」
この間も、彼らの戦いに対しての覚悟の話を聞いたばかりだ。それを聞いてハチドリは震え上がる様に驚いた。
「マーマタンだけは敵に回したくないですね。」
「全くだ。今味方でいてくれる事がこれほど心強いとはな。」
ラオはそう言って笑った。
傭兵たちの屍を避けつつ、一行は王妃の間までたどり着いた。
傭兵たちが逃げ込んでそのままなのか、王妃の間の扉は大きく開け放たれていた。奥の方で何か騒ぐ声がする。まだ戦いは終わっていないのかも知れない。
「彼らが、まだ戦っている様だな。踏み込もうか。」
ラオが小声で、確認する。ハチドリがゴクリを唾を飲み込み、頷いた。
「皆の者、行くぞ!」
ハチドリが小声で命令を下し、一行は中へと踏み込んだ。




