第六十三話 孤独な天才
平刃は投げられた注射器をじっと見つめた。
「使い方が分からないのか? それはな、こうやって使うんだよ!」
郷間はそう言うと、手に持っていた注射器を交互に刺し、白と黒の液体を注入する。みるみるうちに郷間の身体は白と黒の装甲に包まれ、変異を終える。
「もう猶予は与えない。抗わないなら殺すだけだ」
スパイルはそう言うと、注射器を見つめたまま身じろぎしない平刃を目指して歩き始める。その動きには殺意が感じられた。しかしそれでも平刃は注射器を手にしたまま動かない。
「お前はこの戦いの結末が分かるか?」
「あ? それは戦ってからのお楽しみだろ」
「ふっ、やはりな。お前は勝ちを確信している」
「何だと? お前に何が分かる!」
スパイルは荒々しく平刃に歩み寄り、そして右手を伸ばす。
「敗因は自らの過信だ。私も幾度となく過信に飲み込まれたことがある」
「黙れ!」
螺旋状の装甲を纏った右手が平刃の首を締め上げる。
「ぐっ……。お前は、自分を信じすぎている……」
「黙れ黙れ! 恋人に、友人に慕われ、常に誰かに囲まれているお前とは違うんだ! 全てお前という存在が俺の人生を狂わせたんだ! だから、俺は自分一人の力でのし上がってみせる!」
「ぐっ、うっ……」
スパイルは平刃の首を更にきつく締め上げ、平刃の身体は宙に浮く。
「死ね平刃ぁ!」
――スパイルが平刃の首をへし折ろうとした時、スパイルの右腕にナイフが突き刺さった。
「ぐあっ!」
スパイルは平刃の首から手を放し、数歩後退した。そして腕に刺さっているナイフを引き抜き、ナイフが飛んできた方向に投げつける。
「誰だぁ! 俺を邪魔するのは!」
「……我を失ってはいなかったみたいですね」
階段の傍に立っていたのは影司であった。影司は投げ返されたナイフを難無くキャッチして、倒れている平刃のことを見てそう言った。
「ごほっごほっ、待っていたぞ、阿久戸君」
「ふん、全て計算済みか」
影司はそう言いながら平刃の前に立ち、胸の器械に手を添える。
「それ、使うんですか?」
「あぁ、これか? 研究にな」
平刃は手に持っていた黒い注射器をポケットにしまってそう言った。
「そっちは頼みます。……ビートチェンジ」
影司は胸の器械を回し、ナイフで両掌を裂く。そして青藤色の装甲を纏い、右手にはナイフを左手には刀を構えた。
「ビュースか……。俺の邪魔をするのはお前かぁ!」
スパイルは腰に下げていた柄を握り、槍を具現化させる。そして怒りに身を任せて影司に襲い掛かる。
その間に平刃は階段まで逃げ、注射器をしまったのとは逆のポケットから携帯電話を取り出す。そして明人が起きるまで連絡を入れ続ける。
「はっ!」
「くっくっ。はっはっはっはっ! 甘いぞ! 昨日と何も変わっていない!」
スパイルは槍を粗暴に扱い、優勢だった影司は一転、防戦一方を強いられることになる。スパイルの攻撃は大きく、傍から見れば隙だらけなのだが、一発一発の重みが昨日よりも重く、攻撃を喰らうたびに影司の腕は軽い痺れを感じていた。
「ぐっ、くっ、なんて力だ……」
影司はじりじりと追い詰められ、ついには壁を背負うような形になる。
「死ねぇぇえ!」
怒りで我を失っているスパイルは、槍を大きく振り上げて、槍の先端を影司に向けて振り下ろす。
――影司は寸前のところで回避し、がら空きになった腹部にナイフと刀による連撃を浴びせる。そして最後の一撃は大振りの切り上げを食らわせ、スパイルを吹き飛ばす。
「ぐはぁっ!」
スパイルは豪快に吹き飛び、ロビーに設置してあるテーブルの上に落ちて破壊した。しかしすぐにスパイルは立ち上がり、槍を構える。
「はぁはぁ、ちっ、しぶといな」
ある程度距離を取れた影司は、ナイフと刀を一度床に置き、両手を床に付ける。そしてロビーの床一面を凍らせ、自分のフィールドを作り上げる。
「くっくっ、小細工を」
スパイルは凍っているロビーの床に槍を突き刺す。それによって一度は割れた氷だが、影司が両手を着いている限り氷は再生し続ける。
「小賢しい!」
スパイルは地面の氷を割ることを止め、槍を上手に構えて影司に狙いを定め、投擲する。
――影司としてもその瞬間を狙っており、床から両手を離すとナイフと刀をすぐに拾い上げ、氷上を滑ってスパイルに急接近する。
「な、なに!?」
スパイルは刃を防ぐ手段が無く、致し方なく腕でガードをする。
影司は変幻自在に動き回り、ナイフと刀でスパイルの装甲をドンドン削って行く。
そして影司はトドメを刺すためにナイフを投げる。ナイフはスパイルの脇腹に突き刺さり、影司は氷上を滑りながら気を伺う。
突き刺さったナイフは脇腹付近を徐々に凍りづかせていき、ついには腰が回せないほど氷は広がった。
「クソ、クソ、クソ!」
スパイルはナイフを両手で掴み、無理矢理ナイフを引っこ抜く。すると凍り付いていた脇腹はガラス細工のように割れ、じわじわと痛みがこみ上げてくる。
「……なにっ?」
影司は進路を変えてスパイルから少し離れる。しかし反撃する様子が無いことを確認すると、影司は再び氷上を滑り出す。
「くっくっくっくっ。短いこの命、存分に振るってやろう!」
スパイルは腰に下げていた二本の黒い注射器を取り出し、それを順に刺す。スパイルの装甲の約八割が黒い装甲に飲み込まれ、そして装甲は二重三重と分厚くなった。
寸前まで迫っていた影司は進路を変えることが出来ず、両手で刀を構えてスパイルに斬りかかる。
ギンッ。という鈍い音が鳴り、滑り終えた影司は刀の刃を見た。すると刃はボロボロに刃こぼれしており、そこからスパイルの装甲が相当分厚くなったことが確認できた。
「……自分の命を代価にしたか」
影司は刃こぼれしている刀を一度折り、新しい刃を生成する。
「はぁはぁ、コロス。ケス。コワス……」
完全に変異を終えたスパイルは、蒸気を放ちながらそう呟く。そして背後に立っている影司の方に振り返り、一歩歩きだす。すると、メキメキ。という音を立ててスパイルの身体は氷を割って若干沈んだ。一歩、また一歩とスパイルは氷と床を破壊しながら影司に近付いて行く。
「……ちっ、お構いなしか」
影司は氷が完全に破壊される前に滑り出し、転がっているナイフを拾って体勢を立て直し、ついでにスパイルの背後を取る。
「コロス……。コワス……」
影司はそこでようやく気付いた。スパイルは自分を追っているのではなく、槍を拾いに行っていたことに。しかし気が付いたのが遅く、スパイルは槍を拾い上げて影司の方を向いていた。
「ウオォォォォオ!」
スパイルは雄たけびを上げると、ずんずんと床と氷を踏み潰しながら影司に駆け寄る。影司は危険を察知し、残っている氷の上を滑って反撃を入れる。しかし再び刃が欠けただけであり、影司は刀を再生成して構える。
「……時間はかかるがこれしか無いか」
影司は右手に持っていたナイフを腰に下げ、刀を両手で構える。そして残っている氷を巧みに滑り、的確にスパイルの装甲の一か所。腹部の装甲を削って行く。
「はぁはぁ、あともう少しか?」
「コ、ワス。コ、ロス」
影司は何度となく刀の刃を取り換え、ようやくスパイルの三重装甲を削り、素の装甲が見え始めていた。
「……あそこにこれを刺し込めれば」
影司は腰に下げているナイフを手で探り、そして刀の刃を再生成してスパイルに斬りかかる。
「はっ!」
「グガァァァァ!」
刀はスパイルの腹部に命中し、最後の装甲が剥げた。そして初めに見た白と黒の装甲が覗き、影司はそれを確認すると腰に下げているナイフを右手に構え、刀を左手に持ち替えた。
「コロス! コワス!」
スパイルは暴走を始め、槍を振り回しながら影司に接近する。影司はわざとそれに立ち向かい、刀を盾替わりにしてスパイルの攻撃を受け止めながら、腹部に空いている穴からは目を離さないように注視する。
「クソ。動きが激しすぎる……」
スパイルは意識を飲まれ始めており、本能で影司のことを殺そうと荒々しく不格好な戦闘スタイルで影司を追い詰める。
「ぐあっ!」
影司は力負けして吹き飛ばされ、階段近くに隠れていた平刃のもとまで吹き飛ばされる。
「大丈夫か?」
平刃は物陰から顔を出し、影司に声をかける。
「はい。それより明人は?」
影司は刀の刃を再生成しながらそう聞いた。
「あぁ、つい先ほど連絡が付いた。すぐに向かうそうだ」
「了解」
影司はそう言うと、すくりと立ち上がってナイフと刀を構え直す。
「ヒラバ……。コ、ワス。コロ、ス……」
スパイルは平刃を見つけ、槍を構えて走り出す。影司はやらすまいとスパイルに立ち向かっていき、槍を刀で受け止め、がら空きになった腹部の穴を視認する。そして右手に持っているナイフをその穴目掛けて振る。
――しかしそれよりも早く、スパイルの左手が影司の首を捉える。
「うぐっ……」
ナイフはもう少しで穴に届くというところで止まった。前進しようとすると影司の首はどんどん締まっていき、どう頑張ってもナイフは穴に届かなかった。
「ぐっ、くっ……」
このままでは持ち上げられてしまう。そう思った影司は、受け止めている槍から刀を離し、スパイルの左肩に突き刺した。しかしそれと同時に振り下ろされていた槍が影司の左肩に突き刺さる。
スパイルは左肩を突き刺されたことによって影司の首から手を離し、数歩よろめいた。影司は左肩に刺さった槍をそのままに、痛みを耐えながら右手に持っているナイフをスパイルの腹部に突き刺す。
「グガァ……!」
分厚い装甲によって視認することは出来ないが、スパイルの動きが極端に鈍くなったことから、ナイフは完全に突き刺さり、腹部が凍り始めているのが分かった。
「……お前は無くし過ぎた。人との関係を」
影司は短いステップから、突き刺さっているナイフを狙って鋭い蹴りを繰り出す。
――渾身の蹴りは見事に命中し、影司とスパイルはその場で数秒静止して、その後その場に倒れた。
「阿久戸君!」
物陰に隠れていた平刃は影司に駆け寄った。
「はぁはぁ、俺は大丈夫です……」
影司はそう言うと、左肩に刺さっている槍をそのままにして変異を解いた。
「はぁはぁ、あいつは生きてますか……?」
影司がスパイルの方を見てそう言うので、平刃は影司のもとを離れて倒れているスパイルを覗き込んだ。
スパイルの変異も解け、全身から力を奪われた、無の状態の郷間がそこにいた。
「郷間……」
「もう……終わったみたいだな……」
戦闘中の記憶はほとんど残っていないようで、郷間は虚ろな目でそう呟いた。
影司の最後の攻撃を受け、郷間の腹部の大半は失われていた。右脇腹からへその辺りまで大きな穴が空いており、それによって郷間の意識は朦朧としていた。
「あぁ、終わったんだ……」
平刃はそう言うと、しゃがみ込んで郷間に顔を近づける。
「最後まで、俺は、お前に勝てなかったみたいだな……」
「そんなことは無い。私にはない勇気をお前は持っていた。郷間、お前は私の一番のライバルだ」
「くっくっ。皮肉な、ものだな……。死ぬ間際になって、気付かされるなんて……。俺も、誰かの一番に、なれていたんだな……」
郷間は途切れ途切れの掠れ声でそう言い切ると、がくりと首をもたげた。
「郷間……。お前の研究は、私が無駄にしない」
平刃はそう呟くと、郷間が着ている白衣のポケットから白い注射器と鍵束を取り出し、郷間の遺体を抱き上げてロビーのソファ寝かせた。そして静かに目を瞑り、数秒黙祷した。




