第6話 帰省中なんだけどなぁ
朝の光が、宿の窓から差し込んでいた。
アイリスは目を開けた。
天井を見る。
しばらくそのままでいた。
昨日のことを思い出す。
夕方の事務所。
台帳から顔を上げた男。
穏やかな笑顔。
「初めまして。ローゼンベルク不動産、レオンハルトです」
アイリスは枕に顔を埋めた。
「覚えてないんかい……」
くぐもった声が枕に吸い込まれた。
しばらくそのままでいた。
口元は、少しだけ緩んでいた。
今日は帰る予定だった。
任務は終わった。
王都へ戻るだけ。
そのはずだった。
冒険者ギルドに寄ったのは、報告書の写しを受け取るためだけだった。
扉を開けた瞬間。
「アイリスさん!!」
エレナが血相を変えて飛び込んできた。
「緊急依頼です!!」
アイリスは天井を仰いだ。
「帰省中なんだけどなぁ」
内容を聞いた。
ワイバーン出現。
街道から三キロ北の森。
A級冒険者パーティが壊滅。
B級が複数負傷。
街道封鎖。
近隣の村から避難要請が来ている。
ギルド職員が資料を広げながら言った。
「現在、対応可能なのが……」
アイリスはため息をついた。
「行けばいいんでしょ」
現地に着いたのは、昼前だった。
ワイバーンは森の開けた場所にいた。
全長十五メートル。
翼を広げると二十メートルを超える。
A級パーティが壊滅するのも当然だ、とギルド職員は思った。
アイリスは剣を抜いた。
ワイバーンが咆哮した。
次の瞬間。
アイリスの姿が消えた。
森の奥で、衝撃音。
木々が揺れる。
鳥が一斉に飛び立つ。
数秒後。
ワイバーンの首が、地面に落ちた。
静寂。
「終わった……?」
職員が呟いた。
「終わった」
アイリスが剣を収めながら言った。
「早くないですか?」
「帰りたいので」
職員はしばらく、ワイバーンの亡骸とアイリスの背中を交互に見ていた。
ギルドに戻ると、エレナが討伐報酬の袋を差し出した。
「お疲れ様でした!」
「ありがとう」
アイリスは報酬袋を受け取った。
机の上に置こうとして、ふと気づいた。
昨日の報酬袋が、まだ鞄の中にある。
五万ゴールド。
アイリスは二つの袋を見比べた。
今日の報酬。
一般人なら一生かけても稼げない額。
昨日の報酬。
かさばらない小袋。
アイリスは今日の報酬袋を机の上に置いた。
それから昨日の小袋を取り出し、
丁寧に鞄の奥にしまい直した。
「……なんでそっちを大事にしてるんですか」
エレナが首を傾げた。
「なんでもない」
アイリスは鞄を閉めた。
街を出る前に、一か所だけ寄り道をした。
薬草ダンジョン併設孤児院。
懐かしい風景だった。
草の匂い。
野菜畑。
遠くから子供たちの声。
門をくぐると、老シスターが出てきた。
「おかえりなさい」
アイリスは少し笑った。
「ただいま」
その瞬間。
「アイリス姉ちゃん!!」
子供たちが飛び出してきた。
三方向から同時に抱きつかれる。
「いつ帰ってきたの!」
「お土産は!」
「スライム退治また見せて!」
「帰ってきたのは昨日、お土産は次回。」
「スライムはもう少し強くなってから」
子供たちがわあわあ言う。
アイリスはそれを受け止めながら、孤児院の庭を見渡した。
畑。
薬草ダンジョンの入口。
干してある洗濯物。
何も変わっていない。
全部、ここから始まった。
子供たちが畑に戻っていくと、シスターが湯を沸かしてくれた。
縁側に並んで座る。
遠くで薬草ダンジョンの入口が見える。
「レオンさんには会いましたか?」
シスターが聞いた。
アイリスは少し固まった。
「会った」
「元気でした?」
「うん」
少し間が空いた。
「覚えてなかったけど」
シスターがくすりと笑った。
「あの人らしいですね」
アイリスは湯飲みを両手で包んだ。
「全然変わってないな、って思った」
「そうですか」
「うん」
少し間を置いた。
「昔からそうだったじゃないですか。」
「物件のことになると、他のことが全部見えなくなる人」
シスターは遠くを見た。
「それでも」
「あの人のおかげで、ここは今日も続いていますから」
アイリスは何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
同じ頃。
ローゼンベルク不動産に、トーマスが顔を出していた。
「昨日の討伐依頼」
トーマスは椅子に座りながら言った。
「アイリスだったらしいな」
「アイリス?」
レオンは台帳から顔を上げた。
「知らんのか」
「王国最強だぞ」
「へぇ」
レオンは台帳に視線を戻した。
トーマスが呆れた顔をした。
「反応薄っ」
「討伐してくれたなら十分です」
「お前な……」
トーマスは頭を掻いた。
「昨日来た銀髪の子、王都じゃ知らない奴いないぞ」
「そうですか」
「そうですか、じゃなくて」
レオンはペンを置いた。
「良い仕事をしてくれる人なら、名前は関係ありません」
「……お前は本当に」
トーマスは苦笑した。
「損な性格してるな」
「よく言われます」
レオンはまたペンを取った。
夕暮れ。
アイリスは孤児院を出た。
帰り道。
薬草ダンジョンの入口の前で、ふと足が止まった。
振り返る。
孤児院の窓に明かり。
子供たちの声。
シスターが縁側を掃いている。
全部、ここから始まった。
薬草を摘む子供。
転んで泥だらけになった子供。
スライムを棒でつついていた子供。
そして。
照れくさそうに笑っていた、若い不動産屋。
「楽しみにしてます」
アイリスは小さく笑った。
「次は覚えてもらうから」
誰にも聞こえない声で言った。
鞄の中の小袋を、そっと握りしめる。
五万ゴールド。
王国最強の剣士にとっては、大した額じゃない。
それでも。
これはただの報酬じゃない。
アイリスは歩き出した。
夕暮れの街道を、王都の方角へ向かって。
その背中はどこか軽かった。




