忍び寄る
人生で、かつてないほど人と共にいる生活を送っている。
どこにいても人がいて、話しかけられる。
羨望の眼差しを向けられる。
期待と熱の籠った目で見られる。
そんな有名人みたいな(実際ここでは有名人なんだけど)生活を送っていると、楽しいよりも疲れてしまった。
廊下ですれ違う度に、「アルテ」と声を掛けられる。
相手が傷つかない言葉を探して返す。
まるで聖徳太子になったみたいにたくさんの人の話を聞く。
ああ。
私はどうやら、有名人の適性がなかったみたいだ。
これでいいのか迷う日々。
もううんざりだ。
常に笑顔を浮かべている。微笑んでいないと、「アルテ」じゃない気がして。
実際のアルテは表情が豊かだったらしいけど、無表情がデフォルトの私からすれば、微笑んでいるだけで大分頑張っている方だ。
頬が疲れて、その笑顔ももう引き攣りそうだ。
自分がたまに、道化のように感じるときがある。
いっそそうなって仕舞えばいいのに、と思うときがある。
でも思えないのだ。結局のところ、私はどこまでいっても私なんだ。
左の瞼が痙攣して、胃が痛い。
どこか人のいない場所に行きたい。
一人になりたい。
前の世界では当たり前だったのにな。
「先生に呼ばれたから、先行ってて」
「おう、分かった。じゃあ先行ってるわ」
「なるたけ早く戻ってきてよね!」
「分かった分かった」
笑って手を振る。皆が曲がり角で見えなくなると、ドっと息を吐いた。
ヨロヨロと歩く。
まるで異世界にきた初日みたいに足が覚束ない。
ようやく一人になれた。
授業の合間の休憩時間、ほんの小さな休息。
なぜか空気が美味しく感じる。
徐々に足が弾む。
キョロキョロと辺りを見渡して、人のいない方へ向かう。
少しでいいんだ。
一人で過ごしたい。
そうやって進んでいると、学園の裏手にきた。
煉瓦作りの壁が聳え立ち、そのすぐそばに鬱蒼と茂る森がある。
今日は風が強く、木々の擦れる音がオーケストラのように響いていた。
特に整備はされていないようで、雑草も生え放題だった。
ここなら誰もこないだろう。
空を見上げると、薄墨を刷いたような空が広がっていた。
生温い風が、服や顔に纏わりつく。
朝露でしっとり濡れている草地に座り込む。
制服に露が染みこむ感触がした。
遠くの方で、人々の声がする。
緩やかな風が髪を撫でた。
ここには誰もいない。
深呼吸した。
草と土の匂いが鼻腔を擽る。
なんで自分がここにいるんだろう、と度々考える。
考えても仕方のないことなのに。
元の世界に帰りたい、と思う自分がいる。
バイト先の無関心さも、冷たいワンルームも、無機質なコンビニの光も、息がしづらくて、ずっと生き辛かったあの世界に。
そこじゃないと、私は釣り合っていない気がする。
そう思ってしまう自分のことも嫌になる。
私は私で、どこにいってもそれは変わらないのだ。
いつだって生き辛い要因を作っているのは自分だ。
前のアルテはどこにいったんだろう。
なにをしているんだろう。
私の意識の奥に沈んでいるのかな。
それとも本当に死んでしまったのかな。
そうじゃないといいな。
まだほんの十五歳なのに。
早く、早く帰っておいで。
ここにはあなたを待っている、たくさんの人がいるよ。
そう思うこと自体、私が楽になりたいだけなような気がしてまた落ち込む。
突然身体を影が覆った。
頭上から、力強く鋭い女性の声がする。
「なんだ。随分辛気臭いな」
「だ、だれ?」
「ここだよ節穴」
人の気配はなかった。突然、その人が現れたみたいに感じた。
上を見ると木の枝に金髪の美しい少女が座っていた。
なんで木の上にいるんだろう。
少女がこちらを冷たく見下ろす。
学校指定の制服を違和感なく着崩している。
風に靡く長い髪は金髪で、形の良いツリ目はハシバミ色をしていた。
一陣の風が強く吹き抜けると同時に、少女が危なげなく枝から飛び降りた。
「お前、アルテ?アルテ・ロード?」
こんなざっくばらんな対応はここに来てから初めてだったので戸惑ったが、なんとか笑顔で返事を返す。
「そうだよ。君は誰?」
そう尋ねると、少女はニヤリと笑って答えた。
「私はキルケ、情報屋だよ」
「情報屋?」
不思議そうにする私は眺めながら、キルケは肩を竦めた。
「情報を収集して、売ったり買ったりするんだよ」
なんだかまずい気がする。関わっちゃいけない人な気がする。
しかもなんだ情報屋って。不良マンガでしか見たことないぞそんなの。
キルケは何も言わず、ただ口元で笑うだけだ。
二人の間に、濃霧のような空気が滴る。
呼吸が浅くなる。キルケはただ私をじっと見つめた。
私はそれに耐えきれず、顔を背けた。
「なんでここにいるの?」
声が少し上ずった感覚がした。
アルテのことをこんなにも軽く扱う人は初めてだ。
というかキルケは私に敵意を持っているんじゃないか。
だからこんなにも対応がざっくばらんなんじゃないか。
分からない。
「なんでだと思う」
「僕は…」
「僕、ねぇ」
キルケが訝し気に言い直す。
前よりニヤニヤが強くなった気がする。
「なに?」
「いやぁ、なんでも」
納得したかのように、うんうんと頷き、こちらの返事は煙に巻かれた。
なんだ。
今ので何が知れたんだ。
額から冷や汗が伝って、地面に落ちる。
脊髄から脳みそまで到達するような悪寒は、なんだ?
殺気か?
気が付けば、脇もぐっしょり汗で濡れていた。
「じゃあ、どうしてここに?」
「どうしてだと思う」
また、煙に巻く気か。
そのとき、キルケがずいっと近づく。
キルケのハシバミ色の瞳が、ギランと光った
唇の動きがスローモーションのように動くのが見えた。
動きたいのに、動けなかった。
喉の奥がいつの間にかひりついていた。
声もでない。
「お前、アルテじゃないだろ」




