110-1 昼下がりと憎悪です
(夜凪視点)
昼休み。
家で弁当頼んだら重箱5段を用意されて以降、俺は購買か食堂を使っとる。やから今日は、さっさと購買で買ったパンとアイスを食べ終わった後うとうとしてて、本間に寝てしもうてた。
現実に引き戻される感覚……話し声や足音で溢れる教室の音が、不思議と懐かしく感じる。
どんな夢かは思い出せん。
でも、起きてすぐ隣の席で本を読んでいる紙弦を見て、酷く安堵した。
「ん? ナギ……どうかしたか?」
流石に、学校でいつもの口調と呼び方はせぇへん。初日に『坊ちゃん』って呼ばれて気が遠くなりました……。『お願い、本気で堪忍して』って頭下げたわ。
そういえば本邸暮らしになって『若様』に変わったけど、どういう心境なんやろね?
まぁ、何にせよ、現世で妖の存在は認知されてても、俺等が通ってるんは、普通の公立中学校。
俺等が人や無く妖って事は知られてるけど、常世の六華将の事とか鞍馬家の規模ついて知る人間は、この学校にほぼ存在せぇへん。
ある程度、同年代のその辺りの知識持ちが現世で現れるんは、異能科とか妖科なんかのクラスが存在する高校に進学した時やろなぁ、きっと。
「何でも、無いよ……。この前無理したん、もう大丈夫?」
「ああ、何でかあの時は治り遅かったけど、もう何とも」
「……良かったわぁ」
多分、ふわり……とか。そんな感じで頬が緩んだと自分で分かった。こういう風に笑うと、他の子が何でか気絶したり、七ちゃんが大興奮するんやけど、紙弦は慣れてるから安心やわ。今も「あっそ」で済ませてくれた。
一瞬強めの3人分の視線感じたけど……誰も倒れてへんね。良かったぁ。
※実は通りすがりのクラスメイト約3名、心の中で絶叫を挙げていた。
「(んああぁぁぁああああ!! 何の会話か分かんないけど、夜凪君の眠気抜けてない笑顔かわっこよぉぉぉおお!!)」
「(あそこ見てたら私の顔面偏差値が狂うよおおおお!!)」
「(梅雨守君は平然とし過ぎでしょ! 夫婦なの? 実はやっぱり夫婦なの? 正妻の余裕なのォ!?)」
念の為補足するが、夫婦では無い。
***
(三人称)
━━許さない……っ、許さないわよ春鳥……!!
荒れた薄暗い室内で、女は緩く巻いた茶色の髪をグシャリと掴んだ。
右腕はあった。
だが感覚はもう無い。何故なら偽物だからだ。
『戻ったぞ』
30センチほどの、隅で描かれたような薄い百足が天井から落ちてきて、女のすぐ目の前で言った。
「ッ! ……アンタ……鞍馬是是に入ってた……」
姿は最初に見た時とまるで違うが、声でそう気付く。
『随分と窶れたな、契約者殿』
女は怒鳴り散らしたかった。
━━お前のせいだ、と。
だがこれまで散々怒鳴った為、喉を痛めた彼女は思いとどまる。
「何の用?」
『違約金を貰いに来た』
酷く不愉快だと言わんばかりに、女は顔を歪めた。
「聞き間違い? 私は何も違反してないわ。したとすればアンタでしょう?」
『愚かな女だ……契約内容を忘れるとは』
女は更に顔を歪めるが、息を吐いてどうにか気を沈める。
「覚えてるわよ。アンタは『異界の外で自由に動ける体が欲しい』だったでしょ。それは私がお膳立てして、鞍馬是是に入った5年前の時点でもう叶った事。契約は成立したわ」
『期限を設けていない』
「ええ、そうね。でもそれは、設けなかったアンタのミスよ」
してやったりと、女の唇は弧を描く。
『何故……その腕が腐り落ちたか教えてやろう』
「春鳥のミスでしょう。もう帰って。私はさっさと失踪中のアバズレを見つけて、頭からつま先までグッチャグチャにして良いご趣味した紳士の皆様のベッドに放り投げなきゃいけないんだから」
『……本当に愚かだな、契約者殿』
ゆらりと、黒い百足の姿が霧となって空気に溶ける。
だがソレは一瞬の事。
魔族は、華奢な女へと変貌した。大人とも少女とも取れる━━熟れるよりも前、少し甘過ぎる果実のような頃合いだろう。
鋭いが、睫毛が長く形の良い瞳。左側の額から一本のみ突き出した黒曜石のような角。艶々と煌めくような黒髪は腰よりも下、恐らく腿まで届くほど長く、雪よりも白い肌との対比が美しかった。
だがその分、腕や胴に這うように描かれた百足の刺青が、不気味に映る。
「アンタ、女だった━━のぐァッ!?」
『真の魔族に性別の概念は無い。そんな事より、答え合わせをしようじゃ無いか』
何故、腕が腐り落ちる前に、予兆の術式が作動しなかったのか。
『俺の中に居た鞍馬是是が、姑息にもその術式を断ち切っていたから』
何故、治癒無効の仕込み刀で致命傷を与えた青年が生きていたのか。
『体の主導権を取り戻す事が、恐らく時折あったんだろう。俺の預かり知らぬところで、仕込み刀の刃を普通のものに変えたから』
まだまだ幾つも『何故?』は存在する。だが次に敢えて選んだのは━━━━。
『鞍馬七夜月の殺害に踏み切れなかった事』
は? 誰よそれ!?
という金切り声は無い。
『あの男は、何処までも姑息に、周到に、気付かぬうちに、俺を操っていた』
淡々と述べる魔族は、ずっと女の首を片手で絞めていて、その皮膚に、細い指を歪に食い込ませていたからだ。
『もう分かるだろう? つまり、貴様が俺に用意したアレは、完全に自由には出来ない体だった。言い訳しようの無い欠陥品だ』
「━━ッ!! ……ッ!!」
首にかかる力が更に強まり、上へ上へと視界の高さが変わる。そしてとうとう、女は畳の床から足が離れてしまった。
『……何よりも……ッ』
低く、唸るような声に続き、歯軋りが鳴った。
『……俺は彼奴に嵌められた。本来なら貴様の関節という関節を手すら使わず捩じ切れるというのに』
是是の手で。
あの暗い場所で。
『今は、この様だ……!
貴様の用意したあの欠陥品のせいで、俺の計画はまた振り出しに戻った』
暴虐無動の限りを超越し、
『違約金を徴収しに来て当然だろうがッ』
阿鼻叫喚のような苦痛と屈辱を刻み込まれた記憶が、魔族の脳を焼こうとする。
だがそこで一回、頭を冷やすように声を止めた魔族は、
『それで?』
手の平を返すように口調を明るく変えた。
急な温度差が歪で、魔族が、やはり人間や妖とも異なる独特な感性を持つ種族である事が窺える。
『貴様が望んだ『原作軸の歪み』とやらを最小限に抑える仕事は、酷く不愉快だったぞ』
一拍開けて、魔族は続けた。
『しかも追加で……あの鞍馬の倅が自分に惚れるよう洗脳しろ、だったか』
高く甘やかな声には、明らかな嘲笑が含まれていた。




