107-2 眠るように、夫婦はこの時を待っていたのです
(??? 改め、嗣聖視点)
時は大正。明治期に西洋化が進み、既に神戸の山手には、西洋建築が珍しく無かった。
その一角、小さなミルクホール内の窓辺にて、
「これ官能小説じゃねーかッ!!」
「ぶっ!!」
当時、まだ神楽寺 嗣聖と名乗っていた私は、渾身のグーパンにて後に夫となる男の鼻っ面をへし折った。
「つーちゃーん!? そんなのでもお客様! 流石にお客様にグーパンは駄目よ!?」
一見、黒のウェイター服が様になっている寡黙な男性店主は、口を開くとオネエである。
後ちょっと……否、動揺しているのか大分失礼な事を口走っている。
読み終えた原稿用紙を整えてテーブルに置くや、その横で鼻を抑えて下を向く下衆は放置し、私はマスターの居るカウンターまで戻る。
「マスター、あのお客様出禁にしましょう。全世界の女性の敵です」
「うーん、アタシも真っ昼間から初心な乙女にそんなの読ませるなんて思ってなかったけど……」
果たして、公衆の場で平然と濡れ場を熟読し、作者をブン殴る私を初心と言って良いものか甚だ疑問だけれど、今は目を瞑ろう。
「し……白ちゃん堪忍やで。ちょっと魔が差しただけやの」
「坊ちゃんてば、『ちょっと魔が〜』はもう許さないって言ったでしょ。それから、謝るなら私じゃ無くて、つーちゃんに謝って!」
とんでもない事実が発覚した。尊敬するマスターは、この社会の塵と個人的に知り合いだったらしい。
「ええと、『つーちゃん』で良えんかな?」
「いきなり愛称で気安く呼ばないで下さい」
「スンマセン」
正直、謝罪をされたところですぐ受け取るのは癪だけど、大事な金ヅルだ。子どもみたいに意地を張るのもどうかと思うし。
パッと済ませてもらって忘れよう。……全体的には、ちょっと面白い小説だったけど。
「御免なぁ、セクハラしてしもて」
「セク……? 何ですそれ?」
「もうちょっと未来で一般化する言葉やよ」
今年流行りそうな言葉なのかしら?
それにしても『未来』なんて、妙な言葉選びをするな? まぁ、でも……。
「謝罪の言葉、確かに受け取りました」
これで良し。もう金輪際、この男とは関わらない!
「有難うね。ところで一つ……良えやろか?」
すぐ後ろのマスターの顔色を伺います。
おっふ……申し訳なさそうな顔。断れない。
「何ですか?」
「結婚して♡」
首をコテンと傾けて、『きゅるん』という謎の音が聞こえてくる。
何でしょうねぇ……この自分の顔の良さを知っている者のみに許されし、あざといポーズは……。率直に言って、とてもイラッとする。
「…………」
「つーちゃん、お客様にフォーク向けちゃ駄目ェ! あっ、ナイフはもっと駄目よぉおお!!」
「奥様、大丈夫ですか!?」
……また懐かしい夢を見た。
その夢が霞んで瞼を開けば、最近新しく変わった私付きの女中━━憩と、懐かしい天井が見えた。
「……本邸?」
「ええ、そうです。お館様が此方のお部屋にと、昔、使われていたお部屋なんですよね?」
そうだ。常世の文化に慣れる必要もあったし、一時期現世は大きな戦禍に見舞われていた為、暫くこの部屋を使わせてもらっていた。でも……、
「……牢屋で無くて、良いの?」
「誰が奥様をそんな場所に入れるものですか……って、あの……奥様? 今、普通に会話……」
ゆっくりと。上半身だけ起き上がって、小面の面を付けている彼女の方を向いた。
「もう、演技をする必要が無くなったから。……ねぇ、何日か経っているのかしら?
━━私が、あの人を刺してから」
〜*〜結婚〇〇年目の告白〜*〜
『何であの時プロポーズしたんかって?
怒っててもクソみたいな俺の原稿、丁寧に扱ってくれたんがキッカケやなぁ。そんで、視えたんよ。どんなに想い合っても、つーちゃんは俺を後ろから刺せる、唯一の女やった』




