終局 ~ナイトメアカミング~
投稿遅れましてすみません!やや入れるべき表現やキャラクター同士の交流のカットを行っていました!更新遅れた事に対し、深くお詫び申し上げます。
――――マギーらが大きく動くほんの少し前。
アサド婆は薄暗いアルザスの歓楽街に繰り出していた。遊びに行くわけではない。そもそも店の殆どは堅く閉ざされているし、街全体に非常事態宣言がされている。
彼女の目的はモモとの会話で感じた違和感を確かめるためだ。”メアリ”という少女の実在を確認する。このアルザスの異変とはたいして関係がないだろうが、アサド婆としては放ってはいけない事の一つだった。
モモは信頼に足りるのか。
教会の古株として、アサド婆には後進の安全を守らねばなるまいという使命感があった。戦場の医者であった彼女は多くの命を救い、見送った過去がある。彼女の人を守りたいという気持ちは、並外れて強いのだ。
手元の紙切れをちらりと覗く。そこにはマギーがモモから聞き出した例の雑貨店の住所が記されている。顔を上げるとちょうどその看板らしきものが見えた。
ハァ、と一息つき、店の正面に回る。
「…なんじゃこりゃ?」
そこはまるで廃墟のようであった。入り口には堅く板張りがされ、とても人が住んでいるようには見えない。窓という窓にまで封がされ、中に何かを閉じ込めているようにすら思える。
とても人が住んでいるような場所ではない。アサド婆はもう帰ろうとしたが、好奇心が引き返す足を止めた。
どうせ今はだれも見てない。少しぐらい中に入ったっていいだろう。
狭い横道に入り、建物の裏側に回る。やはり裏口も板張りがされていたが二階の方はややおざなりで、とってつけたような薄い板が張り付けられていた。よじ登れば中に入れるかもしれない。
(やれやれ、久々にやんちゃでもするかね)
木の柵をよじ登り、屋根の雨を下水に流すパイプを掴む。子供の頃はしょっちゅう木に登って遊んだものだった。あの時に比べてこのパイプは細すぎるし、身体も大きくなった。だが、身体の動かし方は覚えている。
「よっ…と」
どたっ、と割と大きな音を立ててベランダに降りた。誰かいたらまずいと思い、聞き耳を立てるとハエが大量に飛び回る音が聞こえた。
中に入ると異臭がする。腐りに腐りきった嗅ぎなれたにおいだ。アサド婆は袖で鼻を覆い、においの強まる方向に進んだ。
わずかに開いた扉が見える。軽く押すと扉は奥に進み、ぶわぁ…っとハエの大群が飛び出してきた。
ベッドが置かれただけの質素な部屋だ。糞尿に塗れ、茶色くよごれたその上に白骨化した死体が二つ載っている。
一つは大柄で、もう一つは小さい。後者にはおさげの髪がゆわれているのがわかった。
(…ああ、なんてことだ。モモはこんな家に通っていたって言うのか?)
どうかしている。急いでここを出ようとして踵を返した瞬間、突然胸倉をつかまれ、投げ飛ばされた。
壁に激突し、倒れても余りある勢いはそのままアサド婆を階段から転がり落した。息をつく間もなく、彼女は動かなくなる。
とん、とん、と誰かが降りてきた。暗闇から溶け出すように、深緑のローブが姿を見せる。
その人影は裾を持ち上げ、一振りのサーベルを抜き放った。逆手に構え、鈍い輝きを放つ先端を老婆に向け―――。
「殺すな」
いつの間にか現れたもう一人に止められた。
「ここを見られた。生かしては置けない」
後から現れた方が視線をずらす。一階は至る所に奇怪な模様が描かれていた。さながら緻密画、数学式にも思える文字と幾何学画。それは知る人が見ればわかる、魔方陣であった。
ず…、と音がする。
壁から半透明の小さな少女が現れ、椅子に座る。
『そう、名前はね、何よりも強い封印っていうでしょ―――』
決められた台詞を淡々と、感情を込めて喋る虚構。
後から現れた方はふん、と鼻を鳴らした。
「ならば有効に使え」
「こいつごときでアレが甦るのか?悠長にやっている暇はない」
「上手く使えと言った」
深緑の方がため息をついた。うんざりだとでもいうように肩をすくめ、わかったと無感情に呟く。
床に転がったアサド婆を持ち上げ、埃塗れのテーブルに乗せる。顔に何かしらの塗料で模様を描き始めるがその手はすぐに止まった。
「なぁ。お前が謳う平和とやらのために、あとどれぐらいの人間を犠牲にすればいいんだ」
後から現れた方は体ごと深緑に向き直った。
「いくらでも。そう簡単に手に入るものじゃない」
「……ひとでなしめ」
ハハハハハ……とこらえきれないように笑う。
「手を汚しているのはお互い様だろう。貴様に私を糾弾する資格があるとでも?」
深緑はダン、とテーブルを叩いた。喉の奥から絞り出すように、相手の名を呼ぶ。
「……変わったな、”山猫”」
「そうか?」
”山猫”と呼ばれた人影は首を傾げた。
「何が一体お前をそこまで駆り立てる」
「……さぁ?」
茶化すのでもない、抑揚のない返事だった。わからない、と言外に滲ませているようにも思えた。
「とにかく……俺は”救世主”が払った対価に見合う物を回収しようとしているだけだ」
「ふん」
深緑はそれっきり興味を失ったらしく、黙々と作業に取り掛かり始める……。
■■■■■
「よし、一人目……」
ヨハンはふぅ、と息を吐きながら立ち上がった。血痕の追跡は対して疲れはしないが、長時間動き回りながらとなると話が違う。幕が上がる前の素人役者のように、絶えず全身を緊張させて集中しなければならない。
地図にマーキングを終えるとヨハンは”鈴”に話しかけた。
「そっちの方はいかがです?」
《―ああ。旧灯台近くだろう》
やや高めの男性の声が返ってくる。
彼は通称”ビリオン”クロード。先の大戦でのべ十億人も救ったとされる最後の魔術師だ。彼の伝えた誰にでも使える結界の簡易魔方陣(マギーが地下水道で使っていた)は人間たちの生存率を格段に上げたのだ。今では規制がかかり、”教会”関連者以外には知れ渡っていないものの、彼の功績が偉大な事には変わりない。
彼は今、”教会”に保護されている。貴重な人材を失わないようにするため…との面目らしいが、”ビリオン”クロード自身がどう思っているのかはわからない。
だが少なくともこちらに協力してくれているということは、特に不満はないということなのだろうか。
「もっと正確に…その、測量しましょうか」
《―いや、丸ごと塗りつぶしたから平気だよ》
「大丈夫なんですか」
《―いいんだ。大規模な術式として組みあげる魔方陣はパターン化されている。内側の書き込みに差異はあれど主要箇所が外枠にあることは変わりない。おおざっぱな形状を把握するだけで十分だ》
「…よくわかりませんが、大丈夫なんですね」
《―君の方が心配になってきたぞ。さぁ次は?》
通信の相手を変える。
「モモ、そっちはどう?」
つなげた瞬間、辛い呼吸を飲み込むような音がした。
《―平気ですっ。今、あたり一面掘り返してますっ七番街の路地……》
声が遠のき、何かやり取りをした後、ガラガラと崩れる音がした。余裕がなくて手当たり次第に血痕を探しているのだろう。
《―ありましたっ、土にいっぱい赤黒いのがこびりついてますっこれですっ」
「ありがとう!近くの建物には何がある?」
《―えっと……近くに家具屋さんがあります》
すぐにクロードに報告する。
《―七番街の家具屋が見えるところ…このあたりかな》
「どうですかクロードさん」
《―ふたつ、ふたつ、か。まだ把握できていない…四つ探してくれればなんとか割り出せそうだ》
「四つですか…」
一つはマギーが今調べてくれている最中だ。もう一個は自分が行くべきだろう。モモのあの呼吸の感じからして相当疲弊しているのは間違いない。ただでさえ怪我人の彼女にこれ以上無理をさせたくはなかった。
別の麻袋から血のこびりついた布きれを取り出す。ふぅ、と息を吐き、いざ集中しようとした矢先、”鈴”が鳴った。
《―あ、あの、ヨハンさん》
「モモ?どうしたの」
彼女からかけてくるのは予想していなかった。何か危険な事になっていないか心配で無意識にモモのいる方角に歩き出していた。
その感情が声に現れすぎていたのか、モモはそんなに身構えなくていいですよ、と返す。
《―思いついたことがあってですね。役立つかどうかわからないんですけど…》
「なんでもいい。言ってくれ」
《―今までの被害者って、たくさん血がでるようにしてこ、殺されたんですよ、ね」
「そうだけど…」
《―私を見つけた時の現場って、どうなってました?》
「そりゃもう、あたり一面血塗れで…あっ」
首の後ろあたりがしびれるような感覚がした。奴らは別に人を殺すのが目的というわけではない。血を捧げている課程で人間が耐えきれなくて結果的に死んだだけなのだ。だから、モモが死んでいなくても目的は果たされている。
「クロードさん!、町内南のワイン専門店の裏です」
《―どこ情報なんだい?》
「モモが襲われたところです。魔物の目的が何かの復活であるならば、そこには大量の血がしみ込んでいるはずです」
《―なるほど、一理ある》
彼に協力を表明する前に、一通り状況は説明してあったため、すんなりと話は進んだ。
「あとは…マギー!」
《―報告はさっきした!!》
突然の大声に顔をしかめる。締め切り当日の作家のごとく焦っているようだが…。
「マギー、何を慌ててるんだ?何か問題でも?」
《―そっちは早く場所を割り出せ!こっちも忙しいんだよ!」
「だったら助けぐらい…」
《―必要ない!》
また耳元で怒鳴られ、ヨハンはパっと鈴を離した。
息遣いからして走っているようだったが…。
《―ヨハン君。割り出せたよ。五芒の外枠だ》
「本当ですか!じゃあ、最後の場所は!?」
《―海岸前広場、アレス像があった場所だ》
■■■■■
マギーは《精霊の目》を使い、アサド婆の痕跡を探っていた。マギーは捜索能力という面では天使の中で頭一つ抜けている。《精霊の目》はうまく使いさえすれば追跡対象の過去の動きまで見ることができる。彼女の目は時間や空間といった枷から解放された究極の第三者視点なのだ。
だが……。
辿れない。
歓楽街にまで来たことはわかるが、そこからが異常なまでに断片的にされているのだ。それ以前までならしっかりと追える。モモと何かしら話した後、クロードへつながる周波数を教えてもらう前に聖堂を出て一直線に歓楽街へ。しかし、そこまでだ。
その一点から先はまるで別の存在に編集でもされたかのように、歓楽街に入ってからの行動がわからない。
(どこだ…アサド婆はどこにいる…)
焦燥にかられながら四方を見回した時、遠くでうめき声が聞こえた。
力天使の耳だからこそ拾えるか細い音。距離的には海岸前広場のようだ。
マギーは全速力でそちらに走っていく。
「アサド婆!アサド婆なのか!?」
広場に入り、名を叫ぶとアレス像の台座の裏から弱弱しい動きで、しわくちゃの手が出てきた。
「アサド婆なんだな!?」
裏に回り込むと、老女はどうやら折れているらしい左腕を右手で抑え、耐えているところだった。
「しっかりしろ!アサド婆。もう大丈夫だ。あたしが直してやるからな」
着ていたコートを脱ぎ、アサド婆の腕に巻きつけ、首に括り付けると即席の三角巾を作った。彼女は痛みで意識が朦朧としているらしく、されるがままだ。もしかしたら他にも負傷しているところがあるかもしれない。速やかに触診を行う。
「どうしてずっと連絡をしてくれなかったのよ。街は危ないって知ってたでしょ。護衛も連れないで何をやってたの」
「す…ずが、こわれて…ゲホッ直そうとしたら…もっと…」
「ちょっと、しっかりして」
肋骨の形状に違和感。ここも折れている。もしかしたら内臓に刺さっているかもしれない。服をめくると内出血の痕跡はない。下手に動かさない方がよさそうだ。
次いで、下半身の方に移る。靴の所まで見ると、何か踵に付着しているのが見えた。
(…”鈴”の中身?)
銀色の砂。光にあてなくても仄かに光る、魔法原料の加工した物だ。鈴の内部は細かいガラスで作った術式回路の中に、この砂を詰めて稼働させている。だから、壊れると砂があふれるわけなのだが…。
近くに壊れた”鈴”が転がってないか見回す。案の定近くに転がっていた。パッと見たところ不規則な割れ方をしている。何度も踏みつけたのだろうか。
奇妙だ。”鈴”は一定階級の天使に仕様書と一緒に配られる。内部点検のために分解方法も習得しているはずだ。
どうして直そうとして、分解しなかった?
「……アサド婆。あんた歓楽街でなにしてたの」
「怪しいやつ…をつ…けてた」
「それで?」
「あいつらの…最後の儀式の…場所が…わか…って」
「いつ?」
「マギーに…通信…した…時…」
「そう」
マギーは据わった目でアサド婆を捉えた。
「ならなんで”鈴”を壊した?」
沈黙。
次の瞬間、アサド婆の右腕がマギーに向かって突き出された。鋭利なナイフが握られている―――!
が、間一髪体に刺さる寸前でどうにか止めた。
「アサド婆!なにをされた!?おい!しっかりしろ!!」
しっかりと目を見て呼びかける。おかしい。明らかに常軌を逸脱している。
アサド婆は口からよだれをこぼしながら、マギーを刺そうと暴れて言うことを聞かない。仕方なく右腕に何度が打撃を加えて刃物をはじいた。
「アサド婆!」
「あぁ…あ…あたし…に…構わず…血を…」
その目はマギーの後ろを見ていた。
振り返るよりも早く、右足に熱い感覚。
立ち上がろうとしたのが、姿勢を崩し、倒れこむ。
「ぐっ…!あぁぁあッッ!!!」
あまりの痛みに腿を抱え込んで叫んでしまう。
脚を、刺された。
赤い液体がこぼれていく。体が急速に冷えていく。手当、手当をしなければ。
「…目的は達成した」
激痛で狭まる視界の中、血の滴るサーベルを携える、緑のローブを纏い者が映りこむ。
それは赤く染まった刀身を、アレス像の台座に突き刺した。
途端に地面が揺れだす。いや、揺れているのはそれだけではない。空間までもが…軋んでいる。ヨハンが必殺の一撃を繰り出すよりも大規模で……禍々しい…!
台座が砕け散り、何者かの腕のような物体がむき出しの土砂から突き出た。空の月を握りつぶすように、てのひらを握ると舗装された道路が砕け、地割れのごとく出現した亀裂から暗雲が迸った。瞬く間に何もかもを真っ黒に塗りつぶされていく。
「何が…起こって…」
マギーは茫然と惨状をみることしか、できなかった。




