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急変 ~ファウンデッド~

 「ほれ、これ持っときな」


 ひざの上に追加された、野菜の入った袋を見て、ふとモモは、何をしているんだろう…と考えた。

 気が付くと露天市場(マーケット)につれてこられてアサド婆の荷物もちをさせられている。ぼーっとしていたモモはちょっとこれまでの事を思い出す。

 

 (確かマギーさんに知っていることを洗いざらい吐いて、疲れちゃったんだっけ)


 とりわけ、昔のことをしゃべるのはモモにとって一番苦痛だった。いやがおうにも、”彼女”の死を思い浮かべてしまう。そして思い出せば、胸の奥がのこぎりに抉られ、かき乱されて、痛くて仕方がない。


 袋からトマトを一つ取り出し、みずみずしいそれをぷにぷにとつつく。手でもてあそぶうちに大きな傷がついているのを見つけて、アサド婆に取り換えたほうがいいと言った。


 (それで、疲れたら体を動かすのがいいってアサド婆に連れてかれたっけな)


 市場は人が多く、とても賑やかだ。陽気な雰囲気が満ちていて道行く人達は皆気分がよさそうに見える。

 すれ違う子供と目が合って、ニコリとほほ笑む。向こうもニコニコして通り過ぎていく。


 ここはめぐるましく変化と出来事があって、退屈はしない。明るいところはモモも嫌いではなかったが、なんというか、少し慣れない感覚があった。


 ささいな違和感とでも言うのだろうか。この場所に存在はしている。ただ、どこかおぼろげな自分として立っている。空気に溶け込めない。


 ひとごみは昔から苦手だったが、最近は特にそんな傾向が強い。


 ずい、と横から汚白色の端切れが現れた。頭を傾けるとアサド婆が何か買ってきたらしい。


 「何ですかこれ」


 輪切りのバナナのように見えるが、果たしてそれは八割がた正解だった。


 「バナナチップスだよ。食うかい?」


 首を動かして食べようとしたチップスがひょいっとアサド婆の口に消えていく。

 唖然とするモモを見てアサド婆は吹き出した。ごめんごめん、などといいつつもう一枚をモモに差し出す。


 モモはぱくっ、といただこうとしたがすんでのところでまたアサド婆がひっこめたのでモモはうなった。


 「からかうのやめてくださいよ…」

 「悪かったって。若い子はいじりたくなるのが年寄りの性分でさ」


 ギャハギャハ笑う老女に、モモはむっとしてそっぽを向いた。

 悦に入ったアサド婆はモモにちょっかいを出してみるが、モモは口をとがらせて無視する。


 「もー。怒るなよー」


 つん、つん、と指がほおをつついてくる。モモはふくれっ面を作って指を押しのけた。するとアサド婆はバナナチップスを袋ごと渡してきた。


 「許します」

 「はは、ちょろいね」


 モモはじとっとした目でアサド婆を見つめた。そんな顔してもかわいいだけさ、と言われてモモは目をそらし、照れ隠しにチップスを何枚か咀嚼した。


 さくさくした歯ごたえに、バナナ特有のまろやかさがよく合う。これからおやつはバナナチップスにしよう、とモモは決めた。


 アサド婆が車いすを押し、景色が変わり始めた。

 店の天幕につられた商品が後ろに流れていき、人との間に交じって色彩豊かな様相を呈している。


 こんな風にまるで歩いているように風景が見れているのは後ろでおしてくれる人の存在のおかげだろう。モモは、素直な感謝の念を伝えた。


 「あの、アサド婆さん」

 「なんだい?」

 「車いす、押してくれて、ありがとうございます。あと、バナナチップスもおいしいです」

 「ああ、どう、も?」


 アサド婆にしては珍しく戸惑ったような返事だった。


 首をひねり、振り向くと、彼女はあんましこんなことでお礼を言われたことないんだよ、といった。


 「どういうことですか?」

 「皆怪我して聖堂に運ばれて、看護されるのがあたりまえの事だって思ってるのさ。事実そうだよ。……だけど、やっぱりお礼をいわれるとやりがいを感じるもんだね」


 アサド婆の明るい表情につられ、モモの口角もあがる。アサド婆はあざといやつめ、と言いながらモモ頬をつんつんした。


 「昼ごはんは何を作るつもりなんですか?」

 「ミネストローネをつくろうと思ってさ。牛肉入りの」

 「お肉入り、ですか。えっと、私はお肉が食べられなくて…」

 「ん、ベジタリアンなの?」


 モモはやんわり首を横に振った


 「いえ、ただお肉だけ食べられない体質なんです。乳製品とか、たまごは食べられるんですけど…」

 「じゃあモモちゃんのぶんだけ肉ぬいとくね」

 「ありがとうございます」


 そういえば、とアサド婆は思い出す。包帯を変えるときにモモは傷口をみないようにぎゅっと目をつむっていたのを思い出した。もしかしたらグロテスクなものが苦手なのかもしれない。


 「ひょっとしてモモちゃんは生肉とか見るの苦手?」


 モモは苦い顔で頷いた。

 アサド婆は少し考えて、モモを市場の外に連れ出すことを思いついた。

 さっそく車いすを押して、市場を抜け出す。抜けた先には海岸通りの広場がある。

 確か、通報があった現場も近くにあるのできっとヨハンもいるだろう。他にも天使たちが巡回しているし、問題はない。

 この時点でアサド婆はヨハンが偶然モモの身体を見たことは頭からすっぽ抜けていた。




■■■■■ 




 結局ヨハンは数時間も現場に残り、集められる情報を自分ができる限り集めた。むろん、昨晩倒した魔物の破片も何人か現場に出張っていた天使に手伝ってもらい、探したが結局見つからなかった。

 ほとんど全力で吹き飛ばしたのだ。むしろ残っている方がおかしい。


 ヨハンは彼にしては珍しくため息をつき、昨晩の戦闘の跡が残る広場の階段にこしかけた。

 

 元はアレスの像が立っていたというこの台座。戦車を駆り、勇壮な表情とポーズを見せつけていたはずの像は粉々になっていて、遺体でも隠すようにぼろ布がかけられている。


 自意識が足りなかった。


 天使は敵を倒すための存在ではなく、人を守るための存在だ。

 守護者が、その背にかばうものを傷つけて、何になるというのか。


 ヨハンは再度マギーに連絡するべく鈴を手に取った。ほんの少し念を込めると起動する。


 「こちらヨハン。調査の途中報告を――――」

 《ズ、ザザザザ、ガ、ピー》


 帰ってきたのはノイズだった。何度やり直してもノイズしか帰ってこず、ヨハンは仕方なく元の位置に鈴を戻した。


 「繋がらないなぁ。直接行くしかないか」


 そう思い、立ち上がると遠くの方から自分を呼ぶ声がした。

 アサド婆が車椅子を押しつつこっちにやってきている。


 「おーい、ヨハン!ちょっとこの娘見てやってもらえない?」

 「あ、はい。全然いいですよ。どうしたんですか?」

 「この娘、生肉見るの苦手らしくってさ。あたしゃチョイと買ってくるからそれまで見てて欲しいんだ」

 「わかりました」


 ヨハンは快く引き受けた。

 車椅子の少女は亜麻色の髪をしており、銀色の瞳とその横の眼帯が目を引いた。


 目が合うと何故か彼女は恥ずかしそうに目線を落とす。

 そこでヨハンは彼女が自分が浴室でばったり出くわした少女だと気づいた。


 あっという間に気まずさが広がる。


 「えっと…」


 ヨハンはどうしていいか考えあぐねて、それっきり言葉が続かなくなった。ごまかし笑いをするが白々しさが過ぎる。即座に辞めた。

 

 自分がしでかした事の破廉恥さを再度自覚し、ヨハンはこの責任をどうとるかを必死に考え始める。


 周囲には人の声や、動く音が時々聞こえる。子供がぺたぺた走り回ったり、それを親がいさめたり、市場に搬入する行商の列が横切ったりしている。


 モモはモモで、この気まずさを払うには何かしら喋った方がいいとわかってはいたが、お互いの事をほとんど知らない状態でどんな話を振ればいいのか、見目もつかず、黙っている。


 「あのさ、ちょっと、話聞いてくれるかな」


 ヨハンはどうにか言葉を整理し、モモに話しかけた。


 モモは少し、顔をヨハンの方に傾ける。

 彼はモモの眼をしっかりと見つめ、それから深々と頭を下げた。


 「風呂場の事、ほんっとうにごめん。嫌だったよね。…その、俺は馬鹿だから、なんて言えばいいのか、言葉もうまく選べないけど、でも、本当に反省してる。女の子にとっては許せないことだろうけど、この通りです。ごめんなさい。もうこんな事がないよう気を付けます」


 いきなり頭を下げられて驚いたのはモモの方だ。

 モモは慌ててやめてください、とヨハンに上げさせた。


 「あの、…その事は気にしてないわけじゃないし、嫌です。…ですけど、貴方は、私を、助けてくれた人です」

 

 モモは、ふぅ、と一息ついた。


 「ですから、この事は水に流しちゃいましょう」

 「えっ」

 「男女風呂の区別をつけるのれんがなかったんですよね」

 「そう。だから適当に入ってそしたら」

 「うん。じゃあ不可抗力ですよ」


 ヨハンは目を丸くした。


 「…怒ってないの?」

 「……恥ずかしかっただけです。特に怒ってはいません」


 モモがそういうとヨハンはほっとしたような顔になった。同時に、これからは気を付けなければ、と心に誓う。


 「そっかぁ。でも、本当にごめんね。俺、今までこういう事一切なかったし、謝る以外に出来ること思いつかなくて。許してくれなかったらどうしようって、考えてめちゃくちゃビビってたんだよ」


 自分の思ったままの事を話すヨハン。モモは彼の言動に誠実さを見出した。


 「許すも何も…。命を助けてもらった恩人を悪く思うことなんてとんでもないです。もう、風呂場の話は恥ずかしいからやめませんか?」

 「あっ、そうだね。ごめん」


 ヨハンは少し不注意だったかと思って真顔で謝った。その少し間抜けな顔にモモは小さく笑った。


 「確かにマギーさんの言うとおりですね」

 「マギーが俺の事言ってたのか?」

 「はい。いい人だって言ってました」

 

 あのマギーが……。

 ヨハンは今まで受けてきた数々の暴行を思い出しながら、感慨深げに腕を組んだ。


 「にわかには信じ難いが……でも、お前がそう言うんなら本当なんだろうな」

 

 そこで一呼吸ぶん間が空き、ヨハンはよし、と手を打った。


 「改めて自己紹介しようよ。俺はヨハン・オクトーバー。パリ市中央教会所属の力天使だ」

 「モモ・クレムです。喫茶『Ile Sole』で働いています」


 よかったらお昼はそこで、とモモはお茶目に言う。


 「おいしいの?」

 「保証しますよ。タマゴとレタスとハムに、バジルと肉と一緒に煮込んだ特性のトマトソースをかけたソーレ・サンドがおいしいらしいです」

 「らしいってなんだよ」ヨハンは語尾に笑いを含める。

 「私、お肉が食べられなくって」

 「抜けばいいじゃん」

 「お肉ありきのおいしさなんですよ」

 「ああ、そういう」


 モモは頷く。


 「でも昼と夜の注文がとても多いので人気かつ、おいしいのは確かですよ」


 じゃあお昼はそれにしようかな、とヨハンは心の中で呟いた。


 少し会話が途切れたので、ヨハンは新しい話題を振る。


 「好きな事とかある?趣味とか」


 んー…、とモモは少し考える


 「本を読んだりとか…サイレント映画を見たりとか、あとは散歩ですかね」

 「マジか。びっくりした。俺もそういうの好きなんだよ」


 ほんとですか、とモモは軽く吹き出した


 「どういう本読みます?」

 「推理小説かな。ポーのモルグ街の殺人。あれ、まさかオランウータンが犯人だとは思わなかったよ」

 「ほんとにそうですっ、あの窓枠に引っかかった毛から推理するシーンとか、ほんとに好きです」


 しばらく二人は本の話に興じた。


 「シャーロック・ホームズって知ってます?」

 「あぁ、知ってるよ。コナン・ドイルが書いた『緋色の研究』に出てくる探偵だろ」

 「…てっきり冒険の方を出してくるかと思いました。意外にマニアックなんですね」


 いやー、とヨハンは後髪をかいた。


 「活字中毒の上司がいてさ。めっちゃ偉い人なんだけど、その人に感化されて」


 あっ、と何かを思い出す。


 「確かその人も小説書いてたな。ライター名はベルナドット・クリスチャン」

 「あ、知ってます。比較的若い人向けの小説、空想小説と題してシリーズ化している人でしたよね」


 そこでモモも何かに気づいた。


 「ん?ということはベルナドット先生は教会関係者なんですか?」

 「あぁ。ここだけの話、そのベルナドット先生は”教会”(エクレシア)関係者なんだ。本名はシスティーナ・ベル。天使の階級で二番目に偉い”智天使(ケルディム)”って役職についてるんだよ」

 「わぁ…すごいですねっ」


 モモは目をきらきらさせながら言った。作品にも、作者にも敬意を払っているようだった。今度会ってもらえるかどうか聞いてみるよ、と話すとモモはとても喜んでいる表情になった


 と、ひとしきり会話が弾んだところでヨハンは少し妙なことに気が付いた。何か足元でうごめいているような気がするのだ。巨大な動物の、拍動のような。


 だがそれは体感にして一秒の数十分の一で、おそらく蚊がぶつかった程度の違和感であった。実際、ヨハンはちらっ、と目線を下に動かしただけで、


 モモの手がヨハンの腕に触れていた。


 「クレムさん?」


 ヨハンは明らかな怯えを示す彼女に、少し困惑した。

 

 彼女も、この違和感を知覚しているというのか?


 (いや、クレムさんは一般人のはずだろ。でも…)


 明らかに怖がっている。その反応は確かに、尋常ならざる者の気配を感知した者のとるアクションとしては間違いなく適していた。


 不思議な空気に包まれる二人。そこから離れた場所で突如、悲鳴と怒号が上がった。


 ヨハンは反射的に立ち上がり、モモの手が彼から離れる。

 モモの顔は怯えを浮かべ、その銀色の眼はヨハンを案じていた。


 「大丈夫。すぐに片づけてくる」


 こちらに逃げてくる警官が見えた。ヨハンは彼に、モモを安全なところに連れていくように頼むと、剣を引き抜いて異変に向かって走っていった。

 一度振り返ると、騒ぎを聞きつけたアサド婆もちょうどモモと合流できていたようだった。


 いざ現場に立つと、想像を超えた事態になっている。

 

 先ほどの死体が並んでいた現場、巨大な黒く塗りつぶされた影法師のような軟体動物がぐねぐねと激しくのたうち回っていたのだ。


 「真昼間から魔物が暴れているだと?」


 …ありえない話ではない。

 昨晩の戦闘による恐怖は十分すぎるほど蔓延している。ずっと潜伏していた化け物が、突然のご馳走に味をしめ、さらに恐怖を欲するべく地上に姿をあらわしたのだろう。


 あるいは……何者かの意図的な使役による顕現か。


 (どちらにしろ、目の前の奴を倒せば手がかりは得られるはず)


 ぎゅるん、と爬虫類じみた黒目の細い、巨大な眼球がヨハンを捉える。

 次の瞬間、軟体が金属にも似た輝きを放つ鋭い刃を形成し、ヨハンに斬りかかった。


 尋常ではない剣速、風を切る音は大きく、それだけ威力が凄まじい事を如実に表している!


 ゴォン!と、ヨハンが掲げた剣と激突し、一瞬の火花の後不可視の圧、衝撃波が街中を駆け抜ける。

 至近のガラスは砕け散り、石畳は吹き飛び、遠く離れていた人まで威力の余波でつんのめる。


 「ウェェェェェッッ!!」


 自慢の馬鹿力で魔物を突き飛ばし、ヨハンは剣を大上段に戦いを開始した

 


 

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