思考 ~アリアドネ~
ライン川周辺。
セルギウスは野営地の中心にある大きなテントで被害報告や、消費した弾薬、食料などの総数を確認している最中であった。
司令部を兼ねるこのテントにはひっきりなしに人が出入りをする。セルギウスは今回客将という立場なので指揮官は政府の人間が務めていた。
「さすがですなぁ、熾天使殿!」
こちらに話しかけてくる若い男が指揮官だ。シャルル=シモン。急遽の人物の異動にも手際よく対処し、手配してくれたやり手だ。
戦闘の際も、セルギウスの盾の加護をよく理解し、運用をしてくれた。
「シモン少佐の方こそ。稀に見る良き采配でした」
「ははっ、熾天使殿のカルカッソンヌの城壁のごとき奇跡の業ありきの戦術ですよ」
彼は快勝の興奮覚めぬ様子でにこやかに言った。
セルギウスの持つ力、盾の加護。
単に超能力に目覚めただけでなく、さらなる段階へと至った半神の証。
”教会”はそれを”奇跡”と呼ぶ。
教会の最高戦力の一人、セルギウスの持つ”奇跡”は、数キロメートルにも及ぶ巨大な神聖なる障壁を生み出し、森羅万象、有象無象の攻撃を無効化するというものだ。
シモンはこれをうまく利用し、魔物を誘い出し、銀弾用いる銃で撃ち漏らした敵をこの障壁で押し出し、解除した瞬間に掃射を叩き込むといった戦法でライン川での戦闘を制した。
手柄を教会に多くは譲らず、政府の軍がより戦果を出せる実にぬかりのない、やり方だ。セルギウスは人当たりのよい笑みを浮かべながら、そう評価した。上が判断するのは貢献度ではなく、討伐数なのだから。
「ところで死傷者はおりませんよね」
「当然です。私がここにいる限り、誰一人として死なせはしない。約束しましょう」
「ずいぶん強気でいらっしゃる。頼りがいがあるとはこの事か」
「ええ。この手が届くすべてを守り切る。それが私が授かった盾の加護、そして神から与えられた責任―――使命だと思っておりますので」
トン、とセルギウスは積み上げられた目の粗い紙を整えた。
シモンはどことなくセルギウスが何か言葉をとどめて居ると感じ、彼に話すように促した。
「いえ、些細な事ですが…」
「言ってくれ、ベルナード殿。貴方の方が私より戦争経験が多いはず」
セルギウスは目を閉じ、小さく息を吐いた。
「敵に勢いがなさすぎる」
「そうでしたかね。あの橙色の聖なる壁を前にしたら、無理もないかと思いますが」
「お怖気づいたと?ははっ、アレらはそんな子犬のようにかわいらしいものではない。本来ならばもっと苛烈に……」
人魔大戦の記憶―――。
セルギウスが展開した”奇跡”の盾に醜悪な魔物が食らいつく。その冒涜的な爪が通らず、体は浄化され、溶け出しつつあるのに、なおも攻撃を繰り返す。
力の上では圧倒していたが気迫で負けていた。セルギウスは彼らと対峙する時にある種の畏怖を伴って、戦地にでている。
だが…この戦いでの魔物達にその感情は抱けなかった。気合とでも呼ぶべき狂気的殺意がまるで感じられなかったのだ。
何か、裏がある。セルギウスが90年以上培ってきた経験が、そう思わせた。
「シモン少佐。確か、食料はまだ二週間ほどありましたよね」
「ああ、そうだが?」
「…もう少し、ここに布陣しましょう。まだ敵は来る」
指揮官の顔が引き締まった。
彼はセルギウスをよく分かってくれている。
人魔大戦を潜り抜けてきた者の言葉の重みを、理解している。
「では、兵装は収納させず、武装した状態で過ごすよう命令を伝達しておきます」
「ああ、いや流石に鎧の重装備は不便極まりない。鎖帷子だけ身につけさせておくよう指示を。それと私が1度だけ攻撃から身を守るルーンを刻んだ石を今から作ります。見張りは多めに。私からの注文は以上です」
シモンはテントから出ていく。
果たしてこの戦いはどこに行きつくのだろうか。
セルギウスは静かに、アルザスの方を向いた。
■■■■■
「はぁ…」
与えられた個室のベッドに倒れこみ、寝そべりながら髪の束ねをほどく。疲れ切った頭に浮かぶのは意味不明の四文字。
モモからの情報を根ほり葉ほり聞いたが、まるで役に立ちそうもなかった。とにかく、事件に関係のありそうな事は全てメモした。ざっくりとまとめるとこうだ
当日、モモが異形に襲われたのはメアリが夜間外出禁止令が出ている中、危篤の祖父を助けるために聖堂に薬を取りに行くのに付き添ったからという。
モモはメアリと同居しており、なかなか親交は深かったらしい。
次に個人に関しての情報だが、モモは喫茶『Ile Sole』で勤務しており、週6日、八時間の勤務をこなしている。学校には通っていないが、会話からは高い教養が伺え、政府が定める年齢度別学習到達点には十分達していることが予想できた。
その他昔の事は本人がどうしても語ろうとしなかっ
たために聞き出せずに終わった(特に五年前、本人が十歳の時に過ごした一年)。
成果と言えば、肖像画がモモだと確認できたことぐらいだ。
実際に見せて、本人が頷いた。
瞳で左右の色が違うという点に対してはモモは昔はそうだったと答えてくれていた。今のモモは両方とも銀色をしているが十歳の頃までは違っていたのだそうだ。
ただ、色までは答えてくれなかった。教えても特に困ることではないはずとマギーは思ったが、彼女はモモの意志を尊重し聞かないことにした。こちらの要件はすでに達成したのだから。
「八方塞がりね」
白い天井を仰ぎつつ小さくつぶやく。
今の所後手後手に回っている。
思いついた方策をすべて実行してもだ。
”賢者の記憶”の三つの予言、アルザスの俯瞰図、タロットカードの戦車を駆る勇士の絵、モモの肖像画。
それらからかろうじて推察できる範囲でマギーらは行動した。
タロットカードの解説書によれば戦車は急変や破滅を意味し、これに上記の図と昨晩襲われたモモを組み合わせると一応整合性がとれる。
だがそうではないのか、このアルザスに起こりつつある異変はなおも今朝のように犠牲者を出した。
まだ終わっていないというのならば、これもまた予言としては正しいことになる。
「くそ、予言が予言として使えてない。全部事後に私がつじつま合わせしているだけだ」
考えろ考えろマギー、マグノリア・オードリー。
集めた情報をすべて頭の中に浮かべ、目を閉じたままパズルのピースをはめるように一つ一つ、つながるかどうか試していく。
そもそもこの任務は、ライン川での戦闘で蹴散らした魔物の残党がアルザス市街に紛れ込んでいないか確認するためのものだ。
ということはあちらでの戦闘での結果と照らし合わせてもいいのでは?
マギーはベッドから体を起こし、手帳に記述を始めた。
ライン川の戦闘は圧勝に終わった。
魔物は特別統率の取れた様子もなく、こちらの天使と政府軍混成部隊の陣の前にあえなく散ったという。
不審な大砲破裂事件もあったらしいが、それはさして重要ではないだろう。
ただ気になる報告が、主天使との通信で一つだけあった。
それは熾天使セルギウスの呟きだった。
「魔物にしてはあっさり引きすぎる」
主天使ラクスが頭に残ったという一言。マギーは思索の輪をさらに広げる。
彼と、セルギウスは人魔大戦経験者だ。
聞いた話ではあるが、ラクスも力天使として前線に立ったことがあるという。セルギウスはいわずもがな、大戦果に次ぐ大戦果で教会内では英雄視されている。
今回のライン川の戦闘は天使部隊200人に徴兵された人間300人の混成部隊と中規模な魔物の群れの小さな戦闘だ。しかし、それでも人魔大戦をきっとセルギウスは想起したのだろう。
それが、敵の引き際がいい事に対する違和感に繋がった。
「ラクス。聞こえる?」
〈―――はい、聞こえますよ〉
マギーはさっそくラクスに連絡を試みた。
「あんたの個人的な体験でいいから、人魔大戦の時の魔物の印象となにか具体例を教えてくれない?」
はぁ、と無線機から少し困惑したような声が返ってきた。
〈―――うーんと、死んでも殺すって印象でしたね。具体例は…そうですね、四十一年前になりますけど、ドイツのルクセンブルク奪還戦って知ってます?〉
「えぇ。曇天の雲の合間に飛行船を飛ばし、降下部隊と包囲部隊で挟撃をかけ、辛勝した戦いよね」
〈―――はい。その通りです。私もその作戦に参戦していましてね。実は占領していた敵指揮官『白羽狩りのゴブニュ』に止めを刺したのは私なんですよ。四人1チーム、20チームで空から敵本拠地めがけて一気に強襲です。敵の指揮を抑え、市街地で有効な迎撃をされる前に速攻でやっつけてしまおうという作戦です。
私のチームは敵中枢を叩くのが任務でした。ヤツは強敵でしたよ。こう、仲間と四人がかりでどうにか対等にやりあってて、いえ、むしろ圧倒されていましたね。『白羽狩りのゴブニュ』に傷は殆どなく、こちらは満身創痍でした。だって、三メートルもの巨体で、こちらより素早く、そしてパワフルに動くのですから。
長い戦いでした。戦闘の余波で、魔物側の基地を守る壁はひび割れ、やつが指揮を執っていた部屋は更地と化して、横やりを入れに来た魔物は例外なく血溜まりに埋もれました。
このままでは負ける。生き残った他のチームのメンバーも……三人しか残ってませんでしたが、加勢しようとしていました。でも戦いが激しくて入ることができなかったそうです。
そして激しい剣戟の最中、偶然、一人の銀の剣の突きが胸に当たったんです。致命傷ですよ。
『白羽狩りのゴブニュ』の動きが一瞬止まりました。彼は自身に刃を届かせたその力天使を一撃の下に葬り去りました。
ですが、明らかに動きは精彩を欠いていて、その攻撃の直後、もう一人の仲間が武器を握った腕を斬り飛ばすことに成功したんです。
このチャンスに私を含め、残った三人人は絶叫しながらやつの体に各々の武器を突き刺し、全力で残ったレンガ作りの塔に叩きつけました。
『白羽狩りのゴブニュ』はそれでもなお、闘志を見せました。私は偶然、目が合って、思わず恐怖で剣を引き抜き、その喉を切り裂きました。今はもう決してあんな早い太刀筋は打てないでしょうね。それぐらい、やつの殺意というか、意志は恐ろしかったんです。狂気じみていました。ですけど、これで終わりじゃないんです。本当に恐ろしかったのはこの後だったんです。
二つの致命傷を受けた『白羽狩りのゴブニュ』は目を見開いたまま事切れました。ちょうど包囲部隊も市街地を制圧したようで、私たちは戦いがおわったのだと、安堵したものです。私が気を抜いたその瞬間、それは起こりました。
死んだはずのオークが私の足首をつかんだんです。私も仲間もまだ動けるとは全く思わず、対応が遅れました。私はあまりの恐怖に半狂乱になって助けを呼びました。仲間が伸ばした手は一つたりとも私に届かず、長年連れ添った剣は手から滑り落ちて…。絶望というものを初めて具体的に感じた瞬間でしたね。
『白羽狩りのゴブニュ』は猛烈な勢いで走り出しました。私は引きずられて、ろくに抵抗もできませんでした。殺される、そう思った直後、不意にやつの動きが止まりました。
そうです。『白羽狩りのゴブニュ』は既に死んでいたのです。それにも関わらず死に際の執念で動き出したのです。一体、何がそこまでやつを駆り立てたのか。今になっても全く理解できません〉
情景がまじまじと浮かぶようであった。
マギーは凄絶な戦争を経験した物の語りに魅了され、それが一旦途切れたことでふぅ…と息をつく暇を得た。
「……だから、あなたは杖をついているのね」
〈―――そうです。右足首を複雑骨折した上に、強力な呪いがかけられていて、おかげさまで切除しました〉
「あたし天使やめようかしら」
〈―――あはは、安心してください。もうこの時代にそこまで強力な魔物はいませんよ。あらかた私たちの代がやっつけましたし〉
「そういう事じゃないわよ……まぁ、いいわ。参考になった」
それは何よりです、とラクスが言う。
彼らの話からわかったのは一つ。
人魔大戦時代の魔物は死んでも殺しに来る。とにかく殺意全開で来るということだ。なるほど、そんな頭がおかしくなりそうな時代に生まれた彼らなら、あっさりと撤退をした魔物に対して当然違和感を感じるわけだ。
では魔物のそのイカれた本質が今に至るまで変わっていないというのなら、なぜ、ライン川の彼らは全滅するまで殺しに来なかったのだろうか。
末端の雑魚しかいなかったからか?
それは違う。
ラクスの語りの中に、横入りしようとした魔物は例外なく血だまりと化したとあった。すなわち、弱い魔物に至るまで人間を殺すという殺意は、感情は、鋼鉄の柱のように屹立しているのだ。
それが引いた。
理性的な行動をした。
「何か…指導者がいるのか?」
ライン川の魔物の群れは、ただの群れではなく、指導者に従う、兵力?
間違いない。
このアルザスの異変とライン川の戦闘は密接に繋がっている。
だが、それでもなお、敵の意図が読めない。一体なにが目的なのか。大量殺戮が目的ではないのか。アルザスに逃げてきたのは本当に魔物の残党なのか。
いまだ五里霧中。しかし、道筋は朧気ながら見えた。
マギーは髪をほどいたまま、部屋の外に出る。
階段を昇り、ゴシック建築の柱の間をぬって、日当たりのよいテラスに出る。
行き詰った際は場所を変えるのがマギーのやり方だった。
手元のファイルから、本日付で死亡した戸籍になる三人に関する情報の乗った羊皮紙を取り出した。今度は被害者同士の関係から事件の解決の糸口を探ろうというわけだ。
一人目、ペトラ・マカ―トニー。68歳の女性。娘との二人暮らしで、年金生活を送っていた。
二人目、アーノルド・ヘップバーン。71歳の男性。郵便局で現役の配送主として働いており、妻と暮らしている。
三人目、アンドリュー・ルベン。31歳の男性。喫茶店『Ile Sole』に勤務。一人暮らし。
やはりこれも予想通り、わからない。
発見場所はいずれも大通りに面しており、まるで注目を浴びたいとでもいうように放棄されていた。
マギーは次に地図を取り出し、発見された場所をマークしてみる。線をつなげるといびつな三角形が出来上がっただけだ。
もう一度リストを振り返るが、三人の間に交友関係はない。無秩序に殺した。魔物ならば納得できるが、今回ばかりはそうはいかない。
「…………」
集中力の途切れたマギーは遠くの景色をみやった。アルザスの街外れにある聖堂からは濃緑の山肌がよく見える。
自然の余裕気な鎮座具合にマギーはふっと自嘲気味に笑った。
なんと些末なことか。自分がここで頭を抱え、苦悩しているというのに、世界はただそこに横たわっているだけだ。
自分には何も変えられないのでは?
そう思うぐらいに、悠々。
いや、違う。
マギーはため息をついた。
変えられる。少なくともこれから人死には出させない。たとえ、空気の中の矮小の限りを尽くした埃の程度でも変わることには違いない。
気を取り直して、マギーは再三、思考に没頭した。
そういえば、死者ばかり気にしていて、モモを忘れていた。彼女は運よく死を免れたが被害者であることに変わりはない。
四人目、モモ・クレム。15歳の少女。喫茶『Ile Sole』で働いている。
「…………!」
モモと、アンドリューは同僚?
何かが、ぱちりとはまる音がした。
これは、偶然ではない。直感がそう叫んでいる。
マギーは大急ぎで資料をまくった。
ペトラとアーノルドの職歴、来歴をあさる。
すると二人は過去に喫茶店、『海の窓』で働いていたと記述がある。根拠は薄いが、もし、マギーの考えが当たっていたなら、これは『Ile Sole』の前身に違いない。
魔物は『Ile Sole』の関係者を狙っている。
いてもたってもいられない。
走って事の真偽を確かめるべく、モモの部屋に駆け込む。
が、もぬけの空だ。
マギーは近くを通りがかった修道士に話を聞いた。
「ねぇ。なんでモモがいないの?」
「そ、それは、イスマイール司祭が連れていかれました」
「は?」
「買い物がてらリハビリだとか…」
マギーはいらついて頭を抱えた。こんな肝心な時に一体何をしているのか。




