未完 ~ネクストサクリファイス~
濡れた頭をタオルでわしゃわしゃと拭いてもらう。吸水性がいいのか数分もするとあらかた水分が取れていた。
一旦デタラメに乱れた髪を今度はブラシで梳かれる。自分でやる時は何も感じなかったが人にやってもらうと心地良い。美容室がやっていけるのもこういう理由からだろうか。
「はい、終わりましたよ」
「ありがとうございます」
モモは修道女に一礼した。
結局あの後なんだかんだ言って風呂には入る事にした。アサド婆が詫びだの何だの言ってゴリ押されたのである。どんだけ風呂に入れたいんだという話だが、いざ入ってみるとそういう細かい事はどうでも良くなった。
怪我の痛みが入る前より和らいだ気がする。
一通りオーラルケアも多少の化粧も終えたモモは修道女に支えられて浴室を出た。
すると廊下の角に長身の女性が立っているのが見えた。青のメッシュが入った長い黒髪が特徴で、目つきは鋭く、身体は引き締まっていた。服装はまるでどこかの軍隊の物のようであったが、教会のエンブレムがついている。
「どう?スッキリした?」
モモと目が合うなり、彼女はそう問いかけてきた。
「は、はい」
つっけんどんな物言いにモモは少し怯んでどもってしまった。なら良かった、と無愛想に女性は言ってモモに手を差し出した。真意が図りかねず、モモはおろおろする。
すると女性はいきなりモモの手を掴んだ。握手というにはやや乱暴な握り方で、モモはビクッ…とおびえを顕にした。
「り、力天使様!この子は昨日酷い目にあったばっかりなんですよ!優しくしてあげてください!」
「悪かったわね。あたしはこういう人間だから」
後はあたしが連れて行くからあんたは他の事をしてなさい、と女性が修道女に指示をする。下っ端である修道女は逆らうわけにも行かず、モモと女性を交互に見た後逃げるように行ってしまった。
「…そんなにあたしが怖い?」
女性は自ら腕に全く体重をかけずに痛みをこらえているモモ見て言った。
「………」
モモは無言で俯いた。モモが嘘を言いかけた時は決まってこの仕草をする。
「ごめんな。あたし、不器用なんだ」
女性は自らモモに体を寄せ、しっかりと支えて上げた。モモは間近で見た彼女の横顔に荒削りの岩のような暖かさを感じ、少しだけ警戒を解いた。
「あたしはマギー。マグノリア·オードリー。あんたはモモであってる?」
「は、はい。えっとでも、これとは別に字っていうのがあって…」
「知ってるよ」
でもやっぱり苦手かもしれない。先ほどよりかは体重をかけているがその感情はぬぐえなかった。マギーはモモを支えながら廊下を進む
「さっきは悪かったね」
「え?」
「女風呂からでてきたアイツ」
「ああ……」
マギーは水色の瞳を初めてモモに向けた。
「あんなことされてからじゃ信じがたいことかもだけど、ヨハンは悪い奴じゃないから」
モモは小さくうなづいた
「…慌ててましたけど、彼は、自分より私の心配をしてましたから、信じます」
へえ、とマギーは嘆息をもらした。意外と冷静なのだなと脳の片隅にメモをしておく。
「よく見てるじゃない」
「な、なんの話ですか」
一瞬モモの脳裏をバキバキのシックスパックがよぎってどもる。
マギーは鼻を鳴らすように笑って、モモに先立って医療室のドアを開ける。
部屋に入るなり、丸椅子に座ったアサド婆がガタッと立ち上がり、両手を合わせて腰を折った。
「モモちゃん!さっきはほんとうに悪かった!まさかのれ―――」
「あっ、大丈夫です。平気ですってば!もうそんなに気にしていないです」
年上の人に謝られるのが苦手なのでモモは慌ててそう言った。
アサド婆は戸惑った顔をしていたが、マギーが肩をすくめると、小さく息を吐いて、パン、と両手を叩いた。
「じゃあ傷口の保護の処置するから、ちょっとワンピースの裾をあげてくれ」
モモは裾に手をかけて、ふと、マギーのほうを見るとじっとこちらを見ていることに気づく。
なんだか肌を晒すのが恥ずかしくなってモモはおずおずとマギーに声をかけた。
「あの……見られると恥ずかしいので向こうむいててもらっていいですか…?」
「女同士だし、気にしなくていい」
何か目的があるのだろうか。
モモは困ってアサド婆の方を向くが、彼女は苦笑して「あきらめな、マギーはガンコだからさ」と言った。
モモは上目遣いにちらちらとマギーをうかがうが、「うざい」と一蹴されて、仕方なく裾を上げた。できるだけ下を向くようにしたが、やはり左からの視線が気になる。
マギーはマギーである考えの元でモモを観察していた。
朝、マギーが調査に出かけたのは情報収集と、モモ・クレムという少女についていくつかの不審な点を解決するためである。
モモ・クレムには戸籍がない。
今朝、市役所や”教会”を通じて政府に戸籍を確認したが、存在しないのである。だから、マギーはモモの事を怪しく思っていた。たいていの場合、無戸籍者は魔物か、半魔か、なにかしらの犯罪者であることが多いからだ。
『Ile Sole』の店長は好意で彼女を雇ったというが、はたしてそれも本当の好意なのだろうか。
マギーが今試みているのは外見的差異を見つけることだった。
どこか決定的に人間らしくないところは魔族ならば必ずある。犯罪者ならば入れ墨だ。
じっ……とアサド婆がモモの患部に治癒術式を刻んだガーゼを貼っていくのを見る。
傷口は青黒いあざや、くぼみ、中央にかさぶたができている程度。少し治りが早すぎるのでは?とマギーは思う。
「アサド婆、使ってるのはなに?」
「精霊の加護がついた治癒術式のスクロールだよ」
教会の一般治療用の星の加護ではなくより上の精霊の加護なら多少は納得できる。モモを保護した直後にマギーも精霊の加護がついたものを使用した。精霊の加護は使用回数が多くなるほど効果が高くなるので、二回目にあたるモモの体ではほとんど軽傷レベルにまで回復するのはあり得ない話ではない。……教会関係者にとっての常識ならば。
マギーは一つの考察を得た。
モモはもしかしたら半神かもしれない。
その根拠は治癒術式への適性の高さだ。通常、この術式は半分人間であり、半分神格でもある”天使”のために最適化されたもので、一応完全な人間にも使えるが、効果は半分ほどに落ちる。そしてモモが人間だとした場合、上述の通り、ここまで怪我の治りはよくない。間違いなく寝たきりが二日程続くだろう。
ではモモが半神であったとするならばここに一つ、疑問が生じる。
なぜ、
モモは、
あの異形に
全く、抵抗しなかったのだろうか。
半神のほとんどは小さいうちに自分の力を発現させ、ある程度は使いこなしているのが普通だ。加えて身体能力も一概に生身の人間よりずっと高い(個体差はあるが)。恐怖にのまれていたのだとしても、抵抗をする事自体、必ず思いつくはずなのだ。
(何かわけがあるのか?)
処置の終わったモモが裾をなおすのを見ながら考えているうちにふと、懐で”鈴”が鳴った。
マギーはアサド婆にめくばせをして、外に出る。
「力天使中弐位マグノリア・オードリーです。なんでしょう?」
〈―――主天使ラクス・D・ココナッツです緊急通達です〉
かなり慌てているのか、息継ぎの間があった。
〈―――三人目の死体が発見されました〉
「……本当なの?朝、私は町全体を回ってきたのよ。この数時間の間に…また殺人?」
〈―――詳しいことはまだ。たった今アルザスからこちらに報告があったので。現場にはオクトーバー中弐位を派遣しています。ですので、オードリー中弐位にはあなたの裁量での行動をお願いします。こちらは速やかに情報網を構築いたしますので〉
「現場の情報は手に入れてる?」
〈―――コンティネント交通という公共馬車サービス会社の駅の一つ、海岸通前で、馭者のアルフレッド・チャーリーという人物が死体を発見し、警察に通報したと報告がありました。詳細はオクトーバー中弐位に伺う方がいいでしょう。追って連絡します〉
「わかったわ。そっちもかなり忙しそうね」
〈―――はは、お気遣い痛み入ります。そちらこそお怪我のないように。通信終わり〉
ぶつっと髪の毛を引きちぎるような音と共に”鈴”は静まり返った。
マギーは薄々終わらないことを予想していたが、それでも軽く怠情を覚えた。だが、進む足を緩めてはいけない。
熾天使から伝達された”賢者の記憶”の三つの予言。タロットカードの戦車、そしてアルザスの街の俯瞰図。最後に……モモによく似た美しい少女の肖像画。
手始めにまずモモを調べ上げないといけないだろう。
マギーは一度深呼吸をすると、もう一度部屋に入った。




