8.過保護の兆し
それからもアイリスは王妃教育の合間に、ちょくちょくとジュリアンの執務室に顔を出すことが増えていった。
ジュリアンはいつも山のような書類に追われていたが、彼がどれほど多忙を極めていようとも――。
「飲み物は足りてるか? 足も疲れてるだろう。この足置きを用意したから使え」
「えっ、足置きまで!? だ、大丈夫です、十分快適ですから!」
「そうか? なんか疲れたって顔してるぞ。冷やしたタオル置いてるから目に乗せとけ。あ、肩でも揉んでやろうか」
「っ、王太子殿下に肩を揉ませる公爵令嬢なんて聞いたことありません! 絶対にお断りします!」
アイリスが隅っこの避難スペースにやって来るや否や、ジュリアンは理由をつけて構い倒してくる。
その待遇は、日に日に過剰になっていった。
アイリスの気分に合わせて選べるよう、紅茶も香油も恐ろしいほどの種類が常備され、いつの間にか特注の柔らかなクッションや足置き、手触りの良いブランケットまで追加されている。
見かねたアイリスが、せめて癒しになればとクッションを渡せば、次に訪れた時にはさらにグレードの高いクッションがアイリスの椅子に鎮座していた。
彼の疲れが取れるようにとハーブティーを贈れば、翌日にはジュリアン自らが独自ブレンドした極上のハーブティーを淹れてくる。
――ささやかな心遣いすら、倍以上のおもてなしとなって返ってくるのだ。
ジュリアン曰く、
「俺はアイリスを構うだけで気晴らしになるから気にするな」
ということらしい。
本人がそう言うのだからありがたく受け取っておけばいいのだろうが。
やはり何か少しでもお返しをしたいとアイリスが眉を下げていると、ジュリアンがふと思いついたように口を開いた。
「なら今度、俺の息抜きに付き合ってもらうかな」
「えっ」
それは一向にかまわないが、ジュリアンの息抜きとは一体何なのか。
ちょっぴり怖い顔をしているが、彼の中身はものすごくまともで誠実である。
なので、そんな人ではないと分かってはいるのだが……。
にやりとした笑みを浮かべるジュリアンを見て、アイリスの頭の中にはとんでもない想像が浮かぶ。
「まさか……敵対する派閥の貴族を、路地裏に呼び出してボコボコにする、とかですか……?」
「前から思ってたが、お前は俺を一体なんだと思ってるんだ」
ジュリアンのジト目に、アイリスははっと口元を押さえる。
どうやら不安のあまり、心の声がそのまま口から漏れていたらしい。
「あ、い、いえすみません! だってその、殿下の素のお顔は、正直裏社会を恐怖で牛耳ってるボスみたいで……あっ、もちろん中身がそうという意味ではなく! お顔の迫力が!」
「ごふっ」
その瞬間、側に控えていたジャックが盛大に吹き出した。
ジュリアンはこめかみを押さえ、深々とため息を吐く。
「アイリスが俺をどう見てるのかはよく分かった。――で、ジャック。いつまで笑ってる」
「すみません……っ、あまりにも的確な表現でしたので」
「にしても笑いすぎだ」
「アイリス様がそう感じられるのも無理はないかと。今の殿下は、初見の方なら三歩下がって道を空ける程度には目つきが悪いです」
「主君に向かって遠慮がないな、お前は」
「事実をお伝えするのも従者の役目です」
しれっと言い切るジャックに、ジュリアンはもう一度ため息を吐いた。
その後、アイリスへと視線を向ける。
「言っておくが、俺の息抜きはアイリスの考えてるようなもんじゃないからな」
「そ、そうですよね……すみません」
「というか、武力行使でデイモン一派が壊滅できるならとっくにそうしてる」
ジュリアンの強さは有名だ。
一見細身で美しい王子様に見えるが、その気になれば力自慢の貴族でも簡単に制圧できるという噂だ。
「とりあえず、どういう息抜きかはお楽しみってことで」
ジュリアンは笑ってそう言うと、再び書類へと視線を戻す。
とはいえ、場所には一抹の不安を覚えつつも、そのお誘いにアイリスの胸の奥が少しだけトクトクと跳ねた。




