43.逃げられない約束
文字通りベッドから動けなくなっていたアイリスがようやく這い出せるようになった頃、クララから事の顛末が報告された。
宰相派閥の不正はすべて白日の下に晒され、デイモンをはじめとする悪徳貴族たちは軒並み捕縛され、大規模な粛清が行われた。
国を蝕んでいた巨大な膿は、見事に一掃されたという。
そこまでは良かったのだが――問題は、あのロゼッタ・ボルトスだ。
すべての計画を立てていたのは彼女だったのだ。
さらには地下牢からあっさりと脱獄し、隣国へ姿をくらませてしまったらしいという報告を聞いた時、アイリスは恐怖のあまり再度布団へ逃げ込み、ガタガタと震える羽目になった。
けれど、そんなアイリスの不安を拭い去ってくれたのは、クララが伝えてくれたジュリアンからの言伝だった。
『あとの厄介事はすべて私が引き受ける。アイリスはもう、何も心配しなくていい。君は今回、私以上の重い荷物を背負ってくれたのだから、今は何も考えずに休むことこそが、君の役目だ』と。
……とりあえず、そんな胃の痛くなるようなロゼッタに関する諸々の恐ろしい事実は、一旦記憶の彼方のゴミ箱へとデリートしておくことにした。
だからといって、すべてをジュリアンに丸投げして忘れるつもりはない。
ロゼッタが逃げた以上、いつかまた向き合わなければならない時が来るかもしれない。
その時、今度こそ足を竦ませずに彼の隣に立つためにも、今の自分に必要なのは、怯え続けることではなく、きちんと休んで回復することなのだろう。
つまり、今お布団にくるまっているのは逃避ではない。
次に戦うための、極めて重要な充電である。
そう自分に言い聞かせ、アイリスは布団の中でぎゅっと拳を握った。
「お嬢様は殿下から、とても大切にされておりますね」
ジュリアンのその伝言を一言一句違わずに伝えきったクララは、普段の涼しい顔に、隠しきれない温かな笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「あともう一つ。殿下から直々に、『五日後、アイリスを全力で甘やかすための特別な一日を作りたい』とのお申し出がございました。旦那様と奥様への許可もすでに殿下が取られておりましたので、お嬢様のその日のスケジュールは、私が完全に白紙にしておきました。ですので、殿下との一日を、存分に楽しんできてくださいませ」
「えっ、ちょっとクララ!? なんでそんな重要なこと事後報告なの!?」
「アイリス様はよく眠っておいででしたので、起こすのも忍びなく」
「そういう時は起こしてでも先に報告してよ!」
抗議するアイリスに対し、クララは悪びれる様子もなく涼しい顔で紅茶を差し出した。
「殿下がお嬢様を労わりたい、甘やかしたいというお気持ちは本物です。お嬢様も、殿下に甘やかされること自体は決して嫌ではないのでしょう? でしたら、素直に甘やかしていただいて、ゆっくりお体を休めればよろしいではないですか」
クララの正論に、アイリスは言葉に詰まる。
確かに、ジュリアンに甘やかされるのは嫌ではないし、お布団でゴロゴロさせてもらえるなら大歓迎だ。
……大歓迎なのだが。
アイリスの脳裏に、以前執務室で交わした、ジュリアンとの甘やかしの擦り合わせをした日の記憶が鮮明に蘇る。
あの時はジャックの介入によってなんとか事なきを得たが、最終的にジュリアンはこう言ったのだ。
『普段の生活では甘やかしを極力抑える。その代わり――騒動が片付いたら、俺が一日、アイリスを全力で甘やかす日を作らせてほしい。その日だけは、お前も一切の遠慮も我慢もせず、俺の甘やかしを全部受け入れること』
そしてアイリスは、目先の安全のためにあっさり承諾してしまった。
その直後に見せた、ジュリアンの底知れぬ熱を帯びた極上の笑顔と、『言質は取ったからな』という恐ろしい宣告。
あれは絶対、普段我慢してた分が全部凝縮されて大爆発すると予想される。
当時の甘い悪寒を思い出し、アイリスは顔を青くしたり赤くしたりしながらブルブルと震え出した。
「ほ、本当に私、その日一日生きていられるかな……今からでも体調が、とか言って逃げられない……?」
「その場合はおそらく、別日に変更になるだけかと」
彼女の言う通りだ。
両親まで承諾しているのなら、もはやアイリスに退路は存在しない。
「諦めて、おとなしく甘やかされてきてください。それに当日は私もすぐ隣の部屋で待機しておりますから。何かあれば、すぐに駆けつけます」
クララのその頼もしい一言に、アイリスはパァッと顔を輝かせた。
暴れ馬すら骨抜きにする、本気を出したジュリアンのどろっどろの甘やかしを丸一日受け続けるとなると、心臓が爆発してしまうのではないかという恐怖もある。
だが、ジュリアンがわざわざ自分のためだけに作ってくれた時間を、すっぽかすわけにもいかない。
アイリスは覚悟を決めた。




