42.檻の中の悪女(ジュリアン視点)
大分間があいてしまいました。
すみません。
ジュリアンは看守たちに人払いを命じ、薄暗く冷たい地下牢の鉄格子の前に一人で立った。
粗末な囚人服を着せられているにもかかわらず、ロゼッタは玉座にでも座っているかのような優雅さで微笑んでいる。
「ごきげんよう、ジュリアン殿下。わざわざ私のような罪人に会いに来てくださるなんて、光栄だわ」
「……随分と余裕ですね、ロゼッタ嬢。あなたはもう極刑を免れない立場だというのに」
ジュリアンは完璧な王太子の微笑みを顔に貼り付けて相対すると、すぐに本題へ入る。
「さて、事件について話してほしいんですが」
「あら。どうせ極刑を免れないのに、今さら何を話す意味があるのかしら?」
「素直にすべてを話すのであれば、処刑の方法について多少の考慮はされるでしょう。少なくとも、最悪の死に方は避けられるかもしれません」
「ふふっ……その程度で、私が口を割るとでも?」
ロゼッタは楽しげに肩を揺らすと、鉄格子越しにジュリアンを見上げた。
「それに、私が話し相手に指名したのは殿下ではなくってよ」
「ええ。ですが、残念ながら彼女は来ません。代役で我慢していただきましょう」
ジュリアンが冷ややかに告げると、ロゼッタは少しも顔色を変えず、退屈そうにため息を吐く。
「残念ですわね。せっかくなら、あの愛らしいアイリス様とお話ししたかったのですけれど」
「いくらあなたの要求とはいえ、これ以上彼女に重い任を負わせるわけにはいきません。それに、あなたが黙秘を貫くというのなら、私にも相応の手段がありますよ」
「うふふ、怖いこと。……いいわ、殿下が直々にいらしたのですもの。私でよければ、なんでもお話しして差し上げますわ」
何としてでも必要な情報を引き出すつもりでいたジュリアンだったが、ロゼッタは拍子抜けするほどあっさりと口を開いた。
「お父様が仰った通りよ。少なくとも、オレーシア国内で起きた一連の件については、すべて私が計画したこと」
オレーシア国内の協力者、宰相派の貴族たちを動かした方法、違法賭博場や秘密の競売を利用した経緯。
彼女の話は、すでに押収されている帳簿や関係者の証言とも一致していた。
だが、国外から流れ込んだ資金や、ゴルド商会との具体的な関係について問いかけると、ロゼッタは曖昧に微笑むだけだった。
「それは今回の事件とは関係のないお話でしょう?」
「関係があるかどうかを決めるのはこちらです」
「では、どうぞご自分でお調べになって」
ただ少なくともジュリアンは、彼女が間違いなくオレーシアで起きた一連の事件の中心人物であることを確信した。
一通りの自白を終えると、ロゼッタはつまらなそうに肩をすくめる。
「それにしても、お父様は思ったよりも小物でつまらない男でしたわ」
「自分の父親に対して、ずいぶんと辛辣な言い方ですね」
「だって事実ですもの。昔はもっと狡猾で残忍だったと聞いておりましたのに、寄る年波には勝てなかったのでしょうね。自ら動こうともせず、ただ私が用意した盤面の上で甘い汁を啜るだけの無能な男」
実の父親をゴミ屑のように見下し、ロゼッタは喉の奥でクスクスと笑う。
血の繋がった親を、文字通りただの手駒としか認識していないその倫理観の欠如に、ジュリアンは薄ら寒さを覚えた。
「それよりも殿下。アイリス様の後ろで、無骨な番犬のように威嚇していたあなたと、今こうして優しく微笑んでいるあなた。どちらが本当のあなたなのかしら?」
「……どういう意味でしょう」
「隠さなくてもいいのよ。皆は、あなたが潜入のために柄の悪い護衛を演じていたと思っているのでしょうけれど」
ロゼッタは檻の中で優雅に歩を進め、鉄格子にそっと指先を這わせながら、妖しく微笑んだ。
「ただ私は、あのお姿の方がとても魅力的だと思ったというだけですわ。……けれど」
ロゼッタは突然、まるで少女のように赤い瞳をキラキラと輝かせる。
「それ以上に私の心を奪ったのはアイリス様よ。あの愛らしい聖母の皮を被りながら、見事に私の目を欺いた悪女の演技。あの方の本当のお顔はどちらかしら。……いえ、まだ他のお顔も隠れているのではなくって?」
ジュリアンの本性に気づいているだけでない。
アイリスの中にはまだ見えない本当の顔があると、直感で嗅ぎ取っているらしかった。
ジュリアンは王太子としての笑みを崩さず、
「聖母の顔がすべてですよ」
とやんわり否定しながらも、心の中ではこの怪物を最大の危険分子として強く警戒した。
だがロゼッタは、彼の否定の言葉を気にする素振りすら見せない。
ただ夢見るように両手を胸の前で組み合わせた。
「ふふっ。それが何であれ構わないわ。あの方のことは、あなた以上に――心底気に入りましたもの」
そしてロゼッタは、恋する乙女のように恍惚とした、清らかな表情を浮かべる。
だがその瞳の奥には、背筋が凍るほど底知れない熱と、常人には理解しがたい異様な執着が渦巻いていた。
好意なのか悪意なのか、あるいは本人にすら区別がついていないのか。
見る者に強烈な矛盾と恐怖を抱かせるような、悍ましい笑顔だった。
瞬間、ジュリアンの中で張り詰めていた理性の糸が、ギリギリのところで軋んだ。
ジュリアンは笑みは消さないまま、声のトーンを極限まで落として、鉄格子のすぐ目の前まで歩み寄る。
「――私の愛しい婚約者を、その穢れた目で思い出さないでいただきたい」
「あら、怖いお顔」
「あなたがなんと言おうと、二度とここから出ることはできません。ですが、次にアイリスへ害をなそうとしたとき、あなたが無事に法廷までたどり着ける保証はありません。私がその場にいれば、ためらわず剣を抜きますので」
静かな、しかし絶対的な殺意を込めた警告である。
しかしロゼッタは怯えるどころか、さらに愉悦を深めるように微笑むだけだった。
「ええ、楽しみにしているわ、ジュリアン殿下。あなたはいつまで、その愛らしいお姫様を守り切れるのかしらね」
その言葉が、ジュリアンには単なる脅しとは思えなかった。
そう感じたジュリアンは、通常より警備を増員し、彼女の監視記録を自分のもとへ直接届けるよう看守長へ命じた。
――そして、翌朝。
「殿下! ロゼッタ・ボルトスが、地下牢から姿を消しました……!」
血相を変えて執務室へ飛び込んできたジャックの報告に、ジュリアンは机を強く叩いた。
「どういうことだ!」
「当直責任者だった騎士が買収されていました。増員した看守たちにも正式な移送だと信じ込ませたうえで、偽造した移送命令で看守たちを遠ざけ、古い非常通路からロゼッタを逃がしたようです。騎士も行方をくらませています」
「捕まる前から、逃走の準備をしていたわけか」
「おそらくは。昨夜、王都を出た馬車が隣国のギルベリア方面へ向かっています。ゴルド商会が手引きした可能性が高いかと」
ギルベリアは、ゴルド商会の本拠地である。
なお、買収されていた騎士は数日後、ギルベリアとの国境付近で何者かに殺害された状態で発見され、ロゼッタの行方につながる手がかりは何一つ残されていなかった。
ゴルド商会のオレーシア支部と宰相派との癒着を示す証拠は揃っているが、ゴルド商会本部は、すべて現地支部が独断で行ったことだと主張していた。
ロゼッタの逃亡に関与したという直接的な証拠もない。
他国へ逃げ込まれた以上、疑いだけで強引に捕らえることはできなかった。
「忌々しいな」
ジュリアンは苛立たしげに舌打ちをする。
今すぐ国境を越えて、あの女の喉元を押さえたい。
だが、証拠も権限もないまま動けば、外交問題になりかねない。
「国境とゴルド商会の動きを監視しろ。それから、アイリスの護衛も増やせ。万が一にも、あの女を近づけるな」
「承知いたしました」
ジャックが退室すると、ジュリアンは深く息を吐いた。
ロゼッタが最後に見せた、アイリスへの異様な執着。
あれを単なる戯言と片づけることはできない。
国境沿いの監視を強化し、ギルベリアの社交界にも顔が利く、信頼できる者に隣国での情報収集を命じる。
表立って追えないのなら、今は水面下で網を張るしかなかった。
その上で、あの女の影をアイリスの日常にまで落とさせないことも、ジュリアンにとっては同じくらい重要だった。
不穏な火種は残ってしまったが、それでも、この国の最大の膿であった宰相派閥を根絶やしにできたのは、間違いなくアイリスの勇気と頑張りのおかげだ。
これ以上過酷な任務を終えたばかりの愛しい婚約者を、不確かな未来への不安で怯えさせたくはない。
――まずは彼女に平和な時間を満喫させる。
そう決意して窓辺から離れたジュリアンの視界に入ったのは、執務机の上に塔のように積まれた書類の束だった。
巨大な派閥が崩壊したことによる、各所への指示や事後処理の決裁書類である。
「とりあえず、この山を片付けないとな」
今すぐにでも彼女の元へ飛んでいきたい気持ちをぐっと堪え、ジュリアンは苦笑混じりに書類へと手を伸ばす。
限界まで頑張ってくれた愛しい婚約者を、誰にも邪魔されずに全力で甘やかす一日を作るため。
次期国王は、かつてないほどの凄まじい気迫で、残された政務の山へと立ち向かっていくのだった。




