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聖母令嬢はお布団に帰りたい ~完璧王太子に素顔がバレたら、全力でお世話されそうです~  作者: 春樹凜
完璧な二人の化けの皮

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4.秘密の共有



「そんなに驚くことないだろう」

「何を言ってるんですかあなたは!」


 ジャックは真っ青な顔になって、ジュリアンに詰め寄る。


「どういうことですか殿下! 理由をきちんと説明していただけますよね!?」

「中庭の奥で気を抜いてたところを見られたんだよ。その時に、アイリスが転がり出てきた」


 答えたジュリアンは悪びれる様子もなく、空のグラスを揺らす。


「なんでそんな危機管理が足りないことをしてるんですか! 万が一、アイリス様以外の誰かに見られていたらどうするおつもりだったんです!?」

「そんな迂闊なヘマするわけないだろう」


 ジュリアンが不機嫌そうに片眉を吊り上げる。


「あの辺の警備の配置も巡回時間も、全部頭に入っていた。あの時間帯、あそこに人が立ち入らないのは確実だったんだよ。……ただ、あんな光も届かない隅の暗がりに、公爵令嬢が闇と一体化してるなんて誰が想像する?」


 その言葉に、壁際のアイリスは内心驚いていた。

 

 ジュリアンは剣術も体術も優れ、気配を探る感覚も鋭いと聞いている。

 その彼に、まったく気づかれなかった――つまり、アイリスの気配を消す能力が、想像以上に高かったということである。


 ジャックが、


「殿下が気配に気づかないなんて……」


 と戸惑う中、アイリスは陰からおずおずと手を挙げた。


「あの……それは多分、私が中庭の暗闇と完璧に同化していたからだと……」

「はい?」

「私、昔から気配を消して背景になるのだけはすごく得意なんです」


 アイリスは少しだけ誇らしげに胸を張った。


 前世では、授業中に先生に当てられないよう息を潜める技術を極めた。

 

 転生してからも、図書館の棚の隙間や庭園の茂みと同化して、数々の危機を乗り越えてきた。


 隠れることに関してだけは、アイリスはそれなりの自信を持っている。


 すると、ジュリアンから容赦ないツッコミが飛んできた。


「いやまあ、俺の気配察知を欺くくらいだから確かに凄いけどさ。公爵令嬢のくせに暗殺者でも目指してるのか?」

「だって、隠れることは私にとって生命線ですから!」

「なら、余計な動きせずに、そのまま隠れてたらよかったんじゃないか?」

「はっ!」


 ジュリアンの言う通りである。


 あのまま息を殺して身動きせずにいれば、ジュリアンはアイリスに気づかず、何事もなく一人で夜会に戻っていったはずだ。


 焦って逃げようとした挙句、スコップにぶつかって存在を知らせてしまったのは、他ならぬアイリス自身である。


 自業自得だった……と、アイリスはその場でがくりと肩を落とす。


 その間にもジュリアンは、中庭での出来事を簡潔にジャックに説明する。


「……なるほど」


 ジャックはゆっくりとホコリのように丸まっているアイリスへ視線を向ける。


「オレーシアの聖母、慈愛の女神、完璧淑女のお手本……そう呼ばれている絶世の令嬢の真の姿が、今のお姿だと」

「ええ……その通りです……」


 ジャックの視線に、アイリスはビクッと肩を揺らす。

 完璧な聖母がこんな残念な中身だったと知られてしまい、軽蔑されるかもしれない。


 そう覚悟して目をぎゅっと瞑ったアイリスだったが、ジャックは彼女を非難しなかった。

 

 ただジュリアンとアイリスを交互に見比べた後、深い、深いため息を吐き出しただけだった。


「はぁ……。それで、お二人がここにいらっしゃるのは、互いの秘密をどう扱うか確認するためですか」


 アイリスがこくこくと頷くと、ジュリアンは少しだけ表情を緩めた。


「安心しろ。俺はお前のことを誰にも言わない。だから、俺のことも黙っててくれると助かる」

「い、言いません! 絶対に言いませんから! 私だって、自分の本性がバレるのだけは絶対に嫌ですから!」


 たとえジュリアンの真の姿を誰かに伝えたところで信じてもらえるはずがない。


 婚約者として六年もの間、一番近くで過ごしてきたアイリスですら、今日まで一切気づかなかったのだ。

 それほどまでに、皆が神のごとく崇拝してやまないジュリアンの王子としての擬態は、恐ろしいほど完璧だった。


 ジャックはアイリスの必死な様子を見ると、姿勢を正し、眼鏡のブリッジを押し上げる。


「お互いの素顔を知ってしまった以上、もはや一蓮托生ですね。この事実は絶対に、誰にも知られてはなりません」


 アイリスは神妙な顔で頷いた。

 真の姿を解放したジュリアンにはまだ慣れないが、彼を陥れるようなことをするつもりはまったくなかった。


「念のため伺いますが、アイリス様の今のお姿を知っているのは、他に誰がいますか」

「えっと、私の両親と兄、専属侍女のクララ、あとは公爵家の一部の使用人だけです」

「なるほど。公爵家の中で留まっているなら問題はないでしょう。ちなみに、殿下のこのお姿を知っているのは、世界中で私とアイリス様だけです」

「えっ!?」


 アイリスは驚いて目を丸くした。

 

「ほ、本当ですか? 陛下や、王妃様は……?」

「ああ、知らない。二人とも、俺のことを完璧な自慢の息子だと信じ切って疑ってないからな」


 ジュリアンが自嘲気味に笑う。


「だから、バレたらかなりマズい。それに……見せたくないんだ。重圧に潰れそうになって、こんな捻くれた息抜きしかできない弱い息子なんてさ」


 ――そういえば、国王夫妻は長い間子供に恵まれず、ジュリアンはかなり遅くに生まれた待望の一人息子だったはずだ。


 両親からどれほど深い愛情と、重すぎる期待を一身に背負って生きてきたのか。

 まして彼は、生まれたその瞬間から、この国を将来担うことが決まっていたのだ。


 おそらくジュリアンは、多くの人々の期待を裏切らないために、苦しくてもずっと完璧な王子様を演じ続けてきたのだろう。

 ではその反動が、今の姿なのだろうか。


 同じように完璧な仮面を被り続けてきた者として、アイリスには彼の気持ちが痛いほどよく分かった。


 今アイリスが演じているのも、もちろん布団のためではあるが、周囲の期待を裏切りたくないという気持ちも確かにあるのだから。


 少しだけ、眉間に皺を寄せて遠くを見るジュリアンの姿がなんだか不器用で、いじらしいものに見えてきた。


「別に不満があるってわけじゃないが。俺もアイリスも、窮屈な立場だよな」


 ジュリアンがふと、穏やかな、けれど表の微笑みとは違う表情でアイリスを見た。


「お互いの中身を知ったところで、次期国王と、それを支える公爵令嬢っていう今の立場は変えられない。アイリスが本当は人が苦手で、すぐに布団に引きこもりたい性格だってことも分かったが……それでも、アイリスが誰よりも国を導く未来の王妃にふさわしいと思ってる。伊達にずっとお前の努力を見てきたわけじゃないしな」

「殿下……」


 これほどまっすぐ評価してもらえると、戸惑いよりも先にくすぐったいような喜びが込み上げてくる。


 けれどジュリアンはそこで一度言葉を切ると、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。


「今までずっと近くにいたのに、お前が無理してるなんて気づけなかった。悪かったな」

「え……?」


 思いがけない謝罪にアイリスが瞬きを繰り返すと、ジュリアンは乱暴に髪をかき上げ、少しぶっきらぼうに続けた。


「だからこれからは、少しは俺を使え。きつくなったら話でも何でも聞くし、頼ってほしい。面倒な奴がいたら適当に追い払ってもやる」

「……っ」

「俺の前でだけは、もう自分を作らなくていい。無理して笑う必要もないし、泣き叫びたいなら好きにしろ」


 その言葉は甘く飾られた王子様の台詞とはまるで違っていたが、だからこそ胸の奥にじんわりと染み込んでくる。

 ……そんなことを言われたら、引きこもりたくても頑張るしかないではないか。


 それは、限界まで気を張っていたアイリスにとって、これ以上ないほどの救いの言葉だった。

  

 喜びからか、思わずふにゃりとした笑顔がこぼれる。


「あ、ありがとうございます、殿下……!」


 そう言ってから、アイリスは少しだけ迷い、おずおずと目線を上げた。


「あの……でしたら、殿下も私の前では、無理に完璧な王子でいなくても大丈夫です。……まだ少し驚きますし、顔つきはちょっぴり険しいので心臓には悪いですけど」


 正直すぎる言葉にジュリアンは一瞬だけ目を丸くしたあと、少しだけ気の抜けた顔で笑った。


「そんなに怖いか? ……まあ、助かるが」


 元々婚約者としての仲は悪くなかった。

 けれどアイリスは、今本当の意味で信頼が生まれたような気がした。


 そんな二人を見守っていたジャックが、時計を確認してパンッと手を叩く。


「さて殿下、そろそろお時間です。これ以上アイリス様の帰りを引き延ばすわけにはいきません」


 ジャックに促され、ジュリアンは手元のグラスを机に置いた。


 そして靴音を軽快に鳴らしながらアイリスの方へやってくると、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「というわけだ、アイリス。ようやく無事にお布団の国とやらに帰れるぞ」


 ジュリアンは喜ぶアイリスの頭にぽんっと大きな手を乗せ、軽く撫でると、名残惜しそうにゆっくりと手を離した。

 

 こうして、オレーシア王国が誇る完璧超人カップルは、誰にも言えない秘密を共有する奇妙な共犯者としての第一歩を踏み出したのだった。



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