37.特別な招待状
ロゼッタからの二度目、そしてその次の三度目の誘いも無事に乗り切り、アイリスは宰相派の貴族たちが集まるその秘密めいた夜会において、今ではロゼッタの隣に座ることを許される存在になっていた。
もちろん、絶対に気は抜けない。
会場にいるのは、誰も彼もボルトス家の息がかかった者たちばかりだ。
一つでも言葉を間違えれば、いつ喉元に刃を突きつけられてもおかしくない場所である。
「それにしても、アイリス様。あなた、本当に退屈しない方ね」
隣に腰掛けるロゼッタが、赤い唇をゆるりと吊り上げる。
今日の彼女もまた赤いドレスを身にまとい、場にいる誰よりも鮮烈な存在感を放っていた。
宰相の娘にして、この派閥の絶対的頂点の令嬢――誰もがそう認識していて、恐れて媚びている。
けれど何度か会話を重ねるうちに、アイリスはロゼッタに対して、ある違和感を抱き始めていた。
ロゼッタは父であるデイモンの名を出す時でさえ、どこか他人事のような顔をする。
そこにあるのは敬愛でも、恐れでもなく、まるで自分の手元にある便利な手駒の一つを眺めているような……。
その得体の知れない恐怖の種を胸の奥に押し込めながら、アイリスは扇を少しだけ揺らした。
「退屈しないだなんて、光栄ですわ。けれど、私はまだまだロゼッタ様には及びませんもの。いつも刺激を与えてくださるのは、あなたの方ですわ」
「まあ。聖母様にそんな風に言われるなんて、光栄だわ」
「今ここにいるのは、己の欲に忠実な女だけです」
アイリスが薄く微笑むと、その表情に、ロゼッタは満足げに目を細める。
そんな彼女の視線から逃れるように、アイリスはそっと会場を見渡す。
周囲では、参加者たちが楽しげに酒を酌み交わしながら笑い声を響かせていた。
一見すると、アイリスが普段出席しているような王宮の華やかな集まりと大差ないように見える。
だがどこか退廃的な空気が蔓延していた。
相変わらず、ここはアイリスにとって呼吸のしづらい場所だった。
HPはゴリゴリ削れ、今すぐマイお布団にダイブして、激辛ジャーキーを齧りながら今日の記憶を全部デリートしたい衝動に駆られる。
しかしそんな弱音は欠片でも顔に出さない。
アイリスは、ゆっくりと視線だけを背後に流した。
そこには、護衛役として控えているジュリアンがいる。
王太子の面影を完全に消し去った、柄の悪い護衛の顔をしているが、彼がそこにいるだけでアイリスはなんとか息をすることができた。
彼がそばにいてくれるだけで心強い。
アイリスは静かに呼吸を整えると、いよいよ今夜の目的に踏み込むことにした。
「……そういえば、最近少し困っていることがあるんですの」
「完璧な聖母様であるあなたを困らせるなんて、一体どんなことですの? 興味深いですわね」
ロゼッタが面白そうに小首を傾げる。
アイリスは背後のジンを一瞥したまま、わざと退屈そうに息を吐いた。
「この子は優秀で使い勝手がいいのですけれど……そろそろ、違うタイプの子も欲しくなりまして。できれば、見目の良い子が」
「あら。彼では足りないの?」
ロゼッタは、アイリスの背後に立つジンへと視線を流す。
無骨な護衛の変装をしているとはいえ、元の素材はあの王太子である。
その隠しきれない整った顔立ちを値踏みするように見て、ロゼッタはくすりと笑った。
「この顔なら随分と楽しめるように思えるけれど。人には言えない遊びから汚れ仕事まで、彼一人で十分事足りるのではないかしら?」
「ふふっ、悪くはないのですけれど、少しばかり無骨すぎますの。もう少し甘やかして楽しめる、愛らしい別のタイプがいいわ」
瞬間、わずかにジュリアンの指先がピクリと動いた。
アイリスは心の中で、ひぃぃ殿下ごめんなさい! と全力で謝罪する。
ジュリアンは無骨どころか、甘やかし特化型の過保護スパダリである。
甘やかされるのが嫌だとか、彼に不満があるというわけではない。
……どこまで上限があるか分からなくて怖いというのはあるのだが、今は話の流れ的にこう言うしかないだけだ。
なんとなく後ろから感じるプレッシャーに、今すぐ胃薬を一瓶丸呑みしたい衝動に駆られながらも、アイリスは表面上冷たい悪女の微笑を崩さない。
「ですが、好みの子を見つけたからといって、その辺りから適当に拾ってきたり、無理やり連れ去ったりすれば、後々家族が騒いで足がつくでしょう? この子はたまたま身寄りのない天涯孤独でしたから問題ありませんでしたが……後腐れのない、しがらみの一切ない人間を探すというのは、ひどく骨が折れますのよ」
そう言って、わざとらしくため息を吐く。
『足がつくのは面倒だから、消えても誰も探さない人間が欲しい』という、身勝手で残酷なロジックである。
ロゼッタはアイリスの目をじっと覗き込む。
もちろんアイリスは、決して逸らさない。
しばらく見つめ合っていた二人だが、他人の人生をただの娯楽品として消費しようとするアイリスの欲深さに触れて――やがてロゼッタは、ひどく満足そうに扇をパチンと閉じた。
「表では国宝と呼ぶにふさわしい王太子殿下を侍らせておきながら、まだ足りないだなんて。本当に、傲慢で素晴らしいわ」
「あなたなら何かいい方法を知っているんじゃないかと思って。心当たりがおあり?」
「ええ。それなら……少し、面白い催しがありますわよ」
ロゼッタは口元を吊り上げると、近くに控えていた侍女に視線を送った。
すると侍女は恭しく一礼し、すぐに小さな銀の盆を運んでくる。
その上に載っていたのは、一通の黒い封筒だった。
アイリスの心臓が、どくんと大きく跳ねる。
封筒に差出人の名前はない。
だが、封蝋には見慣れない獣の意匠が刻まれていた。
ロゼッタはその封筒を指先で摘まみ上げると、まるで美しい菓子でも差し出すかのように、アイリスの前へ滑らせた。
「普通の夜会では、決して出会えないものが見られる特別な場所よ。あそこなら……あなたのお気に召す子も、きっと見つかるでしょうね」
「魅力的なお誘いですこと。ちなみに、その特別な催しというのは、デイモン様が主催されているの?」
アイリスが何気にそう尋ねるも、ロゼッタは何も言わず薄く笑っただけだった。
だが妖しく光る彼女の瞳を見た瞬間、アイリスの背筋にゾクリと冷たい悪寒が走った。
真っ赤な底知れない瞳は、父の威光を笠に着るだけの令嬢には見えない。
もしかしたら彼女は、デイモンよりもずっと恐ろしい本性を隠し持っているのではないか。
そんな直感を覚えながらもアイリスが微笑みを返すと、ロゼッタはひどく甘い声で囁いた。
「ねえ、アイリス様。その場所に足を踏み入れたら、もう綺麗な聖母様ではいられないわよ?」
アイリスはロゼッタへの恐怖を押し殺して封筒を見下ろし、扇の奥でゆっくりと口角を上げる。
これこそ、ずっと探していた闇オークションへの入り口に違いない。
失踪事件に、違法賭博、そして人身売買。
その全てに繋がる、決定的な手がかりだ。
ようやくここまできたと気が抜けそうになるのをぐっと堪え、アイリスは黒い封筒をそっと手に取り、涼しい顔で微笑んだ。
「私は初めから、綺麗な人間ではなくってよ」
ロゼッタの目が愉悦に細まる。
「いい返事だわ」
「光栄ですわ」
アイリスは封筒を手にしたまま、優雅に席を立った。
「今宵も楽しい時間をありがとうございました、ロゼッタ様」
「こちらこそ。次はもっと楽しませてちょうだいね、アイリス様」
「ええ。ご期待に添えるよう努めますわ」
アイリスは完璧な悪女の微笑を浮かべてカーテシーを返す。
そしてジュリアンを従え、最後まで背筋を伸ばしたまま会場を後にした。




