33.家族団らんとすれ違いの夜
公爵邸へ帰還したアイリスは、両親と共に豪華な夕食のテーブルを囲んでいた。
「今日も大変だったのだろう? よく頑張っているな、アイリス。ほら、お前の好きな唐辛子にまぶしたローストビーフだぞ」
「お父様、ありがとうございます……。もう今日はいろいろありすぎて、身も心もペラペラです。お肉食べて回復します……」
父ジョセフの優しい労いに、アイリスは外での仮面を完全に脱ぎ捨て、テーブルに突っ伏しそうなだらしない姿勢で泣きついた。
アイリスが極度の人見知りで、お布団をこよなく愛することは、家族やクララをはじめとする公爵家の古参の使用人たちの間では公然の秘密である。
なのでここは、アイリスが素を出せる数少ない場所なのだ。
加えて最近は、ジュリアンの傍も、アイリスが気を抜いていられることができる退避場所となっている。
同じような秘密を共有している者同士だからだろうか。
まったくキラキラの王子様っぽくない素の顔を見せる彼の隣にいると、とても息がしやすくて居心地が良い。
いや、それどころか。
まるでジュリアンの隣が、アイリスにとって一番の居場所のように思え……。
無意識のうちに、ジュリアンへの信頼と淡い何かしらの気持ちを自覚してしまいそうになるアイリス。
食事中にも関わらず、一人で勝手に顔を真っ赤にして慌てふためき、両手で頬を押さえて奇行に走る。
そんな娘の姿を見て、隣に座る母ケイトリンが、呆れたようにため息を吐きながら窘めた。
「アイリス、身内だけの場とはいえ、少しはシャキッとしなさい」
「うっ……ごめんなさい、お母様……」
母親のもっともな指摘に、アイリスは頬を押さえたまま小さくなって謝った。
すると、アイリスの後ろで控えていたクララが一歩進み出て、淡々とした声で口を開く。
「奥様。お嬢様は最近、ジュリアン殿下とより一層仲を深めておいでです。先ほどから顔を真っ赤にして一人で身悶えしているのは、おそらく殿下との甘い出来事でも思い出して、恥ずかしくなられたのでしょう」
「なっ……ちょっ、クララ!? 何を言ってるの!?」
信頼する有能侍女からの的確すぎる密告に、アイリスは思わず声を裏返した。
しかし、クララの報告を聞いたケイトリンは、呆れた表情から一転してパッと花が咲いたように微笑んだ。
「あら、そうなの? 殿下と順調に仲を育んでいるだなんて、それは大変結構なことじゃないの」
「はっはっは。いやぁ、アイリスもすっかり恋する乙女だな!」
ジョセフも機嫌良く笑いながらワイングラスを傾ける。
「ち、違うんですお父様、お母様! これは別にそういう恋心とかじゃなくて、そのっ……!」
「そういえばあなた、昨日の夜は、殿下に抱き上げられて寝室まで運んでもらったものね」
「えっと、あれは、その、不可抗力、というか……」
「照れる必要なんてないわよ、アイリス。昔から二人の仲が良いのは有名だったけれど、最近は殿下からの溺愛ぶりにさらに拍車がかかっているって、もっぱらの噂ですもの。本当だったのね」
確かに昔から『完璧な二人』として仲が良いフリはしてきたが、最近そんな噂が立ってることは知らなかった。
アイリスが内心でパニックに陥っていると、ジョセフが楽しげに言葉を続ける。
「うむ、公の場でも、殿下のアイリスへ向ける眼差しが以前にも増して優しく、熱を帯びていると評判だぞ。……それにしても、連日社交と言いつつ、異性の尻を追って飛び回っているお前の兄にも、アイリスのその一途さを少しは見習ってほしいものだがな」
そう言って、ジョセフが苦笑しながら肩をすくめる。
彼の言う通り、アイリスには優秀だがとにかく社交と女の子が好きな兄がいるのだが、今日もどこかの夜会に顔を出しているらしく不在だ。
いや、だが今は兄のことなどどうでもいいと、アイリスは心の中で叫んだ。
しかしながらその後、自分がどれだけ「不可抗力だ」「恋心ではない」と否定しようと、両親の中では既に『ジュリアンとアイリスはお互いしか見えていないほどにメロメロである』という結論に至っており、それを覆すことはできなかった。
まるでアイリスが『婚約者に夢中で恋は盲目状態の令嬢』のような言い方である。
内心で余計なことを言ったクララに恨み節を吐く。
これ以上の反論は不可能だと悟ったアイリスは、羞恥を誤魔化すように出された極上のローストビーフの上にマイスパイスをふんだんにふりかけ、黙々と口に運んだ。
とはいえ両親は、自慢の愛娘が王妃教育や恋に一喜一憂していると思っているだけで、まさか裏で悪女を演じ、ジュリアンと共に国を揺るがす陰謀の渦中に飛び込んでいることなど、微塵も知らない。
アイリスにとっても、からかわれて恥ずかしい思いをしながらも、この何も知らない家族との時間は、一切の気を張らずに素の自分でいられる数少ない平和なひとときだった。
そんな心の中で忙しくしていた食事も終わり、湯浴みを済ませて心身の汚れを落としたアイリスは、愛してやまない特注の最高級羽毛布団へとようやく潜り込んだ。
天上の雲のような感触に包まれ、アイリス・レンフェルトとしての全ての仮面を外し、ふうっと深い安堵の息を吐き出す。
「やっぱりお布団最高……」
モフモフの海を泳ぎながら、アイリスの脳裏にふと、昨夜の記憶が蘇ってきた。
まさかの寝落ちして寝室まで運ばれるという公開処刑をまたまた思い出し、アイリスは顔から火が出るほど赤面して、広いベッドの上をゴロゴロと転がり回る。
ひとしきり身悶えした直後――今日のジュリアンのどことなく距離を感じるよそよそしい態度を思い出し、アイリスの胸がズキッと痛んだ。
アイリスはシーツをぎゅっと握りしめ、ぐるぐるとネガティブな思考を巡らせ始める。
彼女が思ったよりも作戦の役に立てなかったからと、呆れていたのだろうか。
けれど……考えられるとしたら、一番の原因はブローチだろう。
いくら作戦やイミテーションだったとはいえ、目の前で粉々に踏み砕かれたら良い気がするはずがない。
アイリスが何回謝ろうと、ジュリアンが怒るのも、避けたくなるのも当然である。
ズーンと深く沈み込み、アイリスは布団を頭まですっぽりと被った。
昼間は避けられているみたいで寂しいと思っていたが、こうして一人で冷静に考えてみると、全て自分の失態のせいのように思えてきてたまらなく落ち込んでしまう。
ふっかふかの最高級羽毛布団に包まれているというのに、その夜、アイリスは自分のやらかしへの後悔で、なかなか寝付くことができなかった。




