表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖母令嬢はお布団に帰りたい ~完璧王太子に素顔がバレたら、全力でお世話されそうです~  作者: 春樹凜
悪女と狂犬

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/39

30.蒼水晶のブローチ(ジュリアン視点)



 結局、デイモン本人が姿を現すことはなかった。

 だが帰り際、ロゼッタはアイリスの手を取って艶然と微笑んだ。


「今日は本当に楽しかったわ、アイリス様。あなたという面白い友人が増えたこと、お父様にも報告しておくわね 。それと……一週間後にまたここで同じ集まりがあるの。ぜひ参加してちょうだいな」


 全面的に信用しているかはまだ分からないが、少なくともこれは大きな前進だった。

 それも、ジュリアンだけでは決してなしえなかった一歩だ。


 正直に言って、ジュリアンは、アイリスがあそこまで悪女をうまく演じきれるとは思ってもみなかった。

 特にバーンズ男爵の下りは、アイリスの性格を考えれば相当に無理をしていたはずだ。

 

 ちなみに、あの後這いつくばったまま使い物にならなくなったバーンズ男爵についてだが。


「汚いゴミはさっさと片付けて。騎士団の手に落ちる前に、いつものところに送ってちょうだい」


 というロゼッタの冷酷な一言で、男爵は泣き叫びながら会場から引きずられていった。

 男爵からアイリスの裏の顔が悪女だと漏れる心配はなくなった。

 しかしロゼッタの容赦のなさには、護衛として控えていたジュリアンも内心で舌を巻いた。

 

 彼女の言った『いつもの場所』。

 オークションで売買される人間が隔離されているところかもしれないと、なんとなくそう感じた。


 無事に集会を乗り切り、最後まで気を抜かず、完璧な悪女の笑みを保ったまま、アイリスは黒塗りの馬車へと乗り込む。


 続いてジュリアンが乗り込もうとすると、行きには同乗していたクララが立ち止まり、一礼した。


「私はジャック様と外で得た情報を整理いたしますので、帰りは御者台に同乗いたします」

「分かりました」


 クララがそう言って、馬車の扉が閉まる。

 外界の視線が完全に遮断された瞬間。


「…………っ、あぁぁ…………」


 そんな声と共に、アイリスの張り詰めていた糸が完全に切れた。


 極度の緊張と、悪女を演じ切った精神的疲労が限界を超えたのだろう。

 彼女の体からすっと力が抜け、そのまま隣に座るジュリアンの方へ倒れ込んできた。


「おい、アイリス!?」


 ガクン、と崩れ落ちそうになったアイリスを、ジュリアンは慌てて抱き留める。

 腕の中にすっぽりと収まり、荒い息を吐く彼女の小さな体を感じる。

 

 ジュリアンは安堵の息を吐き、そのまま彼女の背中を優しく撫でた。


「……よく頑張ったな。今はゆっくり休め」


 ジュリアンが低く囁きかけると、アイリスは安心したような表情で目を閉じる。

 数秒後にはすぅ、と静かな寝息が聞こえてきた。


 その寝顔を見つめながら、アイリスの頭を自身の膝の上に乗せると、銀色の髪を撫でる。


 だが、ジュリアンの視線がふとアイリスの胸元へ向けられた時、わずかに彼の顔が強張る。


 行きの馬車の中では確かに彼女の胸元を飾っていたはずの『蒼水晶のブローチ』は、今はもうない。


 普段から婚約者への贈り物はジュリアン自身が選んでいた。

 けれどあのブローチだけは、彼がひどく時間をかけて悩み抜いた末に贈った品だった。


 アイリスの卒業が近づいたある日、ごくたまに彼女の笑顔が曇ることがあった。

 理由を尋ねると、いつもは笑って何でもないと答えていたアイリスが、一度だけ、


『卒業したら王族教育が本格的に始まりますが……私に務まるのか、少しだけ不安で』


 と、ポロリとこぼしたのだ。


 真実を知った今思えば、彼女にとっての不安とは、長時間の教育によって大好きなお布団から引き離されるからというのが最大の理由だったのだろうが。


 ただ、その不安自体が嘘ではないことは、ジュリアンにも分かっていた。

 

 初めから国を背負う王太子として生まれた自分とは違う。

 彼女は途中から、その重圧を背負う立場になったのだ。

 不安に思うのも無理はない。

 その重圧は、今もきっと変わらないのだろう。


 当時のジュリアンは、なんとか彼女を励ませるものを贈りたいと考えた。


 そして思い出したのが、以前どこかの展示品を見た際に、アイリスが珍しく時間も忘れて見とれていた希少な『蒼水晶』だった。


 ジュリアンは方々を奔走し、その蒼水晶を使ったブローチを苦労して手に入れ、彼女に贈ったのだ。


 その時のアイリスの顔は、今でも忘れられない。


『ありがとうございますジュリアン殿下。一生大切にいたしますわ』


 そう言って蒼水晶を胸に抱いて微笑んだアイリスは、ほんの少しだけ感情が零れ落ちたような顔で笑っていた。


 その無垢な笑顔を見た瞬間、苦労して探し回った疲れなど全て吹き飛んでしまったことを覚えている。


 直後に、そういえば自身の瞳の色と同じだと気づいた。

 特に他意はなかったのだ。

 だがその希少性と色合いから、王太子からの熱烈な愛情の証として贈られたと、勝手に周囲が持て囃したという経緯がある。


 ――正直、目の前で自分の贈った蒼水晶を踏み砕かれた時は、心臓が止まるかと思った。

 

 だが、あの場面でロゼッタの信用を勝ち取るためには、ああするしかなかったのは分かっている。

 アイリスは最善の行動を取ったのだ。


 わずかに刺す胸の痛みを無視して、ジュリアンは公爵邸に到着するまで、ただ愛おしそうにアイリスの寝顔を見つめながら、その柔らかい髪を撫で続けていた。


 やがて馬車がゆっくりと止まり、カチャリと扉が開く。


 御者台から降りてきたクララが、中で眠るアイリスの姿を見て静かに目を見開いた。


「お嬢様、到着いたしました。起きてください……」


 アイリスを起こそうと彼女の体を揺さぶろうとするクララを、ジュリアンは止める。


「無理に起こさなくても構いません。今日は限界まで頑張ってくれましたからね。私がこのまま運びます」


 ジュリアンは眼鏡を外してから髪型をいつものものに戻す。

 そして眠るアイリスを崩さないようふわりと抱き上げ、屋敷の入り口まで歩く。


 今回は完全に寝ており、寝室のベッドまで運びたい……と言いたいところではあるが。

 仮にも婚約者とはいえ、夜に令嬢の寝室へ入るのは問題があるだろう。

 ここは、公爵家の人間に任せるべきだ。


 その時だった。


「まあまあ、ジュリアン殿下!」


 屋敷の奥から、柔らかな声が響く。


 そこにはアイリスの母であるケイトリンが立っていた。

 どうやら、娘がジュリアンに運ばれていると報告を受けて様子を見に来たらしい。


「奥様」


 クララがすぐさま一歩下がり、恭しく頭を下げる。


 ケイトリンは眠るアイリスを見て、少しだけ心配そうに眉を寄せたものの穏やかに微笑んだ。


「この子、すっかり眠ってしまったのね。今日はよほど疲れたのでしょう」

「申し訳ありません、レンフェルト夫人。今夜は、私の知己である若手貴族たちとの集まりに付き合わせてしまいましたから。気晴らしになればと思って誘ったのですが、少し長く引き留めすぎてしまったようです」


 ジュリアンが静かに頭を下げると、ケイトリンは首を横に振った。


「いいえ、お気になさらないでください。ところで、その髪は……」

「ああ、これは友人の一人が水で簡単に落とせる染料を開発しまして、実験台に付き合わされたのです。水をかければすぐに落ちるのですが、さすがに今すぐというわけにもいかず」


 苦笑いを浮かべながら軽く頭を下げると、ケイトリンはくすりと笑った。


「まあ、それは災難でしたわね」

「まったくです。アイリスにはずいぶん笑われましたよ」


 ジュリアンは素知らぬ顔でそう言って誤魔化した後、腕の中のアイリスを公爵家の人間に引き渡そうとした。


 しかし、ケイトリンがそれを止めた。


「もし面倒でなければ、どうかそのまま寝室まで運んでやってくださいませ」

「ですが……」

「構いませんわ。殿下がお優しく誠実なお方であることは、私も夫もよく存じております。ましてや、アイリスの大切な婚約者ですもの。殿下を疑う者など、この屋敷にはおりませんから」


 そう言って、ケイトリンはにこりと微笑んだ。


「……ありがとうございます。では、そうさせていただきます」


 王太子の顔で爽やかに頷きつつ、ジュリアンは馬車の傍に立つジャックと一瞬だけアイコンタクトを交わす。


 本当に、何もしませんよね……? と言いたげな側近からの無言の圧を感じる。


 ジュリアンは、ベッドに寝かせてくるだけで何もしないと、視線だけで返しておいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ