22.分け合う重さ
「よりによって、どうしてデイモンの娘なんかに接触してるんだ」
腕を組んだジュリアンが、低くドスを効かせた声で問い詰める。
その青い瞳には、誤魔化しは許さないという強い意志が宿っていた。
よもやこの状況で、ジュリアン相手に誤魔化せるとは思っていない。
アイリスはしどろもどろになりながらも、説明を始める。
「それは、その、わ、私も想定外だったんです……。本当は、宰相派の末端の令嬢たちから、ほんの少しでも殿下の欲しい情報に繋がる何かが掴めたらいいなぁって思っていただけで」
「そもそも、俺はアイリスを巻き込む気はないって言ったよな」
「うっ……そう、ですけど」
本気で怒っているジュリアンを見て、アイリスは声を詰まらせる。
彼がこれほどまでに怒っているのは、アイリスが約束を破ったからというよりも、純粋に彼女の身を案じているからだというのは、その声音から痛いほど伝わってきた。
怒っているジュリアンは怖いが、心配してくれてるのは嬉しい。
しかし、ここで縮こまっている場合ではない。
アイリスは小さく深呼吸すると、覚悟を決めて顔を上げた。
「私だって、殿下と一緒に戦いたいんです。だって殿下の婚約者じゃないですか」
「それはそうだけどな、かといって、大事な婚約者を危ない目には遭わせたくない――」
「そんなの、私だって一緒です!!」
ジュリアンの言葉を遮るように、アイリスは大きな声を上げると、必死な声で続ける。
「私だって、殿下に危ない目に遭ってほしくないし、心配しているんです。それなのに、私だけ安全な場所でただ守られているだけなんて……そんなの絶対に嫌です」
アイリスの強い瞳に射抜かれ、ジュリアンはわずかに目を見開いた後、苦しげに眉間を押さえた。
「けど、アイリスは人が苦手なくせに、こういう場に出るだけでも相当無理してるだろ。これ以上、負担なんてかけたくないんだよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
アイリスはギュッと両手を握りしめ、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「心配してくださるのは嬉しいです。それに確かに、人前に出るのは未だに慣れないし、いつもお布団の国に帰りたいって思ってるし、毎日大変で逃げ出したい時もたくさんあります」
「アイリス……」
「でも殿下の婚約者になって、みんなに期待されて。偽りの自分だったとしても、今は少しでもみんなの期待に応えたいって思ってるんです。何より殿下が、誰よりも国のために重圧に耐えて頑張っているのに、私だけが守られているだけなんて寂しいじゃないですか」
馬車の中に、静寂が落ちる。
アイリスは震えそうになる声をなんとか張り上げ、最後にこう告げた。
「だから……もっと、私のことも頼ってください。大変な時は、二人でちゃんと分け合いたいんです。そうしたら、重い荷物も半分こになりますから。それで……楽しい時は二人で倍にしましょう?」
口にした瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
本当は怖い。
危険なことに関わるのも、誰かの悪意に踏み込むのも、人前で完璧な自分を演じ続けるのも、今だって怖くてたまらない。
けれど、それ以上に嫌だった。
ジュリアンが一人で重いものを抱え、自分だけが何も知らず、何もできず、安全な場所で守られているだけなのは。
だって、彼の隣に立ちたいと思ったから。
聖母としてではなく、公爵令嬢としてでもなく、王太子の婚約者でもなく――ただのジュリアンの婚約者として。
そう言って、ただ彼を想い、彼と共にありたいと願う気持ちで笑った。
ジュリアンはしばらくの間、呆然としたようにアイリスのその笑顔を見つめていた。
やがて長く息を吐き出すと、向かいの長椅子からすっと立ち上がり、アイリスのすぐ隣へと腰を下ろす。
そして――彼の手がそっと伸び、アイリスの華奢な肩をぐっと強く引き寄せた。
「っ、で、殿下……!?」
一体何ごとかと慌てふためき、身を強張らせるアイリス。
けれどそれには構わず、ジュリアンは彼女を抱き寄せたまま、アイリスの肩口にぽすんと自分の頭を乗せた。
真横に並んで座って片腕で引き寄せられた上に、肩に顔を埋められているため、ジュリアンが今どんな表情をしているのかアイリスからは全く見えない。
ただ肩に当たる彼の金糸の髪の柔らかな感触と、間近に感じる体温だけが、やけに鮮明に伝わってくる。
あまりにも近すぎて、自分のうるさいくらいに鳴る鼓動が、今にも彼に聞こえてしまいそうだった。
けれど、不思議と逃げたいとは思わない。
むしろ、その重みが少しだけ嬉しかった。
ジュリアンが初めて、自分の前でほんのわずかに力を抜いてくれたような気がしたから。
「……そうだな。悪かった」
彫刻のように固まったまま動けないでいると、長い沈黙の末、ジュリアンの小さな声が車内に静かに広がる。
「俺が間違ってた。アイリスはすごい人間だったな。人が苦手でも、表向きには絶対にアイリス・レンフェルトを崩さないし、俺みたいに酒や裏の顔に逃げたりもせずにちゃんと戦ってるもんな。……本当に、敵わない」
「そ、そんなことありません……!」
過大評価にいたたまれなくなり、アイリスは慌ててどもりながら返した。
「わ、私だって、毎日心の中では『お布団の国に逃げ込みたい』って泣いてますし! 実際、帰ったらすぐお布団に逃げ込んでモフモフしていますから……! 全然、すごくなんて……」
「くっ……ふふっ」
アイリスの必死の弁明に、肩に顔を埋めているジュリアンの肩が、くくっと小さく震えた。
「けどそうやって布団に逃げ込みたがるくせに、何かを投げ出して逃げたことは一度もないだろ」
「それは、殿下だって同じじゃないですか」
アイリスが少しだけ声のトーンを落として優しく言葉を返すと、肩に預けられていたジュリアンの頭がゆっくりと上がり、至近距離でパチリと視線が絡んだ。
こんな距離で見つめられたら、いつもなら緊張や胸の高鳴りで、言葉なんて出てこない。
けれど今だけは、そんな感情に流されずに伝えないといけないと思った。
「本当に逃げたいのなら、全て投げ出しているはずです。それでも殿下は、どれだけ裏の姿で羽目を外そうとも、必ずこの国のために皆が求める王太子に戻ってくるじゃないですか。……私、殿下のそういう誰よりも強いところを、尊敬しています」
それは、慰めでもなく、彼を安心させるための綺麗事でもなかった。
アイリスがこれまで隣で見てきた、ジュリアンという人への、心からの言葉だった。
その称賛に、ジュリアンはバツが悪そうにすっと視線を逸らし、口元をモゴモゴと動かした。
「……っ、あー……そう言ってくれて、ありがとな」
耳の先まで赤く染めながら小さく呟いた後、ジュリアンは照れ隠しをするように、再びアイリスの肩にコテンと頭を預け直す。
その仕草があまりにも無防備で、アイリスの胸がきゅうっと締めつけられた。
彼の隣なら安心できると、何度も思った。
けれど今は、ジュリアンが疲れた時、ほんの少しでも寄りかかれる場所になりたい。
「だけど、やっぱりお前はすごいと思う。それに、結局は俺のために、こうして一番危険な表舞台に立ってくれる。そんなとこも全部ひっくるめて、敵わないって言ってるんだよ。だから」
ジュリアンはアイリスの肩から再度ゆっくりと顔を上げると、どこまでも甘く、熱を帯びた青い瞳で彼女を見つめた。
「これからはその言葉通り、きっちり頼らせてもらう。重い荷物も容赦なく半分持たせてやるから覚悟しろよ」
からかうような冗談っぽさを交えつつも、極上の優しさを滲ませて笑うと、ジュリアンの大きな手がアイリスの頬をそっと包み込んだ。
「安全な鳥籠に閉じ込めて、ただ守るような真似はもうやめる。何かあったとしても、必ず俺が守る。だから……これからも俺の隣で、一緒に戦ってくれるか」
「っ、は、はい……、喜んで……!」
心臓が口から飛び出そうになるのを必死に堪えながら頷くと、ジュリアンは心底嬉しそうに微笑み、ゆっくりと体を離した。




