19.最初の接触
数日後、予定通り王妃主催の、未婚の令嬢を集めた大規模なお茶会が開かれた。
王宮の広大な庭園には、色とりどりのドレスを身に纏った令嬢たちが集い、華やかな笑い声を響かせている。
「アイリス様、今日のお召し物も大変お似合いですわ」
「まあ、ありがとうございます。皆様もとても素敵よ」
アイリスは今日もオレーシアの聖母の微笑みを浮かべながら、自派閥の令嬢たちに囲まれて、いつも通り他愛もない話に花を咲かせる。
「お厳しいと評判の王族教育を難なくこなされているなんて、本当に尊敬いたしますわ」
「その上、あんなに完璧で素敵なジュリアン殿下に愛されて、アイリス様は世界一の幸せ者ですわ!」
しかし内心では、酒をあおりながら、普段とは正反対の顔で笑うジュリアンの姿を思い浮かべる。
同時に、馬車の中で『俺の大事な婚約者だ』と甘く囁かれ、優しく髪に触れられた時の記憶が不意に蘇り、アイリスは頬を熱くした。
「そ、そんなことないわ。私にはもったいないくらいの方よ……」
演技ではなく本気で照れながら、それを誤魔化すようにふいっと視線を逸らしたアイリスを見て、令嬢たちは、
「まぁ、殿下を想って頬を染めていらっしゃるわ」
「なんてお可愛らしいの!」
と、勝手に悶絶して盛り上がっている。
ありがたいことに完璧な聖母の仮面は、今日も無事に機能しているらしい。
そうして会も半分ほど過ぎたところで、アイリスはついに切り出した。
「あの、皆様。お話の途中で申し訳ないのだけれど、少し……人酔いしてしまったみたいなの」
アイリスがふうっと細く息を吐き、困ったように眉を下げると、令嬢たちは示し合わせたように顔を見合わせる。
「も、申し訳ありませんアイリス様! 私たちが囲んでしまったせいで……!」
「ふふ、そんなことないわ。皆様とのお話がとても楽しかったから、つい私もはしゃぎすぎてしまったのね。心配をかけてごめんなさい」
アイリスがふわりと微笑んで優しくフォローを入れると、令嬢たちは感激したような顔になり、両手を胸の前で組んだ。
「あの、あちらの西側のガゼボでしたら、人目もあまりありませんし、風通りがよく、とても気持ちが良いですよ。こっそりお休みになるには最適かと」
「ありがとう。では少しだけ、そちらで休ませてもらうわね」
アイリスが礼を言って歩き出そうとすると、令嬢たちが周りに気を配りながら、こっそりと小声で囁きかけてきた。
「アイリス様……どうか、ご無理はなさらずに」
「ええ。先ほどあの辺りで、宰相様の派閥のご令嬢たちを見かけました。どうか、あの方々との対話、頑張ってくださいね!」
そう発言した彼女たちの瞳は、聖母様の崇高な目的を邪魔してはいけないという使命感に燃えているように見えた。
おそらく事前にクララが裏の繋がりを使って流した、アイリスは派閥の対立を憂いていて宰相派とも仲良くなりたがっている、という噂が功を奏しているのだろう。
自分たちから道を空け、ご丁寧にも宰相派閥の令嬢たちが集まっていそうな場所まで誘導してくれたことに、アイリスは内心でガッツポーズをした。
「ええ、ありがとう。見守っていてちょうだいね」
アイリスは聖母らしく優雅に頷き返し、集団から離れた。
その間際、会場内を見渡すが、ロゼッタらしき姿はどこにもなかった。
事前に得ていた情報によれば、今日はボルトス公爵家で重要な来客があるため、ロゼッタは王妃への挨拶だけ済ませて早々に帰宅したはずだった。
一人になれたこととロゼッタの不在を確認できたこと、二つの意味で、自然と口からほっと安堵の息が漏れる。
アイリスにとって、そもそもこの大人数のお茶会自体が体力と精神力をゴリゴリ削られる苦行である。
本気で休みたい気持ち半分、作戦半分で、アイリスは教えられたガゼボへと足を運んだ。
ツタの絡まる美しいガゼボに入って一息ついていると、さっき教えてもらった通り、別のガセボの中で、宰相派の令嬢たちが集まっているのが見えた。
アイリスは彼女たちの顔を見て、脳内のデータベースを瞬時に検索する。
全員が、クララが作ってくれた『自己顕示欲が強くてお喋りな候補者一覧』の令嬢たちだった。
アイリスはよし、と気合を入れ直すと、聖母の顔を作って彼女たちに近づいた。
「ごきげんよう皆さま」
声をかけると、振り向いた彼女たちの目に明らかに警戒と戸惑いの色が浮かぶ。
無理もない。
いがみ合っている敵対派閥の、それも次期王妃と目される令嬢が一人で乗り込んできたのだ。
彼女たちは露骨に嫌そうな顔を見せる。
人見知りが発動しかけたアイリスは思わずびくっと肩を震わせそうになったが、必死に己を鼓舞し、表面上は穏やかな笑顔を微塵も崩さずに立つ。
すると、その中の一人が話しかけてきた。
「あら? こんなところにアイリス様がいらっしゃるなんて。王子派の方々は放任主義なんですのね」
「少し疲れてしまったから、一人で休ませてほしいとお願いしたの。ところで……よろしければ、私と一緒にお話しませんこと? 私、あなたたちとも仲良くなりたいんですの」
アイリスが小首を傾げて慈愛に満ちた笑顔で誘うと、令嬢たちはヒソヒソと視線を交わす。
「そういえば……アイリス様が私たちとも親しくなりたがっているという噂、耳にしましたわ。まさか、本気ですの?」
訝しむように一人の令嬢が尋ねると、アイリスは、
「ええ、もちろんです」
と、眩いばかりの清廉な笑顔を浮かべてみせた。
どうやら彼女たちにも、クララが流した『アイリスは宰相派とも仲良くなりたがっている』という噂はしっかりと届いているらしい。
そのうえで、この学園時代に嫌がらせをしてきた令嬢たちですら取り込んできた、聖母と見紛うほどの笑顔である。
何より、アイリスは王太子の婚約者であり、ボルトス公爵家と並ぶ権力を持つレンフェルト公爵家の令嬢だ。
ここにいる誰よりも高位の貴族から直接「お話ししましょう」と誘われて、末端の令嬢たちが無下に断れるはずもなかった。
「よ、よろしければこちらの席へどうぞ」
警戒心は見せつつも、アイリスの後光が差さんばかりの純粋な笑顔の圧に負けた令嬢たちは、アイリスに席を勧めて輪の中へと迎え入れる。
ひとまず、第一段階は成功である。
表情筋が悲鳴を上げるのを感じながらも、アイリスは内心でほっと胸を撫で下ろした。
聖母キャラごり押しで彼女たちの輪の中に入ることに成功したアイリス。
そしてここからは、アイリスの独壇場だった。
「そのネックレスに使われている宝石は、初めて見る物ですわね」
「お分かりになります? 実はこれ、お父様が特別なルートで隣のギルベリア国から手に入れた物でしてよ。最近採掘されたばかりですの!」
得意げに語る令嬢に対し、アイリスは感嘆したように小さく両手を合わせる。
「まぁ! でも今の時期、偽物が横行しているとかで隣国からの交易の審査にはとても時間がかかると殿下から伺っておりましてよ? それをこんなに早く手に入れられるなんて、伯爵様はどれほど素晴らしいご手腕をお持ちなのでしょう」
「ふふん、まともに市場に出るのを待っていては、いつ手に入るか分かりませんもの。ギルベリアのゴルド商会がお父様に、日頃の感謝の印として、市場に出る前に無償で献上してくださったんですのよ」
「伯爵様は隣国の商人たちから、とても慕われていらっしゃるのね!」
そして彼女が告げたゴルド商会の名前を聞いたアイリスは、笑顔の裏で考えを巡らせる。
利益を第一に考える商人が、見るからに高級な品を無償で差し出すわけがない。
それに相手は、きな臭いと噂されている商家だと聞いたことがある。
裏でよほど美味しい独占販売権でも与えているか、違法な取引を見逃す見返りかもしれないと予想する。
そして一人が自慢して褒められると、他の令嬢たちも「自分も!」と自己顕示欲を刺激されるのが常だ。
「私このドレスも、最近お父様に新調していただいたのですけれど……」
「ええ、とても豪奢な絹ですわね。惚れ惚れしてしまいわすわ。でも、男爵様の領地は昨年、不作で大変だったとお聞きしましたけれど……もしかして、男爵様の並外れた才覚でその危機を見事に乗り越えられたのですか?」
「そうですの! お父様が王宮の財務局に掛け合って、領地の納税の特別免除を勝ち取ったのです。その上で帳簿を上手くやりくりして、我が家の財政を潤したのですわ。お父様は数字の魔術師と呼ばれていますのよ! 他にも最新式のドレスが何着もあるんですの」
「領地のピンチをチャンスに変えるなんて、凄いですわ!」
アイリスは感動したように瞳を輝かせながら、内心で冷ややかに突っ込んだ。
納税免除はあくまで、不作で苦しむ領民の負担を減らすための制度である。
それなのに領主の家が潤い、最高級のドレスが何着も買えるということは……領民からはきっちり税を搾り取って、国には不作で払えないと嘘の帳簿を提出して、丸儲けした可能性も考えられる。
にこにこと全肯定の相槌を打ちながら、アイリスはそれらのあまりよろしくない裏話をしっかりと脳内に記憶していく。
残念ながら、本命である闇オークションに直接繋がりそうな情報は出なかったが、これらの不正につながりそうな証言は、後でジュリアンが宰相派の貴族たちを締め上げるための有効なカードになるはずだ。
無駄な収穫ではない。
やがて、お茶会の終了時刻が近づいてきた。
今日だけでオークションの情報を引き出すのは無理だったか、と内心で息を吐きつつも、アイリスは諦めなかった。
「今日は皆様とお話しできて、本当に楽しかったわ。派閥の事情など色々あると思うけれど、私はあなたたちともっと仲良くなりたいの。これからも、仲良くしてくださるかしら?」
アイリスが小首を傾げ、心底嬉しそうに微笑みかけると、令嬢たちの顔がぽっと赤く染まった。
「も、もちろんですわ! アイリス様がそう仰るなら……!」
「ええ、わたくしたちも、とても楽しかったですわ!」
すっかりオレーシアの聖母の魅力に骨抜きにされ、ほだされてしまっている。
ジュリアンには及ばないかもしれないが、アイリスだって上手に猫を被り続けてきたのだ。
これなら、次回以降も簡単に接触できそうだ。
けれど、今日はそろそろ限界である。
一刻も早く聖母キャラを解除して、もっふもふの布団に全身くるまれたいと引きつりそうな顔で考えていた、その時だった。
「――ふふっ。 さすがは『オレーシアの聖母』ね。 私の友人をあっという間に取り込んでしまうなんて」
ガゼボの入り口から、鈴を転がすような、けれどぞくりとするほど冷たい声が響く。
彼女が誰かを即座に認識したアイリスは、思わず心の中で大絶叫をしていた。
どうして彼女がこんなところにいるのか。
――そこに立っていたのは、真っ赤な赤いドレスに身を包んだ、扇情的な美貌を持つ令嬢、ロゼッタ・ボルトスだった。




