15.最高級布団と歩き食い
食事を終えて外へ出ても、まだ日は当然高く昇っていた。
アイリスは隣を歩くジュリアンの顔をチラリと見上げる。
彼の足取りはしっかりとしており、顔色一つ変わっていない。
全く酔っている風には見えなかった。
「ジンって、お酒すごく強いんですね。あれだけ飲んだのに、全然普通ですし」
「まあな。俺はいくら飲んでも酔わない体質らしいし」
ジュリアンは事もなげに言うと、ニヤリと笑った。
「安心しろ。念のためにジャックも後ろに控えてる。それに今の状態でも、お前一人くらい守れる」
「……はい」
アイリスは小さく頷いた。
そういえば、ジャックはジュリアンの幼馴染兼従者でありながら、彼を守る護衛騎士でもある。
その剣の腕は、当然ながら王宮でもトップクラスに立つのだと以前聞いたことがあった。
この二人がいれば、確かにこれ以上なく安全だろう。
もう帰りたいかと聞かれたアイリスだが、人込みへの怯えよりも、もう少しジュリアンと過ごしたい気持ちの方が勝った。
そこで二人は腹ごなしも兼ねて、王都の通りを適当にブラブラと歩くことにした。
やがて、可愛らしい小物が並ぶ雑貨屋の前を通りかかった時、アイリスの足がピタリと止まった。
「おっ、なんだ。見たいものあるなら寄っていくか?」
しかしアイリスは首を横に振り、別の店を指さす。
「いえ、違います。私が気になっているのは、その隣です」
そこは雑貨屋の隣にある『高級寝具専門店・夢心地の雲』という看板を掲げた店だった。
ウィンドー越しに、様々な種類の枕や分厚い掛け布団が並んでいるのが見える。
「……本当にブレないな」
「だって、このお店、王都でも有数の最高級の羽毛や綿を扱っている名店なんですよ!? 行ってみたかったんです!」
目を輝かせるアイリスに、ジュリアンは呆れながらも、
「行くか?」
と笑って促してくれた。
その言葉に思わずはしゃいで跳び上がったアイリスは、ルンルン気分で店の中に入る。
「ジン、見てくださいこの枕の反発力! 首のカーブに完璧にフィットして、どんなに疲れていても一瞬で深い眠りに誘ってくれます! それからこの掛け布団……これこそが私を虜にした究極のモフモフです! 他にもこちらには様々なニーズに応じた商品の展開をしていてですね、特に私のおすすめを述べるのでしたら、こちらの一番右端にある『天空羊の極厚安眠布団』とか、あちらの『妖精鳥の羽毛100%使用の肌掛け布団』とかもおすすめですし、他には……」
「お、おう……熱量がすごいな……」
アイリスは目をギラギラさせながら、高級寝具の素晴らしさを全力でジュリアンにプレゼンし始めた。
「ジンはいつも夜遅くまで執務をしていてお疲れなんですから、睡眠の質は絶対に上げるべきです! というわけで、この枕と、それに合う最高級のマットレスと布団をお勧めしておきます。絶対買ってください! 買うべきです! 買いましょう!!」
「分かった分かった! 買うから!」
アイリスの凄まじい熱量に押され、ジュリアンは苦笑しながらも購入を承諾した。
とはいえ、今は二人とも平民に変装中であり、王宮への配達を直接手配するわけにはいかない。
すると、少し離れた場所で護衛に徹していたジャックがサッと空気を読んで歩み寄り、見事な手際で店主と交渉し、王宮への極秘の配達手配を済ませてくれた。
その後、すっかり満足したアイリスが外に出ると、もう間もなく日が沈みそうになっていた。
「そろそろ戻るか」
「そうですね」
日が傾き始めると、王都は昼間とは違う賑わいを見せ始める。
仕事終わりの人たちが酒場へと向かい、通りは先ほどよりもさらに混雑していた。
すれ違う人々が何度も肩にぶつかりそうになり、アイリスは無意識のうちにビクビクと肩をすくめてしまう。
「アリス、こっちだ」
ジュリアンがそう声をかけ、そのまま彼女の肩を大きな手で抱き寄せ、自分の腕の中にすっぽりと守り込むような体勢で歩き始めた。
すれ違う男たちがぶつかりそうになっても、ジュリアンの広い背中と逞しい腕が防壁となり、アイリスには指一本触れさせない。
「す、すみません。私、やっぱり人混みはまだ慣れなくて……上手に、避けられなくて」
「別に謝る必要はない。アリスがこういう場所が苦手なのは百も承知だ」
ジュリアンはそう言うと、アイリスの肩をさらに彼自身に寄せた。
そこから伝わる温もりに、心臓がドキンと跳ねる。
が、そんなアイリスの目にある物が止まる。
「……あ。あの、ジン」
「なんだ」
「あそこの屋台の地獄の激辛肉まん、すごく美味しそうです」
アイリスが指さした先には、小さな屋台があった。
そこからスパイスの効いた強烈な香りが漂ってきている。
「嘘だろ、さっきあんなに激辛の肉食ったばかりだろう。まだ入るのか?」
「辛いものは別腹なんです! それに、あの屋台の味は王宮では絶対に出ません。今食べないと、一生後悔する気がして……」
「ははっ、分かった」
ジュリアンは笑いながらアイリスを伴って列に並ぶと、一つ購入してアイリスに手渡す。
「ほら。落とすなよ」
「わぁ……ありがとうございます! ジンはいいんですか?」
「いいから気にせず食べろ」
では遠慮なくとばかりに、熱い肉まんにアイリスは嬉しそうにパクリと噛み付いた。
ふんわりとした生地の中から、舌が痺れるような辛さと肉汁が口いっぱいに広がる。
完璧淑女としては歩き食いなど言語道断だが、今ここに、それを無作法だと咎める人間は誰もいない。
「美味しいです、ジン! ほっぺたが落ちそうです」
「良かったな」
口の端に真っ赤なソースをつけたまま満面の笑みで頬張るアイリスを見て、ジュリアンはどこか眩しいものでも見るように目を細めた。
そして、自然な動作で指を伸ばし、アイリスの口元についていた赤いソースをスッと拭い取った。
「あ……」
「ほら、早く食って馬車に乗るぞ」
ジュリアンは拭い取ったソースを自分の口元へ運び、ペロリと舐め取った後、「辛っ……」と小さく呟いて眉間に皺を寄せる。
そのあまりにも自然で、あまりにも破壊力の高い無意識の行動に、アイリスの顔は肉まんのソースよりも真っ赤になった。
激辛料理以上の熱が顔に集まるのを感じながら、アイリスは完全に思考停止状態で、ジュリアンの隣を歩くことしかできなかった。
そんな胸キュンのハプニングを経て、アイリスはようやく王都の裏路地に待機させていた馬車の前までたどり着いた。




