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聖母令嬢はお布団に帰りたい ~完璧王太子に素顔がバレたら、全力でお世話されそうです~  作者: 春樹凜
甘やかしの予兆

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11/12

11.デートの約束



 お茶会が終わり、アイリスは王宮の玄関に待たせている公爵家の馬車へと向かっていた。  

 その隣には、当然のようにアイリスをエスコートするジュリアンが並んで歩いている。


「今まですまなかったね、アイリス」


 周囲に警備の騎士や使用人たちがいるためか、ジュリアンは穏やかな声でそう謝罪を口にした。


「一体何に対する謝罪でしょうか、殿下。私の残りのケーキを全て食べてしまったことですか?」

「それもありますが。君が、あんなにも甘いものが得意ではなかったことに、今日まで気づけなかったことですよ。婚約者として不甲斐ないですね、私は」

「そんな、殿下が謝られることでは……」


 それにしてもどうして今回はばれてしまったのかと内心不思議に思っていると、ジュリアンが申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「君のことを、もっとちゃんと見ようと思いまして、最近はアイリスの所作に少し注意を払うようにしていたんです」

「私のですか?」

「はい。君はあのケーキを口に運んだ時、フォークの先をほんの少しだけ長く唇に当てて、ためらうような仕草をしていたように見えましたから。それに、飲み込んだ後にすぐに紅茶を口の中に含んでいたでしょう? 最近執務室でも、似たような仕草を見ていましたから」


 その的確すぎる指摘に、アイリスは言葉を失った。  

 

 無意識の癖を見抜かれた驚きよりも、ジュリアンが自分をちゃんと見ようとしてくれていることに、胸の奥が小さく跳ねた。


「これからは、ちゃんと君のことを知っておきたいんです。例えば……アイリスの本当に好きなものは何ですか?」


 以前彼に同じ質問をされた時は、王宮の庭園に咲く美しい花々や、他国から入ってくる可愛らしいお菓子ですと答えていた。


 しかしアイリスは、周囲の人間に声が届かないことをチラリと確認すると、ジュリアンを見上げて小声で答えた。


「……お布団です」

「それは知ってる」


 ジュリアンも瞬時に低音ボイスに切り替え、呆れたように小声で返した。  


 そして、他には? と目で促してくる。  


 なのでアイリスは本当に好きな物を一つ、打ち明けることにした。


「……実は私、激辛料理も大好きなんです」

「へぇ、意外だな」

「はい。世界中の辛いスパイスを収集してまして。自分でブレンドして作った地獄のマイスパイスを常に隠し持って歩いているくらいには。そうだ、最近、王都にとても辛い料理を出すお店ができたらしいんですけど、一人で行くのはさすがに怖くて……」

「護衛の騎士か、侍女を連れて行けばいいだろ」

「侍女のクララは匂いを嗅いだだけでむせるくらい辛いものが駄目なんです。それに」


 アイリスはシュンと肩を落とし、極小の声で付け加えた。


「私、基本的に初対面の人間とか怖くて仕方ないので、お店の人に注文する勇気もないんです……。あとそのお店、原則一人一品注文しないといけないらしくて」

「なるほどな。なら確かに連れていく奴を探すのも一苦労ってわけか」


 そして何かを考えるように一瞬下を向くと、ぽんっと手を叩いて、顔はキラキラ王子のままで相変わらずの小声で言った。


「よし、じゃあ、俺が連れてってやるよ」

「えっ……?」

「この間言っただろ。今度、俺の息抜きにも付き合ってもらうって。ついでにそっちも案内してやるし、お前の行きたい店行って飯の注文もしてやる。俺は辛いのも嫌いじゃないしな」

「ほ、本当ですか!?」


 思わず目を輝かせていたら、ふっとジュリアンが笑った。


「ありがとうございます殿下! 殿下が神様に見えます!」

「やめろよ、そんな大層なもんじゃない」


 と、ここでアイリスはふと眉を下げる。


「でも、私が行って殿下のお邪魔にならないでしょうか……」

「邪魔にはなんない。ただまあ、俺の行く場所は、お前みたいな箱入りにはちょっと刺激が強すぎるかもしれないな。人が多くてうるさしい、正直ガラも……ものすごくいいってわけじゃないから」


 ジュリアンが少し気まずそうに目を逸らす。


 確かに陰キャのアイリスにとって、治安の怪しい騒がしい場所は精神的な負担が大きい可能性があるが……。


「今回は激辛の店だけでいいか。俺の息抜きは、またお前の気が向いた時にでも……」

「い、いえ! 行きます!」


 アイリスは思わず、ジュリアンの言葉を遮って叫んでいた。


 いつも完璧で物静かなアイリスの大声に、周囲の騎士や使用人たちが、何事かと驚いたように二人へ視線を向ける。


 しまった、とアイリスは内心で舌を出す。  


 しかし、完璧淑女のスキルがここで火を噴く。

 アイリスは瞬時に顔をほんのりと赤らめ、胸元で両手を組んで、恋する乙女のようなうっとりとした表情を作り上げた。


「行きますわ、殿下。殿下が行かれる場所なら、地の果てまでも、わたくしお供いたします」

「おお……」


 そのあまりにも健気で情熱的な愛の言葉に、周囲が感動の溜め息を漏らし、再び微笑ましく視線を外してくれた。  


 無事に周囲を誤魔化し、アイリスは心の中でホッと息を吐く。


 だが、ジュリアンと一緒に行きたいと言ったのは、決して出任せの嘘ではなかった。


「私、殿下の息抜きにもお付き合いします! 人混みは苦手ですけど……殿下が一緒なら、頑張れるような気がします」

「そんな、頑張るようなことでもないと思うけどな」

「で、でも、行ってみたいんです! 私だって、もっとちゃんと殿下のこと、知りたいんですから」


 アイリスがそう言うと、ジュリアンは少しだけ驚いたように目を丸くし、とこか嬉しそうに息を吐いた。


 と、ちょうど入口に着き、公爵家の馬車が見えてきた。  


 そこでジュリアンは、馬車に乗り込もうとするアイリスの手をそっと引き寄せた。

 爽やかな笑みを浮かべたまま、アイリスにだけ聞こえる声で囁く。


「次の休みに迎えに行くから、準備しとけよ」


 何も言えず、小さく頷くことしかできなかった。

 そんなアイリスを満足げに見つめるジュリアンを残し、馬車の扉が閉まる。  


 やがて、ゆっくりと馬車が動き出した。

 アイリスは控えめに手を振りながら、憧れの激辛店に行ける喜びと、先ほどのジュリアンの声の余韻に、激しく高鳴る心臓を押さえていた。


「……何をお話しされていたのかは存じ上げませんが。お二人とも、なんだか微妙に距離が縮まったような気がしますね?」

「ひゃんっ!?」


 馬車の中で待機していたクララは、目の前で茹でダコになっている主を楽しそうに見つめていた。


 確かに、その自覚はある。


 完璧な至宝と聖母を演じ合っていた六年間よりも、お互いのとんでもない本性を知ってしまった今の方が、ずっと心が通じ合って、距離が近くなった気がしていた。


 アイリスは両手で熱い頬をパタパタと扇ぎながら、どうにか話題を逸らそうと先ほどジュリアンに言われたことを説明した。


「あ、あのね! 今度の休日、殿下が私を王都にある、あの激辛料理の店に連れて行ってくれるって約束してくれたの!」

「つまりそれは、デートですね」

「デ、デートだなんて……っ」

「婚約者同士なのですからデートで間違いありませんよ。それより、これまでも散々出かけておりましたのに、今回はやけに嬉しそうですね」


 ジュリアンとは、婚約者として何度も出かけている。

 けれど今回は、優雅なお茶会でも観劇でもない。   

 行き先は、庶民的な激辛料理の店と、ジュリアンが素の姿で息抜きできる場所で。


 これはもしかして、本当の意味での初デートなのでは……?


 その事実に思い至った瞬間、アイリスの顔は先ほどよりもさらに赤く沸騰する。


 これまでアイリスは、ジュリアンのことをそういう目で見たことなど一度もなかった。


 彼への感情は、神に対するものにも似た尊敬と、同じ期待を背負う戦友のような親近感だけだったはずだ。


 けれど彼の本当の姿を知ってからというもの、気遣ってくれる声や、書類に向かう真剣な顔、ふと見せる笑顔を思い出すたび、胸の奥が落ち着かなくなる。


 とはいえ、アイリスの恋愛経験はゼロである。  

 前世でも人と深く関わらず、今世でも社交を終えれば布団に逃げ込む生活を送ってきた。


 そんな彼女が、この感情の正体に気づくには、まだ少し先の話である。



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