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RUST RAIN  作者: 蓮川のあ
3/6

錆びない時間

 朝になっても、雨は降り続いていた。


 フィオラの石畳は昨夜の雨を吸い込み、

薄い霧を纏っている。


 窓辺に立ちながら、

ペルリニエは静かに外を見ていた。


 細い雨。


 灰色の空。


 遠くで鳴る鐘の音。


 カルタスト大陸では、

ありふれた朝の景色。


 でも。


「……綺麗だな」


 ぽつりと、

そんな言葉が零れた。



「ペルー! 朝ごはんできたよー!」


 後ろから聞こえる明るい声。


 ペルリニエはゆっくり振り返る。


 エリシアがパンの籠を抱え、

こちらへ手を振っていた。


「冷めちゃうよ!」


「……今行くよ」


 その言葉に、

エリシアは少し嬉しそうに笑う。


 不思議な人だ。


 こんなにも無防備に、

誰かへ笑いかけられる人間を、

ペルリニエはほとんど知らない。



 小さな食卓。


 湯気の立つスープ。


 焼きたての黒麦パン。


 窓を打つ雨音。


 静かな時間だった。


「ねぇペル」


「どうしたの?」


「昨日より顔色良くなってる」


「……そうかな」


「うん、昨日苦しそうな顔してたから」


 さらりと言われ、

ペルリニエは少しだけ目を細める。


「君、不思議な子だね」


「え?」


「普通、初対面にそんなこと言わないよ」


 エリシアはきょとんとしたあと、

小さく吹き出した。


「でも本当だったし」


 ペルリニエは少し黙る。


 それから。


 小さく笑った。


 本当に僅かだったけれど。


 確かに笑った。



 昼過ぎ。


 エリシアは買い物へ行くため、

ペルリニエを連れて街へ出ていた。


 フィオラの街並みは、

古びている。


 雨に濡れた煉瓦。


 錆びた街灯。


 軋む看板。


 けれど人々は皆、

穏やかに暮らしていた。


「エリシアちゃん、その人誰だい?」


 八百屋の店主が笑いながら聞く。


「あー……えっと……」


 エリシアは困ったようにペルリニエを見る。


 ペルリニエは静かに頭を下げた。


「しがない旅人です」


 店主は朗らかに笑う。


「フィオラへようこそ!」


 その瞬間。


 ペルリニエの瞳が、

少しだけ揺れた。


 ――ようこそ。


 そんな言葉を向けられたのは、

いつぶりだっただろう。



 市場を歩きながら、

エリシアは隣を見る。


 ペルリニエは、

どこか周囲を警戒していた。


 まるで。


 “普通の日常”に慣れていないみたいに。


「ねぇペル」


「どうしたの?」


「好きな食べ物ある?」


 ペルリニエは少し考える。


「……よく分からない」


「え?」


「食事は栄養補給するためだけの事だよ」


 エリシアは思わず足を止めた。


「えぇ……」


「変かな」


「変だよ!?」


 ペルリニエは困ったように目を伏せる。


 エリシアは少し考えてから、

屋台の焼き菓子を一つ買った。


「はい」


「……?」


「甘いもの食べると幸せになるんだよ!」


 半ば無理やり押し付けられ、

ペルリニエは焼き菓子を見る。


 そして一口。


「……」


「どう?」


 沈黙。


 数秒後。


「……甘いね」


「そりゃそう」


 エリシアは吹き出した。


 つられるように、

ペルリニエも少し笑う。


 その笑顔を見た瞬間。


 エリシアは、

胸がぎゅっとした。


 この人は。


 どうしてこんなに、

寂しそうに笑うんだろう。



 一方その頃。


 ヴェルグレイヴ軍本部。


 重苦しい空気の中、

アルヴィスは報告書を睨んでいた。


「紫晶系魔力反応……」


 その文字が、

嫌に目につく。


 窓の外では雨。


 止まない雨。


「隊長」


 部下が声をかける。


「フィオラへの派遣命令です」


「……そうか」


 アルヴィスは静かに立ち上がった。


 胸騒ぎがする。


 ずっと。


 昔から知っているような、

嫌な予感。


 雨音が、

妙に耳に残った。



 夕暮れ。


 エリシアの家へ帰る途中。


 突然、

子供の悲鳴が響いた。


「っ!?」


 エリシアが振り返る。


 古い鉄看板が、

崩れ落ちていた。


⠀ずっと続いている雨のせいで老朽化していたのだろう。


 その下には、

小さな男の子がいた。


「危ない!!」


 エリシアが駆け出す。


 でも間に合わない。


 その瞬間。


 紫色の光が走った。


 空気が震える。


 落下していた鉄看板が、

空中で止まる。


 男の子は無傷だった。


 周囲が静まり返る。


 ペルリニエは、

咄嗟に右手を下ろした。


 まずい。


 使うつもりじゃなかった。


 でも。


「す、すごい……!」


 子供が目を輝かせる。


 その瞬間。


 ギギギ……と、

嫌な音が響いた。


 看板が、

急速に赤錆へ侵食されていく。


 周囲の街灯。


 鉄柵。


 濡れた金属。


 全てが一瞬で腐食していく。


 空気が凍った。


 エリシアが息を呑む。


 ペルリニエの顔色が、

目に見えて青ざめていく。


「……ぁ」


 小さく震える声。


 雨が強くなる。


 まるで。


 空そのものが、

彼に呼応しているみたいに。


 ペルリニエは俯いたまま、

壊れそうな声で呟いた。


「……ごめん」


 その言葉だけが、

雨音の中へ静かに沈んでいった。

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