第6話 変化<へんげ>(第1部・全16話)
エリ先輩は手にした『注射器』を左手で握り締め、自分の右腕に注射する。
「あああああ!」
エリ先輩の絶叫が響き渡る。
それと同時に『千の手の塊』がまるで彼女を食さんとばかりに、犯そうとばかりに、
上から覆い被りエリ先輩の身体全身を弄っていく。
自分が確認できたのは、そこまでだ。
エリ先輩がこの後どうなったのか確認することはできなかった。
なぜなら、緊急特別室内からも同じような絶叫が響き渡ったからだ。
「あああああ!」
こんどはこっちか!
どこだ?
誰だ?
ショートボブの泉さんか?
いや、違う。
被害者だ。
被害者の女性が絶叫をあげている。
「いやあああーっ!」
彼女自身が収容されているカプセルの周りに、隙間がなくなるほど張り付いていく千の手。
今まさに『カプセルごと』握って拉致しそうな状況であった。
彼女からすれば、自分を攫おうとする『千の手』がカプセルにことごとく
張り付いていく様は気持ちのいいものではない。
例えとして、窓ガラスの向こうに、ナメクジや蛭、魚介類が無数の張り付いて、今にも自分の肌を
吸い付くさんと蠢いているのを見たら、それは気持ちのいいものではない。
あまりの数の多さにカプセルを構成している強化ガラスがビキビキ言い始めている。
泉さんは?
ちょっと自分好みで自信家で気の強そうな泉さんはどこ?
耐圧服という軽潜水服を着た泉さんであったが、抵抗虚しく『千の手』の群れに身体中を縛られている。
こちらもビキビキと言う鈍い音が伝わってくる。
泉さんがきている軽潜水服は耐圧服だ。
結界内では空気圧とは異なる何らかの『圧力』が加わるらしい。
俺自身の身体は特に何ともない。
まるで水の中にいるように動きにくいだけだ。
まあ、着ている服は自分のではなくエリ先輩の『おじさん?』の服らしいが。
あ、パンツも、エリ先輩の下着だが。
そんな事を考えながら千の手と戦っていたが、泉さんの耐圧服は結界の圧力と千の手の攻撃でひび割れし始めていく。
ひび割れた耐圧服の隙間から、結界の圧力が加わっていくのであろう。
泉さんは悲鳴をあげた。
「あああああ、おおおおお。」
それと同時に、蛇のような細い腕をした数えきれないほどの千の手が、ひび割れの隙間を通り抜け、
泉さんの生の身体を侵食攻撃していく。
「い、いやっ! でも、ああ!」
これまでとは別の呻き声をあげて泉さんが悶えている。
まるで身体全身に包まれた快感のような感覚に、身を委ねているように悶えている。
襲いかかる無数の『千の手の塊』の指の先端がまるで針のようにか細くなっていく。
そしてきれいな肌にすいつくすようにまとわりつく。
針のように細くなった指の先端は泉さんの穴から穴へと体内の内部へと侵食していく。
「あ、あああ。」
泉さんが悶える。
小さな手の指先の動き。
悶え苦しむ喘ぎ声とともに快感の表情を浮かべる泉さん。
何とも悩ましい姿。
何とも素晴らしい呻き声。
千の手の数々が泉さんの耐圧服を切り裂かれた、あられもない姿が俺の目に飛び込んでくる。
いいなあ。
ずるいなあ。
泉さんの白い肌を包んでいる下着がまだ残っている。
おお!
黒だ!
黒い下着をつけている!
何ともセクシー!
んな事考えている場合ではない。
泉さんがピンチである。
緊急特別室の外の廊下では、エリ先輩もピンチのはずだ。
自分は千の手の撃破で動けない。
彼女は?
被害者の女性は?
見ると、彼女もピンチであった。
被害者の女性がいると思われるカプセルは、もう数えきれないほどの千の手蛇に覆い尽くされて、
中がどうなっているのかわからない。
生きてるのかな?
いったいこれからどうなるのかな?
自分自身もどうなるんだろう?
このまま自分の人生もここで終わってしまうのかな?
そう思った時『異変』は起きた。
このまま自分の人生がここで終わらない事を確信した。
「ぐああああーっ!」
声にならない絶叫があたりに響く。
その時突然、圧を感じた。
強力な圧の波が身体全身に押し寄せた。
まるで何かが爆発したようだ。
『衝撃波』の圧が結界内に走ったかと思うと、とても蒸し暑い波が押し寄せてきた。
ほら、あれだ。
真夏、ギンギンに冷房を効かせた部屋から外のドアを開けた瞬間、「ムッ」と押し寄せる真夏の熱波のように。
だがしかし、この熱い衝撃波はその類ではない。
火傷するんじゃないか、と言うぐらいの熱い熱波が緊急特別室内に響き渡った。
それはまるで超新星の『爆発』のよう。
そう、まさにそれは、『爆発』であった。
目を覚ます。
ん?
俺は寝ていたのか?
自分は意識を失っていたのか?
また、か?
いや、違う。
今度は記憶をなくす事はなかった。
正確に言うと、気を失ってはいた。
だが、爆発の衝撃で吹き飛んだ泉さんが俺の身体に当たって、その衝撃で意識を取り戻した。
たぶん、おそらく、意識を失っていたのは数秒、または数分だろう。
この結界と言い、先日の電車内と言い、結界類が発動すると気を失わせる何かがあるのだろうか。
それはさておき、自分の胸元に泉さんの顔がある。
小さな声で、弱々しく息をしている。
はあ、はあ、とその息使いが近すぎる俺の顔の前で行き来する。
強烈な爆発の影響で泉さんの着ていた軽潜水服やその下に着用していた衣服もボロボロである。
軽くて白い肌の泉さんの露わな姿が目に飛び込む。
残念ながら、黒い下着はちゃんと着用されている。
少しボロボロで乱れてはいるのだが。
だが不思議だ。
俺がきている服に異常はない。
周りの物や泉さんの衣服がボロボロなのに、なぜ自分の服のみ『正常』なのか?
もちろん汚れがあったり、よれてたりはしたが、基本何の影響もない。
この服はエリ先輩の『おじさん』の服だそうだ。
下着は、エリ先輩に物だが。
何かの秘密があるのか?
なぜ俺の服は、どうなってしまったんだ?
そもそも、俺の服は、まだあるのか?
そんな事を考えている暇はない、と目に入った物を見て俺は愕然とした。
燃えてる。
確かに『爆発』があったわけだから、燃えているのは確かであったが、だが違う。
燃えているのは人だ。
燃えているのは他でもない、被害者の女性だ。
だが、生きている。
呼吸をして、凛と立っている。
そう、被害者の女性の身体から猛烈な火炎が発生している。
火で燃やされているのではなく、自分で燃えているのだ。
だが彼女本人は何ともない。
自分の体が燃えているのに苦痛もない。
どちらかと言うと彼女の体内にあった何らかの力が発動しているようだ。
恍惚の表情を浮かべ明らかにイっている。
じっと何もない天井に視線を向けたまま、恍惚の表情を浮かべる被害者の女性。
だがその身体。
上半身は普通の人体だが、下半身は異形の姿。
メラメラと燃える炎は、被害者の女性が着ていた衣服を無ものにし、今ほぼ全裸状態だ。
下半身の異形の股間の奥から、敵である千の手と同じような質感の長いひだを何本も伸ばしてピクピク蠢いている。
なんだ、あれは?
汚い話だが、肛門から伸びてきた寄生虫のようだ。
まわりは、と言うと、それまで無尽蔵に湧き出て出現していた千の手たちがいない。
わずかに、被害者の女性の足元で燃えて悶絶の悲鳴をあげながら虚無へと消失していく
いくつかの千の手魑魅魍魎の残骸を見て取れるだけであった。
爆発で飛んできた泉さんを自分の身体全身で受け止めていた自分は、緊急特別室から弾き飛ばされ、廊下に出ていた。
ふと気がつくと、廊下ではエリ先輩が迫り来る千の手の塊と戦っていたはずだ。
彼女は?
エリ先輩は?
見ると、もうもうと何かが立ち込める中、エリ先輩はこちら側に背を向けて立っている。
こちらもほぼ同時に戦いが終わっていたようだ。
かっこいい。
こちら側に背を向けて、肩で息しているエリ先輩の後ろ姿がかっこいい。
もうもうと立ち込める何かは、たぶん駆逐排除した千の手の塊の蒸発した残滓であろう。
改めて、肩で息をしているエリ先輩の後ろ姿を見る。
髪の毛が乱れ色々と戦った行為の激しさが見て取れる。
汗にまみれた綺麗な髪。
はあはあ、と肩で息するその姿。
悩ましい。セクシーだ。
エリ先輩の着用していた衣服はボロボロだ。
ところどころ、素肌が見えている。
おお、下着は白か。
いや、そこではない。
エリ先輩の姿がおかしい。
そう、右半分の衣服の損傷が顕著だ。
と言うより、右側半分の衣服は剥がれている。
そしてそこから見えるエリ先輩の右側の異常性に気がついてしまった。
何か黒い。
エリ先輩の右側半分が黒光りしている。
まるで鋼鉄の皮膚のようだ。
え?
驚いている自分と、戦い終わって肩で息をするエリ先輩と目が合った。
俺は見てはいけないモノを見てしまったと悟った。
いけないものを見てしまった空気。
いけないものを見られてしまった空気。
しばしの間、悲しくも乾いた空気と時間が流れた。
張り詰めた距離と時間を切り裂いたのは、エリ先輩の寂しくも悲しい言葉であった。
「如月クン、見ないで、って言ったのに。」
エリ先輩が、今までにないほどの悲しい目をしていた。




