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ラプラスは、森の中を駆けていた。木の根や悪路に何度も転びそうになるも、一度も立ち止まらず走り続けれていた。
耳を澄まさずとも、自らの苦し気な吐息が聞こえていた。
腕の中には、異形と化したフィルが眠っていた。
筋肉が膨れていたと言っても、背丈は元のままだった。だから辛うじて、貧弱なラプラスでも抱きかかえて走ることが出来た。
焦りは募っていくばかりだった。
数分前に「円環」達を先頭不能にした『堕落』は、時間と共に効果が薄れていくことを理解しているからだ。
特に魔法使いであれば、持続時間は短い。もしかしたら、既に付記しているかもしれない。
そして、『堕落』が切れた彼らは間違いなくラプラスを追いかけてくるだろう。
ヨハンの魔法書『第三十九章:堕落の章』。
彼女が『堕落の魔女』と呼ばれる所以でもある魔法。
フィルが契約に失敗した魔法書のように、体に変化を生じさせるものではなく、変化をもたらすのは肉体ではなく心。
「堕落の章」で会得できる魔法は、感情を強制させること。
ラプラスは、フィルやラルゴたちに対して倦怠感や脱力感を強制させた。
だが、その強制力も一時的なものでしかない。永続的に他者の感情を変えようとするなら、準備に時間を要する。
心への干渉なんて芸当は、特異たる魔法書の魔法でなければできないことだ。
それはつまり、『堕落』の行使は自らの正体を明らかにするに等しい。
この逃走劇は彼らからフィルを守る以外にも、ラプラス自身の身を守ることにも繋がっていた。
すでに、奴らもラプラスが契約者だと気付いたことだろう。
もしかしたら、奴らの目標がフィルからラプラスに移っているかもしれない。
フィルもいつ「堕落」が解けて、暴れだすか分からない状況。
これが異形化する前のいたって普通の子供であれば、半月は『堕落』したままだっただろう。
魔法書の影響を受けている今のフィルは、「円環」たち同様にそのうち『堕落』が切れてしまうだろう。
できるだけ遠くに、逃げなくてはいけない。『円環』に正体がバレた以上、それは必要なことだ。
走りづめで酸素の回っていない頭に、ふと悪い考えがよぎった。
逃げることは必要だ。
だが、フィルを連れる必要は?
このお荷物を抱えた状態で逃げ切れるだろうか?
どうせ追いつかれて二人とも殺されるぐらいなら、フィルをここに捨てて、自分だけ助かるほうがずっと建設的ではないだろうか?
フィルを助ける理由は無い。
動機はあった。
巻き込まれたのが可愛そうだと思ったのだ。
自分の場合は魔法書の契約は半ば強制されたもので、避けようがなかったというのは同じなのかもしれない。彼との大きな違いは、才の有無。
才能がなかっただけで死ぬのは、哀れだと思った。
それだけだった。
魔法書が欲しい訳でも、弱者救済などといった高潔な精神がある訳でもない。
単なる同情。ありふれた、ちっぽけな感情だけしかなかった。
気が付けば、足が止まっていた。
自分に「堕落」をかけてしまった、なんて間抜けな話ではない。
自分の意志でフィルを抱えていた腕すら下ろそうとした、その時。
「なんだ、もう逃げないのか?」
「えっ?」
木の陰からアルフレッドが
「あんたがなんで、ここに」
「……あんだけ騒がしかったら気づくだろ。まあ、ミカは気づかず寝てたけどよ」
彼の目線は、ラプラスの腕の中に向けられていた。
「その腕に抱きかかえているのは、魔法具店のガキか?」
頷く。
「で、もう諦めるのか?」
変事は返せなかった。
「ま、いいさ。お前らを助けに来たわけじゃない、俺はただ欲しいものを手に入れに来ただけだよ」
砂のこすれる音がした。無意識のうちに、後ずさりしていた。
「私を殺す気?」
「ん?ああ、馬鹿言え、魔法書に興味ねえよ。剣士が魔法書を手に入れたってしょうがないだろう?俺が欲しいのはお前自身だよ」
「私にそんな価値ないよ。今もこのガキを見捨てるつもりだったのよ」
「別に、いいぞ?俺はそのガキに興味ないし。欲しているのもお前の魔力だしな」
「えっ」
「ほら、そいつを捨ててさっさとここを離れとけ」
「……いやだ」
なぜだか、分からなかった。
自分の嫌なところを付きつけられているような気がして、反発している。
「どっちだよ」
「助ける」
「あっそ。なら、とっとと行け」
「あんたは助けてくれないの?」
「そんな情けない声出すなよ。追っ手を片付けたら、追いついてやるからよ」
次の更新は、9/28の予定です。




