報せの前触れ
「おはよーシリル。朝ご飯あるー?」
「あるが、まず顔を洗ってこい」
リティシアが自室から廊下に出ると、階下からシリルと双子の声が聞こえた。彼らは既に起きているらしい。外は薄暗く、普段なら双子はまだ寝ている時間だ。珍しいことではあるが、ジークとの諍いで彼らも気が張っていたのかもしれない。
リティシアは音を立てないように部屋の扉を閉める。いつもなら、エリセはこの時間から起きているのだが、今日はよく眠っている。昨日、彼女は働きすぎといえるくらい働いていた。天界まで行き、その後は街の見回りまでして。
「……昼まで寝てたって、誰も文句言わないわよね」
小さくひとりごち、そっと階段を下りる。年季が入った木造の階段は、どれだけ気をつけていても軋んでしまうのだが。
「おはよう」
居間に顔を出すと、ぱらぱらと挨拶が返ってくる。シリルは台所でお湯を沸かしていて、双子はそれぞれ鍋から皿に朝食をよそっているようだった。
「アーシャは?」
「ちゃんと寝ていた。顔色も悪くはなかったな」
一言聞けば、シリルは的確な答えをくれた。その言葉にリティシアはほっと息を吐きだし、食卓へと向かう。
「エミル、相変わらず早いわね」
食卓の端の方に家臣の顔を認め、リティシアは肩を竦めた。彼女自身が知る限り、エミルがリティシアより遅くに起きたことはない。
「……というより、ちゃんと寝た?」
「はい、おかげさまで」
そもそも、彼がちゃんと「客人」としての扱いに甘んじたかというところから、リティシアは不安を覚えていた。リティシアは自分や父の家臣としての彼しか知らないから、細々と働き続ける印象しかないのだ。しかし、休めたのならよかった――と言おうとしたとき、アリスから声がかかる。
「エミルさん、ご飯運ぶから座って待っててね!」
「え、あぁ……はい」
エミルの居心地悪そうな声に、リティシアは悟る。やはり、彼は真面目だ。アリスの釘を刺すような口調からして、何度か手伝おうとしたのかもしれない。
「リティシアも座っててね、今日はボクらがやるから」
「……あら、ありがとう」
クリスの言葉に、リティシアは少し迷ってから甘えることにした。彼がどういう意図でそう言ってくれたのかは分からない。しかしエミルの普段の様子からして、リティシアが働こうとすれば、彼自身座ってはいられまい。落ち着かずに手伝おうとするだろう。それでは本末転倒だ。
「そういえば昨日はなかなか聞けなかったけれど……父さまと母さまはどうしてる?」
リティシアはエミルの向かいに座り、机に頬杖をつく。
「お変わりありませんよ。……魔王陛下は、日に数度ほど姫様のことを心配しておいでですが」
「……帰るのが怖いわね……まだ1年も経っていないのよ」
エミルは笑って答えてくれたが、その笑みはすぐに苦笑いに変わった。父親の相変わらずの心配性っぷりに、リティシアの眉根に皺が寄る。
「むしろ、もう少し時間が経てば陛下もお慣れに…………なりません、ね」
「ならないわね」
家臣にも諦められるほどの親馬鹿は、今に始まったことではない。リティシアに兄弟姉妹がいないことも手伝って、愛情が有り余っているくらいだ。
「まあ、いつも通りってことならむしろ心配ないわ。ファナやミリタリア卿はどうしているの」
城に出入りのある知り合いの名をいくつか挙げると、「そちらもいつも通りです」と返事が返ってくる。
「なら、よかったわ。魔界のことは心配せずにいられそう」
今は人間界のことと、アーシャたちのことで手一杯だ。これ以上心配事を抱えては、さすがにリティシアの頭が破裂してしまう。
「そういえば、昨日の見回りでは何もなかった?」
リティシアは双子に顔を向け、声を掛ける。もっぱらの心配事といえばこちらの方だ。
「なんにも、見つからなかったよー」
深皿を運びながら、アリスが首を振る。リティシアとエミルの前に皿を置いてくれた彼女に、二人はそれぞれ礼を述べる。クリスも皿をふたつ運んで食卓に置き、椅子に座る。
「エリセとボクらで分かれて見て回ったけど、何にもなかったね」
「うん、街の瓦礫をまとめといた場所とかも頑張って見たけど、なかったね」
アリスも椅子に座り、クリスの前から皿をひとつ引き寄せる。中に入っているのは、挽いた燕麦を柔らかく煮こんだ粥だ。それを匙で掬って口に運びながら、双子は顔を見合わせている。
「てっきり、魔樹に続いて追い打ちをかけてくるんじゃないかって思ったの」
「ね。でも、なんにも起こらなかったね」
確かに、あれだけ派手に王都を破壊しておいて、何も追撃がないというのは却って不気味だ。リティシアは匙を持ちながらも考えを巡らせる。
「もちろん警戒はすべきだが……あんなに大規模な召喚魔法、そうそう連続で使えるものでもないだろう」
双子が匙を口に入れて静かになったのを見計らい、台所にいたシリルが口を開く。彼はカップをいくつかとポットを持ち、食卓へと移動する。いつもお茶を注いでくれる天使は今いないから、給仕は各自でということだろう。
「……、複数犯であれば、連続での召喚も有り得るのでは」
「それは確かに危惧すべきだ。昨日何もなかった、というだけで可能性がしぼれるわけではないからな……」
エミルの言葉にシリルが頷いたとき、微かに階段が軋む音がした。
「あれ、誰か降りてくるー」
双子も気づいたようで、匙を持っている手を止め、背中を伸ばして廊下の方を見ている。規則正しい足音と共に、その音の主が顔を覗かせた。
「アーシャ」
「おはよう」
リティシアが彼の名を呼ぶと、アーシャはいつも通りに微笑んで返事をした。しっかりと自分の足で立っている。
「もう大丈夫なのか」
居間に入り、空いている椅子――リティシアの左の椅子の背もたれに手を置いた彼に、シリルが声を掛ける。
「痛みはもう全然。ずっと寝てたからかな、起き上がると頭がぼーっとするんだけど、それくらい」
「それは出血が多かったからではないのか?」
そのまま座ったアーシャは、「そう……なのかな?」と首を傾げている。
「自分のこととなると、呑気……」
「まったくもって同意ね」
エミルの呟きに、リティシアはしっかりと頷いた。人のことはあれだけ心配した癖に、という言葉は飲み込んでおくことにする。そういえば、エミルはリティシアが怪我したことを知らないのだ。
「食欲は?」
「なくは、ないかな」
なら食べておけ、という言葉と共に、シリルがアーシャの目の前に皿を置いたと同時、2階から大きな音が響いた。リティシアも仲間たちも、思わず扉を閉めたときのような固いもののぶつかり合う音。そして、忙しない足音。
「お、おはようございますっ!」
何故か改まった口調で居間に飛び込んできたのはエリセだった。編む時間が惜しいとでも思ったのだろうか、簡単に結っただけの髪がなびいている。下がった眉が、彼女の切迫感を如実に表している。
「あ、おはようエリセ」
「そんなに急がなくてもいいのに」
再び粥を食べ進めながら、双子が挨拶をする。
「そうよ、もう少し寝ていてもいいんじゃないかしら。疲れてたんでしょ?」
「でも今日はわたしが朝ご飯作る日だったし……」
リティシアも頷くが、エリセは頑なに首を振る。
「なら、明日のオレの当番と交換でいいだろう」
ほんの少し苦笑を浮かべたシリルの言葉によって、ようやくエリセは心を落ち着けたようだった。
「寝坊でそんなに焦らなくってもいいじゃないの」
「う……学院にいたときの癖で……寮だとけっこう厳しいから……」
リティシアが笑うと、エリセは気まずそうにしながら台所へと向かう。彼女はシリルから粥をよそった深皿を受け取ると、食卓にそれを置いて、リティシアの右の椅子へと腰かけた。
「アーシャ、具合はどう?」
「だいぶ落ち着いたよ。エリセとみんなのおかげで」
アーシャの笑みに、エリセも安心したように笑う。が、すぐにその笑顔は引っ込んでしまった。
昨日何かがあったのだろうか、とリティシアはエリセを見つめる。そこで、ふと彼女の言動が思い出された。言いたいことがあるけれど、アーシャの体調を優先する。そのようなことを言っていた。アーシャの具合がよくなったのならば、それを言うということだ。昨日の時点でも言いにくそうにしていたし、思うところがあるのだろう。
リティシアはエリセの背中に手を伸ばし、優しく数回叩く。
「大丈夫よ」
驚いたように自分を見たエリセに、リティシアはそう笑ってみせた。
「みんながいるもの。エリセだけで考えないでね」
仲間がいるのだ。話してみて、皆で考えればいい。もしかしたらアーシャがいるからこそ話しにくいのかもしれないが、彼はきっと隠される方が嫌な性質だろう。
「……そうだね」
リティシアの言わんとするところが伝わったのだろうか、エリセは気が抜けたように再び笑った。
「えぇと……昨日言ってた、言わなきゃいけないことって何かな、アーシャ」
食後、皆で片づけをした後、仲間たちは誰からともなく再び卓についていた。エリセは座ったまま、アリスに髪を編まれている。
「うん……」
彼女の言葉に、アーシャが小さく頷く。僅かな動作だというのに、その動きは言いようもなく重々しい。いつもの笑顔もすっかり消えている。リティシアが思わず彼を心配するほどに。
「それとも、どうしよう、わたしの話を先にしよう、か……?」
エリセも何となく彼の雰囲気を察知したのだろう、それとなく気遣うような質問をするが――それも途中で勢いを失ってしまう。やはり、彼女はアーシャにどこか気を遣っている。それがなぜかはリティシアには分からないが、エリセが話そうとしていることはきっと、アーシャにとってはよくない知らせだ。
リティシアは隣にいるアーシャの手を探り当て、そっと握った。特に表情の変化はなかったが、彼はリティシアの手をしっかりと握り返してくる。
「じゃあ……エリセ、お願いしてもいい?」
彼はエリセに先に話してもらうことにしたようだ。それがいい選択であったのかはリティシアには予想がつかない。
「……うん。じゃあ、話すね」
エリセは仲間たちを見回す。シリルが促すように頷くと、エリセは口を開いた。




