表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第九章
PR
46/61

報せと予感


 エリセは編まれた髪を後ろへ流し、一から話を始めた。自分が天界に行くこととなったところから。リティシアに呼ばれてエミルが来たこと。天界に入り込めそうな自分が、薬を取りに行くことになったこと。


 そこから話を始めることにしたのは、きっとアーシャに事の流れを掴んでもらうためだったのだろう、とリティシアは思う。彼はずっと眠っていたのだから。なぜエリセが天界に行ったのかは知らないのだ。

 もちろん、エリセが天界に入り込んでからのことは、リティシアや他の仲間たちも知らないのだが。


「それで……天界に入ってすぐ、タニアさんって人に会ったの」

「タニア……?」

エリセの言葉に、リティシアの左隣から声が上がる。リティシアがそちらに目線を向けると、アーシャが目を瞬かせているのが見えた。

「ブライトクロイツ家の……タニアですか?」

 姿勢よく座って黙っていたエミルからも、声が上がる。リティシアから見た彼はいつも通りの表情をしていたが、その声は僅かに怪訝そうな響きを持っていた。

「あ……はい。そのタニアさんです。アーシャのお父さんのところまで、連れていってくれて」

両手の指を机の下で組み合わせながら、エリセが頷く。

「彼女が、あなたに協力を?」

 それに、エミルの首が少し傾いた。エリセが頷いてみせると、「そうですか」と言ったきり黙ってしまう。まるで、理解できないといった面持ちで。

 他に質問がないか確認するように間を開け、エリセは再び口を開いた。


「――彼女が導いてくれたおかげで、それ以降は特に問題もなくて」


 それからは、一度エリセが軽く口にしていた話だった。薬を本当にアーシャに使うのか、そうだとしたらなぜアーシャが怪我をしたのか。そう聞かれて、ジークとアーシャの間に起こったことを話したこと。その流れでリティシアの正体を打ち明けざるを得なかったこと。

「……リティシアには申し訳なかったんだけど、」

 ちらりと目線を合わせてくるエリセに、リティシアは小さく笑んでみせる。

「仕方なかったんでしょう? ……それに、本人がこの通りだもの。あたしばっかり気にしてたってどうしようもないわ」

 言葉と共にアーシャを一瞥すると、彼はリティシアの予想通り柔らかな笑みを浮かべていた。その笑みに、リティシアは肩を竦める。

 実際のところ、もう気にしても仕方ないのだ。気にしないと決めた。後戻りはできないし、するつもりもない。

「大丈夫よ。続けてちょうだい」

 リティシアが促すと、エリセは言葉を選ぶように目を伏せて黙り込んだ。

「エリセ?」

 少しして、アリスが怪訝そうに首をかしげる。それにエリセはようやく顔を上げ、仲間たちを見渡した。

「……帰りに、魔法陣までタニアさんが送ってくれた、んだけど。そのときに、色々聞いたの。アーシャのお兄さんのこと」

 ぽつりと落とされた言葉。

 リティシアの視線の左端で、何かが動いた。視線を向けた先にあるものは、アーシャの手だ。彼は両手の指を固く握り合わせ、エリセの言葉を待っている。リティシアが思わず自分の手を彼の手に重ねると、間もなく彼の手指はほどけた。

「……覚えてる? あのとき……ジークさんは知ってた。人間界に魔物が出ていること」

 エリセが仲間を見渡しながら、遠慮がちに尋ねる。

「……覚えてるよ」

 それに答えたのは、他でもないアーシャだった。彼の手が自分の手に重なる感触を覚えながら、リティシアは彼の顔を見上げる。珍しく笑顔の消えた顔からは、彼の考えていることを読み取ることができない。

「――タニアさんがね、」

 アーシャの言葉を受けて言葉を紡ぎ始めたエリセだったが、それは途中で止まってしまった。

「……タニアが?」

 それにアーシャが促すように復唱すると、エリセは僅かに目を泳がせる。

「エリセ、」

 リティシアが空いている手を彼女に伸ばそうとしたとき、彼女がくっと顎を引いたのが分かった。そのまま僅かに伸ばされた彼女の背中。それに触る前に、リティシアは無意識に手を止めてしまう。

「……タニアさんが、言ってたの」

 彼女の眼差しには確かな力がこもっていた。何かを覚悟したときのような、何かに立ち向かうときのようなその眼に、リティシアは彼女に触れることをためらってしまう。そうすることで、彼女の気持ちに水を差してしまうような気がしたのだ。


「あの時点……彼がここに訪れた時点では、人間界に魔物が出ていることを――天使たちは知らなかったはずだって」


 リティシアの手を握るアーシャの手に、僅かに力がこもる。

「……それは、つまり」

「分からないよ、まだ分からないの。どこか違うところで、たとえば人間界に降りたそのとき……知ったのかもしれない」

 シリルの呟きに、エリセが首を振るのが見えた。

「……アーシャ、」

 思わず声をかけたリティシアだったが、彼から返事は返って来ない。助けを求めるようにエミルを見ても、エミルもまた、戸惑ったようにリティシアを見返してくるのみだった。

「……つまりどういうことー?」

「知らないはずのことを知ってる理由は何だろうってことだよ、アリス」

 双子はできるだけ小さい声で言葉を交わしているようだったが、周りが静かなことに気づいたのだろうか、それも間もなく止んでしまった。

「……でも、わからないけど、言わないのは……違うと思ったから。みんなが知ったうえで、みんなで考えないとって」

 遠慮がちなエリセの声。リティシアはそれを聞きながら、再びアーシャを垣間見た。彼の顔からは未だ何も読み取れない。


「――ずっと」

 リティシアが再びアーシャに呼びかけようとしたとき、彼の口から確かに声が漏れた。

「……アーシャ?」

「ずっとどこかで、疑ってた。兄のこと。魔法陣の近くで天使の羽根が見つかったときから……もしかして、って。でも確証はなくって――」

 彼の眼差しは机に縫い止められたまま動かない。リティシアも、アーシャの横顔から目を逸らすことができなかった。仲間たちも一言も発することなく、彼の言葉を待っているようだった。

「……ジークが、ここに来たとき。ここが『魔樹に襲われた』って、知ってたみたいだった。でも、何で断言できたんだろうって。天使は魔族と接触できない、つまり魔族を見る機会だって本当はないはずなのに――なんで、あんな枯れ枝ひとつでそれが魔樹だってわかったんだろう、って。だって、天界にも魔力を持った草木はあるんだよ。俺を治した薬草みたいにね。魔力があるかないかだけじゃ、それがどこのものかなんて――断定できない」

 とつとつと零れていく言葉と共に、アーシャがゆっくりと顔を上げる。目線は少し下げたまま、眉間に皺を寄せて。

「――こんなことなら、早めに言うべきだった」

 その表情が表すのは、悔恨なのだろう。

かけるべき言葉が見つからず、リティシアはただ彼の手を握り続けることしかできなかった。自らの肉親を疑わなければいけない気持ちを理解することは、リティシアにはきっとできない。魔族や父が疑われていると知ったときも、自分の種族と肉親を信じられるだけの基盤が彼女にはあった。

 アーシャには、それがないのだ。彼がリティシアにしてくれた話から判断するに――天界にも、天界に従う兄にも、むしろ不信感の方が強いと言えるだろう。

 まだジークだと決まったわけではない、と口にするのは簡単だ。しかし、その一言をリティシアはどうしても言うことができなかった。実際、アーシャにとっては気休めにもならないだろう。


「……アーシャ」

 不意に、エミルの声が聞こえた。仲間たちの視線が、今度は彼へと集まる。

「――俺の知ってるジークと……アーシャや他の方々が語る今のジークは、別の人物かと思うほど違ってるみたい、だけど。いったいいつからそうなったんだ?」

 その言葉で、リティシアは思い出す。エミルは確かに言っていたのだ。「ジークは優しい人だった」と。

リティシアには今でも信じられないが――アーシャの優しい兄は、かつては存在したのだろう。エミルが尋ねた瞬間、アーシャの表情が確かに歪んだのが見えたのだから。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ