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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第九章
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目覚め (1)


「――あ」

 寝台の傍らで、リティシアは小さく声を上げる。彼女が見つめていたのは、先程まで確かに眠っていたはずの天使。

 その金色の瞳が、リティシアの眼を確かに捉えていた。

「……、ティシア……」

 少しぼんやりとした表情。微かな声で名を呼ばれ、リティシアは彼の右手を両手で包んだ。

「ごめんなさい、起こしたかしら……」

 特に大声を出したりした覚えはないが、もし自分が起こしたのだとすれば心苦しい。アーシャは「そんなことはないよ」と口を動かしてくれた。


「痛みは――」

 問いかけようとして、口を閉ざす。聞く必要はなかったのだ。アーシャが僅かに顔をしかめたことで、痛みが治まったわけではないと知る。

 一緒にアーシャを看ていた双子が、不安そうにリティシアへまとわりついてきた。

「そんな顔、しないでよ……大丈夫だから」

 そう言って取り繕うように笑う声は、干からびてからからだ。

「待ってて、シリルに水をもらってくるから――」

 今、シリルは新しい包帯を取りに1階へと下りていた。ついでに飲み水も持ってくるように頼めばいいだろう。

 立ち上がったリティシアを、アーシャの眼が追い――ふと、部屋の扉の方向へとその視線が縫い付けられた。驚いたように見開かれるアーシャの眼。それが見つめる先が、リティシアには見ずとも分かっていた。

「……エミル?」

 戸惑ったような声。それと共に起き上がろうとしたアーシャを、双子が慌てて止めている。

「アーシャ――」

 扉のすぐ側に佇んでいたエミルが、ためらいがちに寝台の近くへと寄ってくる。リティシアは彼の動きを目で追った。眉根を寄せ、言葉を選ぶように口許をひくつかせたその不安げな横顔。再会の喜びよりも、友人への心配が勝っているように見えた。

「エミル……そんな顔も、できるようになったんだ」

 対してアーシャの声はどこか呆けたような、それでいて楽しそうなものだった。

「今はそういうこと言ってる場合じゃ……」

「俺にとっては嬉しいことだからさ。天界にいたころの君はもっと――」

 焦れたような言葉を投げたエミルと、それに笑ってみせるアーシャ。数百年も離れていたとは思えないほど、交わされる言葉には躊躇いがない。そんな彼らを横目で見ながらも、リティシアはシリルの許へ向かおうと部屋の扉を開けた。

 同時に目の前に現れた人影に、リティシアの足が止まる。

「シリル? 驚いた……」

 ちょうど扉に手を掛けようとしている格好で、シリルがそこに立っていた。思いがけず部屋の境界を挟んで対峙することになり、リティシアは思わず声を上げてしまう。


「――エリセが戻ってきた」

 対して、彼の言葉は端的だった。彼の顔は相変わらず表情に乏しかったが、声を聞けば分かる。安心して力が抜けた、それでいて逸るように早口で紡がれた言葉。


 エリセは成功したのだ。それを理解した瞬間、リティシアは階段を駆け下りていた。後ろからシリルの足音も追ってくる。

「エリセ!」

 まさに居間から廊下へ出ようとしていたエリセを認め、リティシアは彼女に飛びついた。しっかりと受け止められながら、リティシアはエリセを抱きしめる。

「おかえりなさい」

 もちろんアーシャのことは心配だった。しかし、リティシアはエリセのことも同じくらい心配していたのだ。元は怖がりだったエリセ。足が竦んで動けなくなってはいないだろうか。人間だと知れたら、どうやって来たのか詰問されはしないか。何度も繰り返し考えていた。

「ただいま」

 穏やかな声とともに背中をさすってくれるエリセは、リティシアの考えを分かっているのかもしれない。

「そんなに心配しないで大丈夫だよ。ね? こうして帰ってきたんだもの。天使の人たちだって優しかったから」

 ひとしきりリティシアの背中をさすってから、エリセは身体を離す。エリセを抱きしめていたリティシアも、従って腕を外した。そのまま下ろそうとした手をエリセが持ち上げ、何かをそっと持たせてくる。

 硝子質の、つやのある感触が伝わってくる。何かの小瓶だ。これが一体何であるのかは、聞かなくともわかった。

「これがそうなのね……」

「うん。お湯で抽出すればいいみたい」

「……よかった」

 今にも、足から力が抜けそうだ。その場にへたり込んでしまいそうなリティシアを、今度はエリセが抱きしめてくれた。

「なら、湯を沸かそう」

 リティシアの後ろから、シリルが居間へと歩を進める。

「うん、お願い。……リティシア、アーシャは?」

「さっき、目が覚めたの。やっぱりまだ痛みがあるみたいで」

「そう……」

 心配そうな面持ちで、エリセは小さく頷く。


「あのね、リティシア」

 それから、どこか言いにくそうに彼女は口を開いた。

「何かしら」

 しかし、エリセはすぐに口を閉ざしてしまう。それからしばらく考え込んで、彼女は再び口を開いた。

「……ううん。やっぱり、後で言うね。アーシャの怪我のことが先決だと思う」

「てことは……何かあったの?」

 いい知らせではなさそうな口ぶり。それにリティシアが思わず表情を曇らせると、「新しく何か起きたわけではないんだけど」という煮え切らない返事が返ってきた。

「そう……まあ、後の方がいいならあとで聞くわ」

「うん。でも、後って言ってもすぐだと思う」

 どうやら急ぎではあるらしい。しかし、エリセの口調からすると、もしかしたらアーシャに心労を掛けかねない知らせなのかもしれない。たとえばリティシアのことが天界に伝わったとか、そういう話なのだろうか。


「エリセ。お湯が沸いたから、薬を持ってきてくれ」

「あ、わかった」

 台所から声がかかり、エリセはぱたぱたと駆けていく。それを見送ってすぐ、リティシアは階段の上を見上げた。視線を感じた気がしたのだ。

 2階の廊下。そこに、はたして双子が立っていた。神妙な面持ちを見て、リティシアは双子に向かって親指を立ててみせた。と、俄かに2人の表情が華やぐ。すぐに引っ込んでいった双子はきっと、アーシャにことの次第を伝えているのだろう。





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