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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第八章
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疑いと帰還

「あなたが、ジークのことを知っていた理由が分かりました」

 しばらく歩いたころ、タニアがぽつりと呟いた。

「ジークが人間界を訪れていたとは」

「……はい。わたしも、まさか他の天使が人間界に降りてくるなんて思いませんでした」

 彼女の少し後ろを歩きながら、エリセは彼の姿を思い返す。アーシャを連れ戻そうとしたジーク。法に従わないアーシャに怒り、リティシアを毛嫌いし、結果自分までもが法で裁かれる立場になってしまった。


「……タニアさん、改めて聞いてもいいですか」

 二人はすでに、天使の居住地からは出ていた。エリセが最初に出てきた辺りに近づいているのだろうか。視界には再び霧がかかり、足元は岩肌が見え隠れしている。

「何でしょう」

 人間が歩いても安全な経路を考えながら進んでいるのだろう、タニアは度々立ち止まりながらも声を返してくれた。


「……ジークのことも、異常だと思いますか?」


 天使の法を尊びながらも、他の天使とはどこか違うジーク。彼のことをどう思っているのか、エリセは改めて尋ねていた。

「――感情がある天使を異常だと言うのなら、異常でしょう」

 しばらくの沈黙ののちに、穏やかな声が返ってくる。

「しかし、ジークはアーシャとは違い――天使で在ろうとしています。彼はきっと人間界へ逃れても、心の安寧を得ることはできないでしょう」

 タニアはふと立ち止まり、エリセを振り返る。彼女の凪いだ目と視線が交わった。

「……時折、ジークのような天使がいるのです。生来豊かな感情を持ちながらも、天使としての在り方に迎合しきることができず、それでも天界の価値観を至上として天使で在ろうとする。そんな天使が」

 タニアの眼差しを受け止めたまま、エリセは落ち着かない素振りで手の中の瓶を撫でた。

 それではまるで生き地獄だ、と彼女は思う。自らが生きる世界に打ち解けることができず、かといって他の世界にも居場所を見出せない。

「それでも、天界の生活にそのまま馴染めればまだ穏やかに暮らせましょう。……しかし、そうした天使の一部はときに過激な思想を持ちます。天使は争いを望まぬものですが、過激な者はそうとは限らない」

 タニアの言葉に、アーシャの負った傷が思い出される。エリセは静かに薬瓶を握りしめた。


「……その『過激な思想』を持つ天使というのに、ジークが当てはまるってことですか?」

「そう、とは断定しきれませんが」

 考えを巡らせるように目を彷徨わせつつも、タニアは再び歩を進め始めた。エリセもそれに従い、足を動かす。


「アーシャを連れ戻すために人間界へ出向いた……ということだけを見れば、まだ理解はできます。規律には違反しないために、アーシャの出奔は見逃されているのです。しかし今日の天使は他種族との交流を極力避けている。彼の行動をよく思わない者はたくさんいますから」

 確か、ジーク自身もそんなことを言っていた。足元に気がとられて目線を俯けながらも、「その上」と続いたタニアの言葉にエリセは耳を傾ける。

「実際に出向いてみたら、人間界は魔物の出没に見舞われていた。その上そこに魔族の王女がいた。魔物と王女に因果関係がなかったとしても、連れ戻したいと思うのは納得できます。そもそも、魔族との接触は規則に反しますから。魔族と接触できるのは、堕天使を魔界に連れて行く役目を負ったものだけです。……とはいえ、それが『怒る』という結果に繋がるのかは理解できかねますが――」

「あの、タニアさん、話の途中に申し訳ないんですけど」

 タニアの言葉に、エリセは何か「ひっかかり」といっていいようなものを覚えた。結果として思わず話を遮ってしまったが、タニアは嫌な顔ひとつしなかった。

「疑問点がおありですか」

「ええと、疑問というか」

 顔だけをエリセに向けながらも、タニアは器用に歩いていく。歩きながら彼女の顔を見るのは、エリセには難しいのだが。

「……その、ジークは……多分、魔物が出没していると知っていてアーシャを連れ戻しに来たんだと思います。『魔物が出ているそうだな』って、わたしたちが何も言わないうちにそう言っていたので」

 エリセが言い終わるか言い終わらないかというとき、タニアはいきなり歩みを止めた。彼女をろくに見ていなかったエリセは、彼女の背中にぶつかってしまう。


「あ、すみません。……タニアさん?」

「……天使の誰も、そのことについては把握していません。少なくとも、今日の朝の集会までは誰も知りませんでした。知っていれば議題に上がります。何せ人間界に天使が降りているのですから、そのようなことが起これば放ってはおきません」

 淡々としていながらも、どこか切羽詰まったような口調。エリセは体勢を立て直し、タニアの背中を見つめた。

「夕方の集会に私は参加していませんから、そこは分かりませんが。あなたはその集会が始まる前には天界に現れた。つまり、その前にジークに会っている。ならば、天使の中でジークだけ(・・)が――魔物の出没を知っていたことになります」

 身体ごとエリセを振り返ったタニアは、僅かに顔を歪ませていた。それは驚愕から来るものだろうか。それとも他の感情からなのか。

「……あ、でも、もしかしたらわたしたちと会う前に、他の人間に聞いたかも……」

 無意識に言葉を絞り出しながらも、エリセの冷静な部分はそれを否定する。

 ジークが自ら人間と口を聞くことはないのでは、と。勿論断定はできない。魔族と関わりがなければ口くらい聞くかもしれない。それが断定できるほど、エリセは彼を知らない。

 黙り込んでしまったエリセを見かねたのだろうか。少しして、タニアが再び口を開いた。

「……ジークのことはこちらで調べておきます。あなたはもうお帰りなさい。……陣が見えてきました」

「え、でも」

「確かに気になることもおありでしょうし、あなたには関係ないとも言えません。しかし、その前にすることがあるのでは」

 エリセの手の中にある瓶を指してから、タニアは再びエリセを促した。

「……わかりました」

 どちらにしろ、ここにいてもジークのことが分かるわけではないのだ。エリセは地面に浮かび上がった魔法陣の方へと歩を進め、その直前で立ち止まった。魔法陣はまだ魔力が通っているのだろう、淡い光を放っていた。


「タニアさん……色々ありがとうございました」

「お礼はいりません」

 手短な返答に、それでもエリセは頭を下げた。顔を上げ、タニアに背を向ける。魔法陣の中心に向け、足を踏み出す。


 すぐに身体が光に包まれ――目の前が光に染まった。


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