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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第八章
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規則破りの兄弟


 エリセは起こったことを順番に、かいつまんで話した。ジークがアーシャを連れ戻しに来たこと。アーシャが魔族と関わりを持っていることを理由に戻ってくるよう説得したこと、アーシャがその説得を拒絶したこと、それに怒ったジークが――彼の翼を刺したこと。

 ただし、アーシャがリティシアに血を飲ませたこと――エリセは直接そう聞いていたわけではないが、そう察したこと――は、伏せておくことにした。これにはジークも確証を持っていたわけではない。それに、あの状況を思い出せば、話さずとも論理は通る。


「……魔族との関わりというのは、具体的に言うとどういうことだ?」

「……今、人間界はたびたび魔物の襲撃を受けていて」


 とりあえず、リティシアの存在もまずは伏せた。彼女のこと自体については、隠し通せると期待してもいないが。エリセは正面に座っている天使を、できる限り真っ直ぐに見つめる。人の目を見て話すのは得意ではないけれど。

「そんな状態の人間界にいさせるわけにはいかない……、と」

 フォンスはエリセの視線を受け止め、机に頬杖をついて黙り込む。何かを考えるようなその表情を、エリセはそっと窺った。


「確かにジークも、アーシャほどではなくとも感情に富む、が……」

 熟考している天使から紡がれた言葉に、エリセは思わず目を瞬かせる。ジークもまた、天使の中では「異常」なのかと。しかし、それを尋ねる前に、フォンスはエリセに向かって疑問を吐き出した。

「それだけで『怒った』というのか? アーシャに危害を加えるほどに。『他の天使を傷つけてはならない』という規律を破るほどに。他に何か理由はなかったのか」

 殺してはならない、という規律についてはエミルも言及していたが、どうやら殺すより前の段階から既に禁止事項となっているらしい。

 フォンスの思慮深い眼差し。多分、彼はエリセを――エリセの説明を、というべきだろうか――信用しきってはいない。やはり、隠し通せそうにないだろう。エリセは静かに息を吐いた。

 フォンスの言った通り、エリセには嘘をつく利点がない。アーシャの翼を治すこと、それが第一の目標だ。

「……それは、」


 しかし、分かっていても感情が邪魔をする。


「それは?」

「――……わたしたちの仲間に、魔族の女の子がいたからです」

 フォンスとタニアの視線が、エリセの目を捉えた。

 両者とも、限りなく無表情に近い眼差し。しかし、そこには確かに驚愕の色があった。しかしすぐにその色は消し、天使たちは無言でエリセの言葉を待っている。アーシャを責めることも、ジークのように怒りを露にすることもない。その態度が、エリセにはむしろ不可解ではあるのだが。


「その女の子が魔族だと悟ったジークは、アーシャに帰るように言ったんですけど。そのやりとりの最中に、ええと、口争いになって」

 その原因はエリセも思い出したくないものだ。リティシア本人が「大丈夫だ」と言ったからこそ、シリルもエリセも口出しはしなかったが、気分が悪いのは確かだった。

「――彼女(・・)はアーシャを止めようとしたんです。そのとき彼女がアーシャに触れたことが――ジークを、怒らせました」

 あのときの喧騒は今でもエリセの耳に残っていた。初めて聞いたアーシャの怒号も、リティシアの悲鳴も。目に焼き付いた赤色と、鼻に残った鉄臭さ。それを振り払うように、エリセは小さく首を振った。

「ジークは何故――」

 何か疑問を呈しかけたフォンスだったが、途中で口を閉ざしてしまう。それから少しの間を置き、再び言葉を発した。


「……顔色が優れないようだが」

 それは確かにエリセを気遣うものだった。

「いえ……」

 しかし、彼にはきっと分からないだろう。エリセの顔色が悪いのだとしても、それは体調面からくるものではないのだということは。

「何か飲み物をお持ちしますか」

 隣の穏やかな文官にも、きっと。自らの気持ちに共感してくれる人がいない。それがこれほどつらいことだとは思わなかった。

 彼らの在り方を否定するつもりはないが――息子たちが、あるいは昔馴染みが刃傷沙汰に及ぶほどの争いをしたというのに、彼らは顔色ひとつ変えない。彼らの心のうち、本当のところを知ることはできないが、エリセの心情との間に大きな溝があることは確かだ。そして、アーシャやジークの心情とも。


「大丈夫です。……何か、お聞きしたいことがあるみたい、ですけど」

 エリセが促すと、フォンスは「ならばいいのだが」と呟いてから、先ほどの質問を口にした。

「――何故、ジークがその少女を魔族だと判断したのかと疑問に思ったのだ」

 その言葉に、エリセは一瞬黙り込む。確かに、魔族の見た目はほとんど他種族と変わらない。しかし、リティシアには決定的な違いがひとつある。

「……彼女が真紅の瞳を持っているからです」

 そして、ジークはその差をきっと知っていた。だから彼女の素性が分かったのだろう。

「――魔界の王女が人間界にいるというのか?」

 どうやら、フォンスも知っている。――天使の政治に関わっているというサミナード家。その一員であれば、エーデルフェルトのことを知っていてもおかしくはないのだろう。そこまで考え、何か引っかかるものを覚えたエリセだったが――耳に入った言葉に、彼女の考えは霧散した。


「……なるほど、確かにそれならば納得できる。しかしそれが本当ならば――規律違反で裁かれなければならないだろう。ジークも――無論、アーシャも」




「……薬草、ありがとうございました」

 サミナード邸の玄関を出たエリセは、フォンスを振り返り小さく一礼した。彼女の手の中には小さな瓶が収まっている。

「それについては、礼は必要ない」

 玄関先まで見送りに出てくれたフォンスの声は、相変わらず淡々としている。自らの子供たちが天使の法を破ろうと、彼は目に見えて取り乱すことはなかった。

 ただただ、疲れの滲んだ佇まいだけが目立っている。

「タニアについて行けば問題なく帰れるだろう」

 フォンスの言葉に、エリセは頷く。「魔法陣で来たと仰いましたね。ならば、そこまで案内しましょう。道も怪しいでしょうし――あなたが人間だと、他の天使に悟られると厄介でしょうから」と言ってくれたタニアに、エリセは甘えることにしたのだ。

 確かに道も覚えていないし、せっかく薬を手に入れられたのだから、なるべく安全に帰りたい。


「では、そろそろ向かいましょう」

「あ、はい。――じゃあ――」

 タニアの声に頷き、エリセは踵を返す。彼女の後ろについて一歩踏み出したそのとき。

「――息子を頼む」

 聞こえたのは、相変わらず感情を読み取れない声。しかし、それは確かにフォンスのものだった。エリセは再び彼を振り返り――深く一礼をして、タニアの後を追いかけた。




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