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35歳無職引きこもりの俺の家に、異世界から銀髪メイドがやってきた  作者: 春華


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日光1

 和彦は父親が使っていた書斎で、古い書類の入ったファイルを調べていた。


 昨日、エリーゼと一緒に花壇を整えたことで、これまで気にも留めていなかった庭の荒れ具合が目につくようになってしまった。雑草なら時間をかければ自分たちでも何とかできそうだが、大きく伸びた庭木はそうもいかない。隣の木と枝が重なっているところもあり、素人が脚立に乗って切るには危なそうだ。


 両親が生きていたころは定期的に植木屋が来ていたので、当時の連絡先が残っていないかと書斎を探し始めたところだった。


 棚から取り出したファイルを何冊か調べていると、庭の管理費用と書かれた古い封筒が見つかった。中には領収書が何枚も入っており、どれも同じ造園会社の名前が印刷されている。


「おお、あったあった」


 最後の日付は十年以上前で今も営業しているかわからなかったが、スマートフォンで調べてみると会社のホームページが見つかり、電話番号も変わっていない。和彦は領収書を机に置いて電話をかけた。


「もしもし、庭木の手入れをお願いしたいんですけど……」


 住所と名前を伝えると、電話口の女性は少し驚いた様子だった。


『佐藤様のお宅ですか? 以前、長くお世話になっておりました』


「ああ、やっぱり。父がお願いしていたと思うんですが」


『はい。うちの先代のころから伺っておりましたので、よく覚えておりますよ』


 和彦は両親が亡くなってから庭の手入れをほとんどしていないことを説明し、一度状態を見てもらえないかと相談した。幸い、翌日の午後なら担当者が訪問できるというので、その場でお願いして電話を切る。


「明日の午後か。思ったより早かったな」


 書類を棚へ戻してリビングへ行くと、エリーゼが洗濯物を畳んでいた。


「植木屋、明日見に来てくれるってさ」


「まあ、よかったですね。お手入れもお願いできそうですか?」


「まずは庭を見てからだって。あれだけ伸びてるし、何日くらいかかるんだろうな」


「そうですね。私たちが植えたお花のことも、お伝えしておかないと」


「そうだね。それはちゃんと言っておくよ」


 和彦は窓から庭を眺めた。伸び放題の枝の隙間に、昨日まではなかった花壇が見える。庭木も手入れをしてもらえば、あの辺りも今より日当たりがよくなるかもしれない。窓の外を見ながらそんなことを考えている自分に、和彦は少しおかしくなった。


 翌日の午後、約束の時間にやってきたのは五十代くらいの男性だった。


「佐藤様、お久しぶりです。といっても、最後にお会いしたのはずいぶん前になりますね」


「ああ、どうも。すみません、俺はあまり覚えてなくて」


「いえいえ。いつもお父様かお母様とお話ししていましたから。和彦さんは、まだ学生さんでしたね」


 田中と名乗った男性は、昔は父親と一緒にこの家の庭を担当していたのだという。何度も来ていたらしいが、当時は庭に興味のなかった和彦にはほとんど記憶がなかった。


 庭へ案内すると、田中は伸びた枝や地面の状態を確かめながら一通り見て回った。木の根元で足を止めたり、少し離れて全体を見上げたりしたあと、和彦の方を振り返る。


「いやあ、ずいぶん育ちましたね。最後に伺ったころとは見違えるほどです」


「すみません。ずっと放ったらかしで」


「木は毎年伸びますからね。これだけ年数が経てば仕方ありませんよ。ただ、枝が混み合っているところもありますし、一度しっかり手を入れた方がよさそうです」


 田中は剪定が必要なところを指しながら、どの程度まで枝を切るのか説明してくれた。伸びすぎた枝を整理して枯れた部分を取り除けば、庭の中もかなり明るくなるという。


「下草もだいぶ増えていますね。こちらも片づけてしまってよろしいですか?」


「ああ、お願いします。ただ、この花壇だけは残してほしいんです」


 和彦が昨日整えた場所を指すと、田中はそばへ寄ってしゃがみ込んだ。


「おや、こちらは最近手を入れられたんですね」


「昨日、二人でやったんですよ。ここにネモフィラの種をまいて、向こうにはバラも植えたんで」


「なるほど。では、この辺りは踏み込まないようにしておきましょう。作業する者にも伝えておきます」


 話を聞いていたエリーゼが近づき、ほっとしたように微笑んだ。


「ありがとうございます。まだ植えたばかりですので、少し心配だったんです」


「大丈夫ですよ。作業の前に目印をつけておきますから」


 田中はバラの苗にも目を向け、そのそばに立てられた札を読んだ。


「エリーゼ、ですか。こちらはバラの名前ですか?」


「はい。私と同じ名前だったので、ご主人様が選んでくださったんです」


「それは咲くのが楽しみですね」


「はい。今から待ち遠しくて」


 嬉しそうに答えるエリーゼにつられて、田中も笑顔になった。和彦は二人の横で苗を眺めながら、花が咲いたら窓からでも見えるだろうかと考えていた。


 庭の確認を終えると、和彦は作業にかかる日数を尋ねた。


「全部やると、どのくらいかかります?」


「職人を何人か入れれば二日ほどで終わると思います。切った枝の運び出しもありますから、少し大がかりにはなりますが」


「二日か。じゃあ、その間は家にいた方がいいですか?」


「いえ、外の作業だけですから、お留守でも構いませんよ。作業する範囲を先に確認させていただければ、あとは責任を持って進めます」


 田中が予定表を確認すると、翌週なら二日続けて来られるという。和彦はひとまずその日程を押さえてもらい、見積もりを確認してから正式にお願いすることにした。


 田中を見送ってリビングへ戻ると、エリーゼが麦茶を運んできた。


「来週なら二日間でやってもらえるってさ」


「そうなのですね。お庭がどんなふうになるのか楽しみです」


「ああ。これで少しはまともになるだろ」


 和彦は麦茶を一口飲んでソファに腰を下ろすと、何となくテレビをつけた。情報番組の紅葉特集が流れており、画面には赤や黄色に染まった山々と、その手前に広がる湖が映っている。


『こちらは栃木県日光市の中禅寺湖です。ご覧ください。湖の向こうまで、見事に色づいていますね』


「へえ、日光か。もう紅葉の時期なんだな」


 和彦が呟くと、エリーゼもテレビへ目を向けた。


「まあ、きれいですね。あちらは遠いところなのですか?」


「日光ってところで、東京から電車で二時間くらいかな。湖までは、そこからバスに乗るんだったと思う」


「山の方なのですね。こんなに遠くまで木々が色づいているところは、初めて見ました」


「向こうの世界にも紅葉はあったんだろ?」


「はい。秋になると森の木々が赤や黄色に変わっていました。でも、こんなふうに遠くまで見渡せる場所へ行ったことはありませんでしたから」


 エリーゼは麦茶の載っていた盆を脇へ置き、画面に見入っていた。やがて映像が切り替わり、高い崖から流れ落ちる華厳ノ滝が映し出される。


「まあ……! すごい滝ですね」


「ああ、華厳ノ滝だ。日光だと、ここも有名なんだよ」


「こんなに高いところから水が落ちているなんて。近くにいたら、お話しする声も聞こえなくなりそうですね」


「どうだったかな。俺も子供のころに行ったきりだから、あまり覚えてないんだよ」


 両親と日光へ旅行したことはあるが、どこをどんな順番で回ったのかは思い出せなかった。ただ、いろは坂で車酔いして、母親に背中をさすってもらったことだけははっきり覚えている。


 テレビでは続いて湯波料理が紹介された。刺身や煮物、揚げ物が次々と運ばれ、出演者が箸で持ち上げながら味を伝えている。


「こちらは何というお料理ですか?」


「湯波だね。豆乳から作るんだけど、日光の名物だよ」


「お豆から、こんなふうになるのですか? 薄いお肉を重ねたようにも見えますね」


「確かに。俺も作り方は知らないけど、結構うまかった気はするな」


 そのあとも温泉旅館や菓子店が紹介され、エリーゼは景色のときと変わらず熱心に見ていた。和彦もテレビを眺めているうちに、庭師が来る二日間のことを思い出した。


 作業中は家にいなくても構わないと言っていた。どうせ予定もないのだから、その間に出かけてもいいのではないだろうか。日光なら電車で行けるし、エリーゼもこれだけ興味を持っているのだから、きっと喜ぶだろう。


 ただ、行くなら泊まりがけにしたかった。日帰りでも行けないことはないが、湖や滝を見て食事も楽しむとなれば、せっかくなのでゆっくり回りたい。そこまで考えてから、和彦は隣にいるエリーゼへちらりと目を向けた。


 女性と二人で泊まりがけの旅行など、これまで一度も経験がない。宿の部屋を別々に取ればいいだけのことなのに、いざ誘おうとすると妙に言い出しにくかった。


「あのさ、エリーゼ」


「はい、何でしょうか?」


「来週、植木屋が来るだろ。その間は家にいなくてもいいって言ってたし、せっかくだから、どこか出かけてもいいかなと思ってさ」


「お買い物でしょうか?」


「いや、さっきテレビでやってた日光なんだけど。あそこに行ってみないか?」


「日光へ、ですか? あの紅葉や滝を見に?」


「ああ。湯波もうまそうだったし、ほかにもいろいろあるだろうから」


 エリーゼの表情がぱっと明るくなり、和彦の方へ身を向けた。


「ぜひ行ってみたいです。ご主人様も、またあちらの景色をご覧になれるのですね」


「まあ、前に行ったときのことはほとんど覚えてないけどな。それでさ、せっかくだから日帰りじゃなくて……一泊してこようかと思うんだけど」


 最後の方は少し声が小さくなってしまった。エリーゼは一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうに両手を合わせる。


「まあ、お泊まりなのですね。それでしたら、二日間も見て回れるのですか?」


「あ、ああ。そういうことになるな」


「楽しみです。帰る時間を気にしなくてもいいのでしたら、お食事もゆっくりできますね」


 どうやら泊まりがけということに、特別なためらいはないらしい。和彦は少し安心しながら、宿のことも話しておくことにした。


「宿は俺とエリーゼで、一部屋ずつ取るからさ。気を使わずに休めると思うよ」


「お部屋を二つ、お借りするのですか?」


「ああ。その方がいいだろ?」


「私はご主人様と同じお部屋でも構いませんけれど。別のお部屋では、何かご用があってもすぐに伺えませんから」


「いや、旅行先でまで世話してもらうつもりはないんだけど」


「でも、ご一緒するのでしたら、お茶をお入れしたり、お召し物を整えたりするくらいはさせていただきたいです」


 エリーゼは当然のことのように話しているが、和彦は返事に困ってしまった。こちらが同じ部屋に泊まることを意識しているのに対し、彼女は旅行中の仕事について考えているらしい。


「それに、お部屋を二つもお借りするのは、もったいないのではありませんか?」


「まあ、同じ部屋の方が安くはなるだろうけど……。男と二人で寝るんだぞ。気にならないのか?」


「ご主人様でしたら。それとも、私が一緒ではお休みになれませんか?」


「いや、そういうわけじゃないよ」


 とっさに答えると、エリーゼは安心したように微笑んだ。


「では、ご一緒させてください。お部屋が広いようでしたら、私は隅の方で休ませていただければ大丈夫ですから」


「隅って、そんなところで寝なくていいよ。ちゃんと二人で泊まれる部屋を取るから」


「ありがとうございます」


 頭を下げられた和彦は、何だか話をうまくまとめられてしまったような気がした。それでも本人が構わないと言っているのに、いつまでも部屋の話を続けるのもおかしい。


「……わかった。ただし、寝る場所は別々だからな」


「はい。それはもちろんです」


 あっさりと頷かれ、和彦は自分だけが変に意識しているような気分になった。ひとまず宿を探そうとスマートフォンを取り出すと、エリーゼも興味深そうに画面へ目を向ける。


「温泉があるところがいいよな。さっきテレビに出てたみたいな」


「温泉というのは、普通のお風呂とは違うのですか?」


「ああ。地面から温かいお湯が湧いてるんだ。そういうお湯を風呂に使ってて、日本には結構あちこちにあるんだよ」


「地面からお湯が……。それでは、お風呂のために薪を燃やさなくてもいいのですね」


「まあ、温度を調節したりはするんだろうけどな。日光にも温泉のある旅館があるみたいだから、そういうところを探してみようか」


「はい。ぜひ入ってみたいです」


 和彦は旅行予約サイトを開き、日光周辺の宿を調べ始めた。紅葉の時期だけあって満室の旅館も多く、空いていても泊まりたい場所から離れていたり、食事のつかない部屋しか残っていなかったりして、なかなか決まらない。


 しばらく探していると、中禅寺湖の近くにある温泉旅館が目に留まった。湖を望む和室に泊まれ、夕食には地元の食材を使った会席料理が出るらしい。露天風呂の写真も載っていて、湯船の向こうには色づいた木々が見えていた。


「ここなんかどうだ?」


 スマートフォンを差し出すと、エリーゼは和彦の隣へ移動して画面を覗き込んだ。


「まあ、素敵なお部屋ですね。床に敷かれているのは何でしょう?」


「畳っていうんだ。草を織ったものが表面に使われてるんだよ。日本だと昔からあるんだけど、この家には和室がないからな」


「草を使っているのですか。きれいにそろっていますね。こちらのお部屋も、靴を脱いで入るのでしょうか?」


「ああ。畳の上はスリッパも脱ぐんだ。寝るときは、ここに布団を敷いて寝るんだよ」


「こちらが寝室にもなるのですね」


 エリーゼは写真の端まで眺めてから、画面を指で動かした。露天風呂が大きく映ると、少し驚いたように顔を上げる。


「こちらは、お外にお風呂があるのですか?」


「ああ。露天風呂っていうんだ」


「外でお湯につかるのですね。寒くはないのでしょうか?」


「入るまでは少し寒いかもしれないけど、湯につかってれば温かいよ。景色を見ながら入れるし、気持ちいいと思う」


「まあ、それは楽しみです」


「ただ、これは宿に泊まってる人がみんなで使う風呂だからさ。男と女は分かれてるけど、ほかの人も入ってることがあるんだ」


「ほかの方とご一緒に……。大きなお風呂なのですね」


「ああ。入り方も家の風呂とは少し違うから、行く前に教えるよ」


「はい。よろしくお願いいたします」


 和彦は宿泊日を入力し、空室状況を確かめた。庭師が来る日には、写真で見ていた湖側の和室が一部屋だけ残っている。夕食と朝食もついており、二人で泊まるには十分な広さだった。


「ここなら予約できそうだな。エリーゼも、ここでいいか?」


「はい。こちらに泊まってみたいです」


「じゃあ、ここにするか」


 予約画面を進め、宿泊人数を大人二名に設定する。さっきまで部屋を二つ取るつもりだったのに、今は一つの部屋に二人分の名前を入れようとしている。和彦は入力する手を止めて隣を見たが、エリーゼは夕食の写真を熱心に眺めていた。


「ご主人様、こちらは先ほどテレビで見たお料理でしょうか?」


「ん? ああ、湯波だな。夕飯にも出るみたいだよ」


「よかったです。どんなお味がするのか気になっていたんです」


「俺も食べるの久しぶりだし、楽しみだな」


 和彦は残りの項目を入力して予約内容を確かめた。日付も人数も間違っていないことを確認し、申し込みのボタンを押すと、画面に予約完了の文字が表示される。


「よし、取れたぞ」


「ありがとうございます、ご主人様。私、今からとても楽しみです」


 エリーゼは笑顔で頭を下げ、もう一度画面の中の旅館を眺めた。


「お庭のお手入れが終わるのを楽しみにしていましたけれど、その間に私たちまで、こんな素敵なところへ行けるのですね」


「ああ。帰ってきたら庭もきれいになってるだろうし、ちょうどよかったな」


「はい。帰ってからのお楽しみもありますね」


 そんなふうに言われると和彦も旅行が待ち遠しくなってきた。家を空けている間に庭の作業をしてもらおうと思っただけだったが、帰宅したときに二人で庭を見て回るのも悪くなさそうだ。


「気に入ったら、またどこか行こうか。日光以外にもいろいろあるし」


「よろしいのですか? では、私も行ってみたいところを探しておきますね」


 何気なく言ったつもりだったが、エリーゼは早くも次の旅行まで楽しみにしているようだ。


 大人になってからは、遠くへ出かけることなどほとんどなかった。家でゲームをしていれば退屈もしなかったし、わざわざ泊まりがけで観光しようと考えたこともない。それが今では、隣で嬉しそうにしているエリーゼと次はどこへ行こうかと話している。


「そうだ。日光は東京より寒いから、上着を持っていった方がいいな。湖の辺りは特に冷えるらしいし」


「では、この前買っていただいた上着を持っていきますね。靴も、あの歩きやすいものがよさそうです」


「ああ。それなら大丈夫だと思う」


 エリーゼが持ち物を考え始めたので、和彦も着替えや洗面用具について話した。旅行かばんは家に使っていないものがあるはずだと伝えてから、ふと気になって尋ねる。


「そういえば、エリーゼって旅行したことあるの?」


「旅行、ですか?」


「伯爵家で働いてたときとか、休みの日に遠くへ遊びに行ったりしなかった?」


「お休みの日に、近くの町へ買い物に行くことはありました。でも、泊まりがけで遠くへ出かけたことはありません」


「そっか。じゃあ、今回が初めてなんだな」


「はい。初めての旅行に、ご主人様とご一緒できて嬉しいです」


 ためらいもなくそう言われ、和彦は思わずスマートフォンへ目を落とした。


「……そ、そうか。それならよかった」


「ご主人様?」


「いや。ほかにも、何かうまいものがないか調べておこうと思ってさ」


「まあ、私も見たいです」


 エリーゼがさらに近くへ寄ってきたので、和彦は少しだけ姿勢を正して検索画面を開いた。本人に深い意味はないのだろうが、こういうことを平気で言われると返事に困る。画面を覗き込む彼女に気づかれないよう、和彦は小さく息をついた。


 それから数日間、エリーゼはいつもどおり家事をこなしながら毎朝欠かさず花壇の様子を見に行っていた。ネモフィラをまいた場所にはまだ目立った変化がなかったものの、バラの苗は葉がしおれることもなく、元気にしているらしい。


 朝食の席でその報告を聞くうちに、和彦も窓の外を確かめるようになっていた。少し離れたところからでは昨日との違いなどわからなかったが、エリーゼが庭から戻ってくると、つい苗の様子を尋ねてしまう。


 造園会社から届いた見積もりにも目を通し、正式に作業をお願いした。留守中の出入りについては門の鍵を開けておけば大丈夫とのことだったので、帰宅が翌日の夕方になることも伝えておいた。


 旅行前日の夕方、和彦が客間へ様子を見に行くとエリーゼは荷物をまとめていた。ベッドの上には着替えや上着、洗面用具がきれいに並べられ、その隣には昨日貸した小さな旅行かばんが置かれている。


「準備できそう?」


「はい。あとは明日の朝に使うものを入れるだけです。ご主人様のお荷物も、お手伝いしましょうか?」


「俺は大丈夫。一泊分の着替えくらいだし、すぐ終わるよ」


「そうですか? 何かありましたら、おっしゃってくださいね」


 エリーゼは畳んだ服をかばんに収め、空いたところへ洗面用具の袋を入れた。上着だけは脇へよけてあるので、そのまま着ていくつもりなのだろう。


「明日は、何時にお起こしすればよろしいですか?」


「八時で頼む。俺もアラームかけておくけど、起きてこなかったら声かけてくれる?」


「かしこまりました。朝のお食事は軽いものにしておきますね。お昼は日光で召し上がるのでしょう?」


「ああ。せっかくだし、向こうで何か食べよう。昨日見てた店も気になるしな」


「はい。私も、あのお店へ行ってみたいです」


 エリーゼは手を止めて笑顔を向けた。出かける前からこれほど楽しみにしてもらえると、誘ってよかったと思う。和彦も笑い返し、忘れ物がないかもう一度見ておくよう伝えて客間を出た。


 自分の寝室へ戻ると、和彦もかばんを取り出して着替えを詰めた。財布とスマートフォンはいつも持ち歩いているものを使えばいいし、充電器も入れたので、ほかに必要なものは思いつかない。十分もかからず支度が終わり、あとは明日の朝に戸締まりと門の鍵を確かめるだけだ。


 その夜はいつもより早めにゲームを切り上げ、午前八時にアラームをセットしてベッドに入った。普段の生活からすれば十分早起きだが、せっかくの旅行でエリーゼを待たせるわけにはいかない。


 ところが目を閉じると、旅館の写真で見た和室が浮かんでくる。あの畳の上に布団を二組敷いて、エリーゼと二人で寝ることになる。彼女はきっと今日と同じように、何も気にせずお茶を入れたり、翌日の支度をしたりするのだろう。


「……俺、ちゃんと眠れるかな」


 小さく呟いて寝返りを打ったが、今度は荷造りのときの嬉しそうな顔を思い出してしまった。明日はまだ旅行の初日で、眠れるかどうかを心配するなら今夜の方が先なのに、考えないようにするほど目が冴えてくる。


 何度か枕の位置を変え、スマートフォンで時刻を確かめるのもやめたころ、ようやく眠気が訪れた。和彦が眠りについたのは、結局いつもと大して変わらない午前二時過ぎだった。

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