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35歳無職引きこもりの俺の家に、異世界から銀髪メイドがやってきた  作者: 春華


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2/9

エリーゼの異世界転移

 掃除機を抱えて二階へ戻ってきた和彦は、客間の入り口で足を止めた。


 窓際の棚を拭いていたエリーゼが、こちらに気づいて振り返る。先ほどまで薄く埃をかぶっていた棚はすっかりきれいになり、隅に寄せられていた椅子も、いつの間にか拭き終えているようだった。


「お待たせ。これが掃除機だよ」


「ありがとうございます、ご主人様。床のお掃除に使う道具でしたね」


「ああ。ちょっと見ててくれ」


 エリーゼが雑巾をバケツの縁にかけるのを待ち、和彦は掃除機を床へ下ろした。コードを引き出して壁のコンセントに差し込み、持ち手のスイッチを押す。


「きゃっ!」


 モーターが唸り始めた途端、エリーゼが一歩後ずさった。和彦は慌ててスイッチを切り、彼女の顔を見た。


「ああ、ごめん。先に言っとけばよかったな。結構うるさいんだよ、これ」


「い、いえ。私こそ、大きな声を出してしまって……。何か飛び出してくるのかと思いました」


「音がするだけだから大丈夫。ここから埃を吸い込むんだ」


 床に接している吸い込み口を指さしてから、もう一度電源を入れる。今度はエリーゼも驚かなかったが、和彦の手元を見つめる顔には、まだ少し緊張が残っていた。


 掃除機をゆっくり前後に動かすと、床に落ちていた埃や小さな糸くずが消えていく。エリーゼはその跡を確かめるように身をかがめ、やがて和彦の隣へ歩み寄った。


「ご主人様、私にも使わせていただけますか?」


「もちろん。そのために持ってきたんだから」


 いったん電源を切って持ち手を渡すと、彼女は両手で握り、教わったスイッチへ指を添えた。音が鳴った瞬間に肩がわずかに動いたものの、すぐに床へ目を戻し、和彦がしたように掃除機を動かし始める。


「そんなに力を入れなくても大丈夫だよ。ゆっくり動かせば吸ってくれるから」


「はい。……まあ、本当ですね。箒で集める必要もないのですね」


 少し動かしては床を確かめていたエリーゼも、扱いがわかるにつれて手つきが滑らかになっていく。椅子を脇へ寄せ、家具の脚の周りにも丁寧に吸い込み口を通していた。


「こちらは、絨毯にも使えるのでしょうか?」


「ああ、使えるよ。むしろ、そっちの方が便利なんじゃないかな」


「それは助かります。伯爵家では外へ運び出して埃を落としていましたから、大きなものをお掃除する日は、人手を集めるところから始めていたんですよ」


「へえ。絨毯って、敷いたまま掃除するもんだと思ってた」


「運び出すだけでも大変なんです。こちらがあれば、皆も喜ぶでしょうね」


 そう話す間にも、エリーゼは壁際へ掃除機を滑らせていく。和彦なら見過ごしてしまうような隙間にも目を配り、届きにくいところでは持ち手の角度を変えていた。


「……なんか、もう俺より上手いな」


「そうでしょうか。まだ、どのくらい動かせばよいのかわからなくて」


「十分だよ。俺なんか、これを出すのも何か月ぶりかわからないし」


 エリーゼの手が一瞬だけ止まり、すぐにまた動き出した。何も言われなかったので、和彦もそれ以上は口を開かず、邪魔にならないよう入り口の脇へ移った。


 十分ほどで床の掃除を終えると、エリーゼはスイッチを切り、部屋を見回した。窓から入る風にカーテンが揺れ、久しぶりに人を泊められそうな客間になっている。


「これで、ひとまず大丈夫だと思います。あとは寝具を整えれば、今夜から使えそうですね」


「そっか。ほかの道具も、今のうちに教えておこうか。台所とか洗濯機とか、使うだろうし」


「はい、お願いします。先ほどから、気になっていたものがいくつもあるんです」


 コンセントからプラグを抜き、コードを巻き取ってみせると、エリーゼは最後まで熱心に見ていた。和彦は掃除機を廊下の収納へ戻し、彼女を連れて一階へ下りた。


 台所へ入ると、まずガスコンロの前に立ち、つまみを押し回す。カチカチという音に続いて青い炎が上がり、横から覗いていたエリーゼが感心したように声を漏らした。


「薪も炭もいらないのですね。こちらを回すだけで火がつくのですか?」


「ああ。強さもここで変えられるよ。ほら、こっちに回すと弱くなる」


「まあ……これなら、鍋を動かさなくても火加減を変えられますね」


 和彦が火を消して場所を譲ると、エリーゼはつまみへ手を伸ばし、慎重に押し回した。炎がついたのを確かめてから少しずつ弱め、最後にもう一度消してみる。


「どう?」


「使いやすいです。竈の火に慣れるまでは、鍋を焦がして叱られたこともありましたけれど、こちらなら失敗も減りそうですね」


「エリーゼでも、そんなことあるんだな」


「ありますよ。最初から何でもできたわけではありませんから」


 エリーゼが少し恥ずかしそうに笑ったので、和彦もつられて笑った。つまみが元に戻っているのを確かめてから、隣の電子レンジへ手を伸ばす。


「こっちは、料理を温めるもの。皿を入れて、扉を閉めて、このボタンを押すんだ」


「こちらにも火がつくのでしょうか?」


「いや、火は出ないよ。……どうやって温まるのかは、俺も詳しく知らないんだけど」


 扉を開けて中を見せながら、金属の食器は入れないことや、使える容器を簡単に説明した。今すぐ温めるものもないので、実際に使うときにもう一度教えることにして、次に冷蔵庫を開ける。


 エリーゼはひんやりした空気に目を丸くしたが、中を覗き込むうちに、不思議そうな顔になった。


「ご主人様、こちらは食べ物を冷やしておく場所なのですよね?」


「ああ。冷やしておくと長持ちするからさ」


「お飲み物は、たくさん入っているのですね」


「いつもまとめて頼んでるんだよ。水とかお茶とか、なくなるたびに買うのも面倒だし」


「そうでしたか」


 エリーゼは下の段まで視線を巡らせ、そっと扉を閉めた。和彦はそのまま洗面所へ向かい、今度は洗濯機の蓋を開けた。


「服はここに入れて、洗剤はこっち。あとは電源を入れて、このボタンを押せば洗ってくれるよ」


「お水を入れるのも、自動なのですか?」


「そう。終わったら音が鳴るから、取り出して干せばいい」


「水を絞るところまでしてくれるのでしょうか?」


「ああ。取り出したときは、もう水が垂れないくらいになってる」


「それは助かります。冬はなかなか乾きませんし、厚い布を絞るのも大変なんです」


 エリーゼは蓋の裏や洗濯槽の中を眺め、それから操作パネルの文字へ目を移した。和彦も隣から覗き込み、普段押しているボタンを指で示す。


 乾燥と書かれたボタンも目に入ったが、こちらは買ってから一度も使ったことがない。聞かれても困るので、ひとまず自分が使えるところだけ教えることにした。


 続いて浴室へ案内し、シャワーからお湯を出してみせると、エリーゼは差し出された湯へそっと指先を触れた。


「お湯まで出るのですね。これなら、お風呂の支度もすぐに済みそうです」


「ああ。温度はここで変えられるから、熱かったら下げてくれ。湯船にも入りたければ、こっちから溜められるよ」


「ご主人様は、毎日こちらへ入られるのですか?」


「いや、シャワーだけの日が多いかな。風呂掃除して、お湯を溜めてっていうのが面倒でさ」


 エリーゼは浴槽へ目を向けたあと、もう一度、蛇口から出るお湯を眺めた。


「……お湯を沸かして運ぶ必要がなくても、面倒なのですね」


「そう言われると、何も言えないんだけど」


「では、お掃除は私がしておきますね。せっかくですから、ゆっくりお入りになってください」


 責めるような口調ではなかっただけに、和彦は頭をかくしかなかった。


 トイレでは、水を流すレバーと紙の場所を教えたところまではよかったが、便座の横に並んだボタンを指さされて言葉に詰まった。


「こちらも、お掃除に使うものですか?」


「ああ、いや、それは……体を洗う方で」


「体を、ですか?」


「お湯が出るんだよ。とりあえず、今は使わなくても大丈夫だから。あとで説明するよ」


 エリーゼは不思議そうにしながらも頷き、和彦は便座の蓋を閉めた。説明書が残っているなら、自分も一度読んでおいた方がよさそうだった。


 家の中を案内し終え、リビングへ戻るころには午後六時を過ぎていた。和彦がソファへ腰を下ろすと、エリーゼは壁の時計を見上げ、台所の方へ向き直った。


「そろそろ、お夕食の支度をいたしましょうか。何か召し上がりたいものはございますか?」


「ああ、そうだな。……って、食材がないんだった」


「先ほどの冷蔵庫には見当たりませんでしたけれど、ほかに保管されているものはございますか? お芋や小麦粉でもあれば、何かお作りできると思うのですが」


「いや、ないよ。調味料なら、少しはあったかな」


 エリーゼはしばらく和彦の顔を見ていたが、やがて台所の戸棚へ目を向けた。


「少し、中を確かめてもよろしいでしょうか?」


「いいけど、たぶん何もないぞ」


 和彦も後ろからついていき、一緒に戸棚を覗き込んだ。出てきたのは使いかけの塩と砂糖、醤油、それに買ったことすら忘れていたインスタントスープが数袋。箱に書かれた賞味期限を見て、和彦はそのまま脇へよけた。


「……これも、だいぶ前に切れてるな」


「お塩とお砂糖だけでは、さすがに……」


「だから、エリーゼが来なかったら、今日も普通に出前を頼んでたんだって。明日、買いに行こう。近くにスーパーがあるからさ」


「食材を売っているお店でしょうか?」


「ああ。肉も野菜も売ってるよ。一緒に行って、必要なものを選んでくれればいいから」


「私が選ばせていただいてもよろしいのですか?」


「もちろん。俺が選んでも、何を買えば料理になるのかわからないし」


 エリーゼは戸棚を閉めると、嬉しそうに頷いた。


「では、明日はお任せください。こちらにどんな食材があるのか、楽しみです」


「使い方のわからないものもあるかもしれないぞ」


「そのときは、ご主人様に教えていただきます」


「いや、俺も料理のことは全然……まあ、調べれば何とかなるか」


 和彦はポケットからスマートフォンを取り出し、いつものアプリを開いた。エリーゼも隣へ来て、画面に並ぶ料理の写真を覗き込む。


「何か食べてみたいものはある?」


「どれもおいしそうですけれど、まだよくわかりませんので、お任せしてもよろしいでしょうか?」


「じゃあ、今日は和食にするか。昼はピザだったし」


「わしょく、というお料理なのですか?」


「日本の料理ってことだよ。魚とか、米とか……ああ、この店でいいかな」


 近所の定食屋を選び、焼き魚定食を二人分、注文画面へ加える。その手元を見ていたエリーゼが、遠慮がちに尋ねた。


「その道具から、お店へお願いできるのですよね。お昼も、そうして届けていただいたのでしょうか?」


「そうだよ。料理を選んで注文すると、店に連絡が行くんだ。あとは作って届けてくれるのを待つだけ」


「お店へ行かなくても、こんなにいろいろなお料理を選べるのですね」


「ああ。便利だろ?」


「はい。ご主人様のおうちに食材がない理由も、わかった気がします」


「……これ、俺だけが使ってるわけじゃないからな」


「そうなのですか?」


 エリーゼに真顔で聞き返され、和彦は返事の代わりに注文を確定した。


 夕食が届いたのは、それから四十分ほど経ったころだった。エリーゼがテーブルを空けてくれたので、和彦は袋から料理を取り出し、二人分を向かい合わせに並べていく。


 焼き魚にご飯、味噌汁と漬物。エリーゼはそれぞれの蓋を外しながら、初めて見る料理を一つずつ確かめていた。


「こちらの白いものが、先ほどおっしゃっていたお米ですか?」


「ああ。炊く前はもっと硬いんだけど、水を入れて炊くと、こうなるんだ」


「私の国では、あまり見かけませんね。お魚と一緒にいただくのでしょうか?」


「好きに食べていいよ。……ああ、箸は初めてか」


 エリーゼは和彦の持ち方を真似ようとしていたが、二本の箸が指の間で交差してしまっている。和彦は台所からフォークとスプーンを持ってきて、彼女の前へ置いた。


「今日はこっちを使ってくれ。箸は、そのうち練習すればいいから」


「ありがとうございます。ご主人様は、器用にお使いになるのですね」


「子供のころから使ってるからな。慣れだよ、慣れ」


 エリーゼはまずご飯を少し口へ運び、ゆっくりと噛んだ。それから魚の身をほぐして食べ、もう一度ご飯へスプーンを伸ばす。


「おいしいです。このお魚と、よく合いますね」


「だろ? 骨があるから、そこだけ気をつけてな」


「はい。こちらの汁物もいただいてみますね」


 味噌汁の蓋を開けたエリーゼに具を尋ねられ、和彦は豆腐とワカメについて、知っている範囲で説明した。彼女が頷きながら聞いているのを見て、ふと、今さらのような疑問が浮かんだ。


「そういえばさ、俺たち、普通に話してるよな」


「はい?」


「エリーゼは別の世界から来たんだろ? 日本語なんて、習ったことないよな」


「ありません。ご主人様がお話しされている言葉も、私には普段使っている言葉と同じように聞こえていますけれど……」


 そこまで答えたエリーゼも、ようやく気づいたらしく、手にしていたスプーンを置いた。


「ご主人様には、私の言葉がわかるのですね?」


「ああ。普通に日本語を話してるように聞こえるよ」


「私はアルヴェール王国の言葉を使っているつもりなのですが……。お昼から、何も考えずにお話ししていました」


「俺も、ほかに驚くことが多すぎて、気にしてなかったな」


 和彦は箸を置いてスマートフォンを手に取り、メモアプリを開いた。「こんにちは」と入力してから、エリーゼへ画面を向ける。


「これ、読める?」


「『こんにちは』ですね」


「そっちでも、こういう文字を使ってるのか?」


「いいえ。見たことのない文字ですけれど、何と書かれているのかはわかります」


「……じゃあ、これは?」


 今度は「明日は買い物に行きます」と打ち込んでみると、エリーゼは迷わず読み上げた。文字を一つずつ確かめる様子もなく、和彦が読むのと変わらない。


「さっき、洗濯機のボタンを見てたよな。あれも読めてた?」


「はい。ただ、すすぎや脱水というのが、どの作業なのかわからなかったものですから、ご説明を聞いていました」


「なるほど。読めるのと、使い方がわかるのは別か」


 和彦は棚の引き出しから紙とボールペンを取り出し、空いている場所へ置いた。


「今度は、エリーゼの国の文字を書いてみてくれないか。名前とか、何でもいいから」


「はい。……こちらは、このまま書いてよいのでしょうか?」


 ボールペンを受け取ったエリーゼは、先端と紙を見比べている。和彦が紙の端に線を引いてみせると、彼女は小さく声を漏らし、軸の部分まで眺め直した。


「中にインクが入ってるんだよ。つけ直さなくても書けるから」


「便利ですね。お仕事のときにも使いやすそうです」


 エリーゼは紙へ向き直り、中央にいくつかの文字を記した。曲線の多い、見たこともない形が横に並んでいる。


 和彦は身を乗り出して眺めたが、何度見ても意味は浮かんでこなかった。


「……名前?」


「はい。エリーゼと書きました。ご主人様には、どのように見えるのでしょうか?」


「知らない文字に見えるだけだな。エリーゼって教えてもらわなかったら、何が書いてあるか全然わからない」


「私は、こちらの文字も読めるのですが……」


 エリーゼは自分の名前を指でなぞり、それからスマートフォンの画面へ視線を移した。和彦も二つを見比べながら、椅子の背へ体を預ける。


「言葉はお互いに通じるのに、文字はエリーゼだけか。……異世界に来た方に、何かつくのかな」


「何か、というのは?」


「言葉がわかる能力とか。そういう話、結構あるんだよ」


 エリーゼが顔を上げたので、和彦は慌てて言葉を足した。


「いや、小説とか漫画の話な。別の世界に行った人が、向こうの言葉を知らないのに、最初から普通に話せるんだ」


「私のような人が出てくるお話があるのですか?」


「山ほどあるよ。俺も好きで、昔からよく読んでる」


「では、その人たちは、どうして言葉がわかるようになるのでしょう?」


「神様に能力をもらったり、呼び出す魔法にそういう効果があったり……理由は話によって違うな。説明がないまま、普通に通じてることもあるけど」


 エリーゼは少し考え、目の前の紙へ視線を落とした。


「私も、こちらへ来るときに、何か魔法がかかったのでしょうか」


「その可能性はあるかもしれないけど、俺にはわからないよ。今のは全部、作り話の中でのことだからさ」


「そうですよね……。でも、お話の中では、こちらへ来た人が元の世界へ帰れることもあるのでしょうか?」


「あるよ。帰る方法を探して旅をする話もあるし、呼び出した人に送り返してもらう話もある」


「では、誰かに呼ばれて来ることも?」


「ああ。魔王を倒す勇者として呼ばれるとか、その国を助けてほしいって頼まれるとか。そういうのも、よくある話だな」


 エリーゼは真剣に聞いていたが、やがて自分の手へ目を落とし、困ったように笑った。


「私は剣も使えませんし、魔物と戦うこともできませんから、呼び間違えられていたら申し訳ないですね」


「いや、別にエリーゼがそうだって言ってるわけじゃ……。そもそもこっちには魔王もいないし」


「それでしたら、よかったです」


 ほっとしたように言われ、和彦も笑って箸を持ち直した。魚を一口食べたところで、今度はエリーゼの方から尋ねてくる。


「ほかには、どのようなことが起きるのでしょうか?」


「そうだな。魔法が使えるようになったり、魔物を倒すとレベルが上がったり。エリーゼのところにも、レベルってある?」


「れべる……というのは、何でしょう?」


「ええと、強さを数字で表したもの、かな。敵を倒していくと数字が上がって、力が強くなったり、新しい魔法を覚えたりするんだ」


「戦いながら、魔法を教わるのですか?」


「教わるっていうか、急に使えるようになる感じなんだけど……説明しようとすると難しいな、これ」


 ゲームならいつものことだが、知らない相手に話そうとすると、うまく言葉にできない。和彦が考えていると、エリーゼは小さく首を傾げた。


「私の知る限りでは、そのようなことはありませんね。剣も魔法も、使えるようになるまで練習を重ねるものだと思います」


「そっか。まあ、そうだよな。何でもゲームと同じってわけじゃないか」


 和彦は味噌汁に口をつけ、少し冷めていることに気づいた。エリーゼの食事も途中だったので、先に食べようと促したが、話が気になるらしく、その後も時折、質問が飛んでくる。


 別の世界へ行った人はどこに住むのか。仕事はどうするのか。元の世界の道具を持っていくこともあるのか。


 和彦は思い出せる小説や漫画の話を交えながら答えた。冒険者になって宿代を稼ぐ主人公もいれば、料理を売って暮らす主人公もいると話すと、エリーゼはそちらに興味を示した。


「私も、こちらのお料理を覚えれば、お役に立てそうですね」


「もう掃除してもらってるだけで、十分助かってるよ。料理まで急いで覚えなくてもいいから」


「でも、先ほどのようなお話を伺うと、少し安心します。知らない場所でも、暮らし方を見つけていく方がいるのですね」


「だから、実際にいるわけじゃなくて……」


「はい、お話の中の方なのですよね」


 エリーゼは微笑み、ご飯を一口食べてから続けた。


「それでも、私は今日まで、別の世界があることも考えたことがありませんでした。ご主人様は、こちらへ来た人がどう暮らすかまで、いろいろとご存じなのですね」


「いや、読んでただけなんだけどな」


「それだけたくさんのお話を覚えていらっしゃるのでしょう? ご主人様は博識なのですね」


 和彦は箸を止め、何と答えたものか考えた。勉強のために読んでいたわけでもなければ、人に教えられるような知識を身につけたつもりもない。暇に任せて読んできた小説の話をしただけで、そんなふうに感心されるとは思わなかった。


「……あんまり、当てにされても困るぞ。魔法の使い方を聞かれたって、わからないし」


「はい。でも、またお話を聞かせてください。先ほどの、お料理を売る方のお話も、もう少し伺いたいです」


「ああ、それなら……まず飯を食べ終わってからな。すっかり冷めちゃったし」


「申し訳ありません。つい、いろいろとお聞きしてしまって」


「俺も喋りすぎたよ」


 和彦が残りの魚へ箸を伸ばすと、エリーゼも食事へ戻った。しばらくは食器の触れる音だけが続いたが、向かいに人が座っているせいか、いつもの夕飯ほど静かには感じなかった。


 食べ終えると、エリーゼは空いた容器を重ね、汁物の器をまとめ始めた。和彦も自分の分を寄せながら、壁の時計へ目を向ける。


「明日の買い物、昼くらいでいいかな。俺、いつも午後まで寝てるから、あんまり早くは起きられないと思う」


「かしこまりました。それまでに、お掃除を済ませておきますね」


「今日あれだけやったんだし、そんなに頑張らなくてもいいよ。まだ来たばっかりなんだから」


「ありがとうございます。でも、何もせずに待っているのも落ち着かなくて。お邪魔にならないところから、少しずつさせてください」


「邪魔ってことはないけど……。まあ、疲れたら休んでくれよ」


「はい。では、こちらを片づけてきますね」


 エリーゼが台所へ向かうと、和彦はソファへ移り、テレビのリモコンを手に取った。画面をつけようとして、食卓に置かれたままの紙が目に入る。


 読めない文字で書かれたエリーゼの名前。その横には、ボールペンの使い方を教えたときの、短い線が一本残っていた。


 明日は彼女とスーパーへ行くことになった。普段なら食事のために外へ出るのも面倒だが、エリーゼがどんなものを選ぶのかは少し気になる。あの何も入っていない冷蔵庫の中身も賑やかになるだろうか。


 台所から水の流れる音が聞こえ、和彦はリモコンをテーブルへ戻した。


「……そういえば、財布どこにやったかな」


 いつも注文はスマートフォンで済ませているので、最後に持ち歩いた日も思い出せない。明日、出かける前に探し始めたらエリーゼを待たせることになりそうだと考えた和彦は、彼にしては素早い動きで腰をあげた。


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