異世界から銀髪メイドがやってきた
佐藤和彦が目を覚ましたのは、午後二時を少し回ったころだった。
枕元のスマートフォンで時刻を確認し、大きなあくびをしながらベッドから起き上がる。昨夜は明け方までゲームをしていたので十分に眠ったはずなのだが、どうにも頭がすっきりしない。
「……もう二時か。まあ、別に予定もないし問題ないな」
三十五歳、独身、無職。和彦はこれまで一度も働いたことがなかった。
父親は都内で複数の会社を経営する資産家で、母親も裕福な家庭の出身だった。しかし、和彦が二十代前半のころに両親が相次いで他界し、一人息子だった彼のもとには、多額の遺産が残された。
都内の閑静な住宅街に建つ、庭付きの一戸建てもその一つだ。二階建ての家には六つの部屋があり、広いリビングや独立したダイニング、書斎まで備わっているものの、今の和彦が使っているのは寝室とリビングくらいで、ほかの部屋はほとんど物置になっている。
両親が健在だったころは家政婦が定期的に訪れ、庭の手入れも専門の業者に任せていた。ところが、一人になった和彦は人が来る時間に合わせて起きるのも、作業のたびに応対するのも面倒になり、そうした契約をすべて打ち切ってしまった。
それから十年以上が経ち、家の中には服や買ったままの品物が溜まり、リビングもソファからテレビまでの一角だけがかろうじて空いている。庭の芝生は伸び放題で、雑草に埋もれた花壇では母親が大切に育てていたバラが細々と枝を伸ばしていた。
もっとも、和彦にとっては、自分が座る場所と寝る場所さえあれば十分だった。銀行口座には一生遊んで暮らしても困らないほどの金があり、働く必要もなければ、生活態度を注意する者もいない。好きな時間に起き、腹が減れば出前を頼み、眠くなったら寝る。そんな毎日を続けるうちに、掃除や洗濯はもちろん、外へ出るために着替えることさえ億劫になっていた。
「腹減ったな……」
寝癖のついた頭をかきながら階段を下り、リビングへ向かう。床に落ちていた服をまたいでソファに腰を下ろすと、スマートフォンで出前のアプリを開いた。
昨日は牛丼だったので、今日はピザにする。いつもの店で注文を済ませ、テレビで動画を流し始めたところで、不意に背後から女性の声が聞こえた。
「あの……失礼します」
「うわっ!」
和彦は思わずソファから腰を浮かせ、振り返った。リビングの入り口に、見知らぬ若い女性が立っている。
腰まで届く銀色の髪に、透き通るような白い肌。二十代前半くらいに見えるその女性は、黒いロングワンピースに白いエプロンを重ね、頭にはフリルのついたカチューシャを載せていた。整った顔立ちも相まって、映画に出てくる貴族の屋敷のメイドが、そのまま抜け出してきたようだ。
「だ、誰だ、あんた! どうやって入った!?」
「申し訳ありません。私にも何が起きたのかわからなくて……」
女性は困り果てた様子で頭を下げると、胸元で両手を重ねた。
「私はエリーゼと申します。アルヴェール王国のグランフォード伯爵家で、侍女として働いています」
「……アルヴェール王国?」
「はい。先ほどまで旦那様の書斎をお掃除していたのですが、突然目の前が真っ白になって、気がついたらこちらにいたんです」
聞いたこともない国の名前に、和彦は眉をひそめた。伯爵家の侍女と言われても、何をどう受け止めればいいのかわからない。何かの撮影か、手の込んだいたずらだろうかと部屋を見回したものの、カメラらしいものは見当たらなかった。
「ちょっと待ってくれ。玄関から入ってきたわけじゃないのか?」
「はい。そちらの扉の近くに立っていましたので、誰かいらっしゃらないかと思って、お声をかけたのですが……」
「いや、そんなはずは……」
和彦は彼女の横を通り抜け、玄関まで確かめに行った。ドアには鍵がかかっており、一階の窓も、見た限りでは閉まっている。
リビングへ戻ると、エリーゼは先ほどと同じ場所に立ったまま、不安そうにこちらを見ていた。少なくとも、家主を驚かせて楽しんでいるようには見えない。
「……とりあえず、座ってくれ。立ったままじゃ話もしにくいだろ」
「ありがとうございます。ただ、その……どちらに座ればよろしいでしょうか?」
「ソファがあるだろ?」
「そちらは、お洋服でいっぱいになっていますけれど……」
「ああ、そうだった。ちょっと待っててくれ」
ソファの半分を占領していた洗濯物をまとめ、床へ下ろして場所を空ける。エリーゼの視線が一瞬だけその服を追ったが、何も言わず、空いたところに浅く腰を下ろした。
和彦も少し間を空けて座り、改めて彼女の顔を見る。銀色の髪はかつらには見えず、衣装も、間近で見るとずいぶんしっかりした作りだった。
「それで、本当に突然ここに来たんだな? その、誰かに連れてこられたとかじゃなくて」
「はい。書斎の窓を拭いていたところまでは覚えています。そのあと強い光に包まれて、眩しくて目を閉じたのですが、もう一度開けたら、まったく知らないお部屋に……」
「何か魔法みたいなものを使ったとか?」
「いいえ、私は魔法を使えません。それに、人を別の場所へ移すような魔法は、宮廷魔導師でも扱える方がほとんどいないと聞いています」
何となく口にした魔法という言葉に、当たり前のような答えが返ってきた。
和彦は昔読んだ小説や漫画を思い出した。異世界から誰かがやってくる話はいくらでもあるが、だからといって、目の前の女性までそうだとは限らない。話を信じるにしても、もう少し確かめる必要がある。
「そのアルヴェール王国って、どの辺にあるんだ? 地図を見ればわかるか?」
「自分の国と、その周りくらいでしたら。お見せいただいてもよろしいでしょうか?」
スマートフォンで世界地図を開き、画面を彼女へ向ける。エリーゼは覗き込むなり、不思議そうに顔を近づけた。
「こんな小さな板に地図が……。ずいぶん細かく描かれているんですね」
「小さくて見づらいだろうけど、こうすれば大きくできるから」
和彦が指で画面を広げると、エリーゼは驚いて身を引いた。
「まあ……! 今、絵が動きましたよね?」
「ああ、指で動かせるんだよ。スマートフォンっていうんだけど、見たことないか?」
「はい、初めてです。魔道具とは違うのでしょうか?」
「たぶん、違うと思う。少なくとも、魔法で動いてるわけじゃないな」
エリーゼはまだ何か尋ねたそうだったが、地図の方を思い出したらしく、もう一度画面へ目を落とした。和彦が各地を拡大して見せている間、じっと眺めていたものの、やがて困ったように首を振る。
「申し訳ありません。私の知っている大陸とは、形がまったく違います。王国の西には大きな内海があるのですが、それらしい場所も見当たらなくて……」
「国の名前を調べても出てこないんだよな。伯爵家の名前も、聞いたことがないし」
「こちらは、何という国なのでしょうか?」
「日本だよ。日本の東京。……聞いたことは?」
エリーゼは首を横に振り、膝の上へ視線を落とした。和彦はスマートフォンを置くと、少し迷ってから尋ねた。
「変なことを聞くけど、もしかしたら、あんたがいた場所とは別の世界なのかもしれない。そういうことって、魔法で起きたりするのか?」
「……わかりません。遠い場所へ移る魔法のお話は聞いたことがありますけれど、別の世界というのは……」
「そうだよな。俺だって、小説とかで読んだことがあるだけだし」
テレビでは相変わらず動画が流れていたが、エリーゼがそちらへ目を向けるたびに落ち着かない様子を見せるので、和彦はリモコンを取って電源を切った。急に静かになった部屋で、彼女の小さなため息が聞こえる。
「元の場所に戻る方法も、わからないんだな?」
「はい。どうしてここへ来てしまったのかもわかりませんので、何をすれば戻れるのか、見当もつかなくて……」
エリーゼは膝の上で両手を握り、俯いた。和彦も何と声をかければいいのかわからず、テーブルに置いたスマートフォンへ目をやる。注文したピザは、そろそろ届くころだった。
「……とりあえず、何か食べるか? ちょうど出前を頼んだところなんだけど」
「いえ、そんな。突然お邪魔したうえに、お食事までいただくわけには……」
「一人で食べるには多いくらいだから、気にしなくていいよ。ピザなんだけど、食べたことあるか?」
「ぴざ、というのは初めて聞きました。こちらでは、よく召し上がるものなんですか?」
「ああ、俺はよく頼むな。届けば、どんなものかわかるよ」
エリーゼは遠慮がちに礼を言ったが、その視線はテーブルの上へ向かっていた。弁当の空き容器や飲みかけのペットボトルで埋まり、食べ物を置く場所など、ほとんど残っていない。
「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか。こちらのお部屋は、今、お片づけの途中なのですか?」
「いや、別に。いつもこんな感じだけど」
「……そうなのですね」
エリーゼは言葉を選ぶように少し間を置き、床の洗濯物から和彦へ視線を戻した。
「ほかに、こちらにお住まいの方はいらっしゃらないのでしょうか?」
「ああ、俺一人だよ。結婚してないし、親もずいぶん前に亡くなったから」
「そうでしたか。立ち入ったことを伺ってしまって、申し訳ありません。それでは、お掃除やお洗濯も、ご自分でなさっているんですね」
「一応な。最近は、面倒でほとんどやってないけど」
「お食事も、いつも先ほどおっしゃっていた出前を?」
「それか、近くの店で買ってくるかだな。料理なんて、もう何年もしてないよ」
伯爵家でも、掃除や食事の支度は使用人の仕事だ。けれど、この家には、その役目を担う者が誰もいない。床に物が散らかり、食卓が空の容器で埋まっていても、和彦は困っていないらしい。
エリーゼはテーブルの端に置かれた、いつのものとも知れない弁当の容器を見つめたあと、おそるおそる尋ねた。
「毎日、お仕事でお忙しいのでしょうか?」
「いや、働いてないよ。親が結構な金持ちでさ、残してくれた金があるから、生活には困ってないんだ」
「では、普段はどのようにお過ごしなんですか?」
「ゲームをしたり、動画を見たりかな。あとは寝てる。気が向けば買い物くらいは行くけど」
「……毎日、そのように?」
「まあ、そんな感じだな」
和彦が何でもないことのように答えるので、エリーゼはそれ以上何も言えなくなった。伯爵家の旦那様も暮らしに困るような方ではないが、領地の仕事や来客への応対に追われ、毎日忙しくしている。
ただ、今はよその家の暮らしぶりを気にしている場合ではなかった。自分には帰る方法も、ここを出て向かう先もない。身につけているのは仕事着だけで、買い物に使える金さえ持っていないのだ。
「あの……まだ、お名前を伺っておりませんでしたね」
「ああ、そういえば。佐藤和彦。和彦でいいよ」
「では、和彦様。突然こんなお願いをするのは心苦しいのですが、しばらく、こちらに置いていただくことはできないでしょうか?」
和彦は思わず彼女の顔を見返した。エリーゼは膝の上で両手を握り直し、緊張した面持ちで言葉を続ける。
「元の場所へ戻る方法がわかるまでで構いません。こちらには知り合いもおりませんし、お金も持っていないので、外へ出ても、どこへ行けばいいのかわからなくて……」
「いや、事情はわかるけどさ。今日会ったばかりの人を住まわせるっていうのは、さすがにちょっとなあ」
「……そうですよね。無理なお願いをして、申し訳ありません」
俯きかけたエリーゼは、それでも思い直したように顔を上げた。
「もし置いていただけるのでしたら、お掃除やお洗濯、お料理など、私にできることはいたします。住む場所をお借りする代わりに、こちらのお家の仕事をさせていただけませんか?」
「家事をやってくれるってことか?」
「はい。それが私の仕事ですから。こちらの道具にはわからないものも多いのですが、使い方を教えていただければ、きちんと覚えます。何もせずにお世話になるつもりはありませんので、どうか、少しの間だけでも……」
深々と頭を下げられ、和彦は返事に詰まった。
正直なところ、家事をしてもらえるのはありがたい。部屋も余っているし、一人増えたところで金に困るわけでもなかった。ただ、知らない女性と同じ家で暮らすとなれば、面倒なこともあるだろうし、そもそも彼女の話が本当かどうかも確かめられていない。
「……エリーゼは、俺が怖くないのか?」
「怖い、ですか?」
「ああ。初めて会った男の家に住むなんて、危ないだろ。変なやつだったら、どうするんだよ」
エリーゼは少し驚いた顔をしたあと、和彦を見つめながら考え込んだ。
「不安がないと言えば、嘘になります。でも、和彦様は私を追い出さずに、お話を聞いてくださいましたし、お食事まで分けてくださろうとしています。それに、今も私のことを心配してくださっていますから……」
「いや、別に、そこまで考えて言ったわけじゃないけど」
「それでも、私は少し安心しました。もちろん、ご迷惑でしたら、これ以上はお願いできませんが……」
そこで言葉が途切れ、エリーゼは返事を待つように口を閉じた。
追い出したところで、彼女はどこへ行くのだろう。駅の場所も、金の使い方もわからないはずだ。警察に相談するという手も浮かんだが、伯爵家の侍女だと話す彼女が、どんな扱いを受けるのか、和彦には想像がつかなかった。
「……わかった。とりあえず、しばらくここにいればいいよ」
「本当に、よろしいんですか?」
「ああ。ただ、これからどうするかは、ちゃんと考えよう。帰る方法も調べてみるし、そのうえで、また相談するってことで」
エリーゼは和彦の顔を見つめたまま、ほっと息を吐いた。張り詰めていた肩が下がり、ようやく口元に笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます。お掃除もお洗濯も、きちんといたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「そんなにかしこまらなくていいって。俺も、一人で使うには広すぎると思ってたし」
和彦が照れくさくなって頭をかいたところで、玄関のチャイムが鳴った。エリーゼは驚いて顔を上げたが、彼が立ち上がると、慌てて自分も腰を浮かせる。
「私が出た方がよろしいでしょうか?」
「いや、頼んでた飯が来たんだよ。俺が出るから座っててくれ」
玄関でピザを受け取り、リビングへ戻ると、エリーゼがテーブルの上を片づけていた。空の容器を一か所にまとめ、飲み物の残ったボトルは端へ寄せて、箱を置けるだけの場所を空けている。
「あの、こちらは捨ててしまっても構いませんか?」
「ああ、全部ゴミ。袋は台所の、流しの下にあると思う」
言いながら和彦も台所へ向かい、棚から袋を取り出した。エリーゼがまとめた容器を放り込み、テーブルを拭くものを探していると、彼女が声をかける。
「布をお借りできれば、私が拭きます。お食事は、そのあとでいただきましょう」
「じゃあ、これでいいか? まだ使ってないやつだから」
買い置きの布巾を渡すと、エリーゼは水で濡らして固く絞り、手早くテーブルを拭き始めた。流しの蛇口には少し戸惑っていたものの、和彦が使ってみせると、すぐに同じように扱っている。
ようやく箱を開けると、溶けたチーズの匂いが広がった。エリーゼは丸いピザを珍しそうに眺め、和彦が一切れ取る様子を確かめてから、自分もそっと手を伸ばす。
「温かいうちに食べてくれ。端の方を持てば、そんなに熱くないから」
「ありがとうございます。……まあ、糸が伸びるんですね」
「チーズだよ。服に落とさないように気をつけて」
エリーゼは伸びたチーズに苦戦しながら、小さく一口かじった。少し驚いたように目を開き、口元を手で隠してから、嬉しそうに頷く。
「とてもおいしいです。パンの上に、こんなふうに具を載せるんですね」
「気に入ったならよかった。まだあるから、遠慮しないで食べてくれ」
誰かと向かい合って自宅で食事をするのは、いつ以来だろう。和彦はそんなことを考えながら、二切れ目へ手を伸ばした。テレビは消したままだったが、エリーゼに具の名前を尋ねられたり、食べ方を教えたりしているうちに、箱の中はいつの間にか空になっていた。
食事を終えると、和彦は寝る場所を決めるため、エリーゼを二階へ案内した。
廊下の奥にある六畳ほどの部屋は、以前、客間として使っていた場所だ。古い家具や段ボールがいくつか置かれているものの、ほかの部屋に比べれば荷物は少なく、ベッドも残っている。
「ここなら、ちょっと片づければ使えると思う。ずっと閉めっぱなしだったから、埃はあるだろうけど」
「こちらを、一人で使わせていただけるんですか?」
「ああ。置いてある荷物も、別の部屋に移せばいいし、好きに使ってくれればいいよ」
エリーゼは部屋へ入り、窓やベッドを見回してから、和彦へ向き直った。
「ありがとうございます。こんなお部屋まで用意していただいて……。その、こちらに置いていただく間は、ご主人様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「俺を? 別に、さっきみたいに名前でいいけど」
「住まわせていただく代わりに、お世話をするお約束ですから。その方が、私も落ち着きますので」
「……まあ、呼びやすいなら、それでいいよ」
「はい。それでは、よろしくお願いいたしますね、ご主人様」
改めて頭を下げられると、和彦は妙に落ち着かなくなった。メイド姿の女性にそんなふうに呼ばれる日が来るとは、朝――いや、つい先ほど起きたときには、思ってもいなかった。
エリーゼはさっそく窓へ向かったが、鍵のところに手をかけたまま動かなくなる。少し調べたあと、困ったように和彦を振り返った。
「ご主人様、こちらの窓は、どうやって開けるのでしょうか。まず、この金具を動かすのだと思うのですが……」
「ああ、それで合ってる。ここを回して、窓を横に引けば開くんだよ」
和彦が実際に開けてみせると、エリーゼも隣の窓で同じように試した。開いた隙間から風が入り、こもっていた部屋の空気が流れ始める。
「ありがとうございます。私のいたところでは、外へ押し開く窓が多かったので、少し迷ってしまいました」
「ほかにもわからないことがあったら聞いてくれ。家の中だけでも、いろいろ違うだろうし」
「はい。勝手に触って壊してしまわないように、気をつけますね」
掃除道具を取りに一階へ戻り、和彦は収納の奥から雑巾とバケツを引っ張り出した。掃除機もあったが、床にはまだ荷物が残っているので、まずはそれをどかす方が先だろう。
エリーゼは受け取った雑巾で家具の埃を拭き、残しておくものと移してよいものを、その都度和彦に確かめていく。家具の上が綺麗になるだけでも、長く使っていなかった部屋が、少しずつ人の住める場所に見えてきた。
「……さすが、本職は違うな」
「ありがとうございます。ただ、寝具もしばらく使っていないようですので、替えのシーツがあれば、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、あると思う。ちょっと待っててくれ」
そう答えて廊下の収納棚へ向かったものの、和彦は扉を開けたところで手を止めた。タオルなら見えるが、シーツはどこだっただろうか。
上の棚を覗き、下の引き出しを開け、結局、隣の棚まで探したところで、ようやく袋に入った一式が見つかった。
「……あったよ。これ、使ってないやつだから」
「ありがとうございます。見つからなければ、今あるものを洗おうかと思っていました」
「いや、ちょっと場所を忘れてただけだよ。普段、こっちの棚は開けないからさ」
エリーゼは小さく微笑み、受け取ったシーツをベッドの上へ置いた。それから足元の段ボールへ目を向け、運び出すために雑巾をバケツの縁へかける。
和彦は入り口に立ったまま、その様子を見ていた。彼女が箱を動かそうとしているのに、横を通ってリビングへ戻るのも、何となく気が引ける。
「……それ、俺が運ぼうか。隣の部屋に置けばいいんだろ?」
「よろしいんですか? 少し重そうですけれど」
「そのくらいはできるよ。どのみち、俺の荷物なんだし」
段ボールを持ち上げると、予想していたよりも重く、和彦は思わず息を詰めた。中には古い本が詰まっているらしい。何とか持ち直して隣の部屋まで運んだものの、床へ下ろしたころには、腕がだるくなっていた。
戻ってくると、エリーゼが次の箱を入り口まで寄せている。先ほどのものより小さいことを確かめ、和彦はそちらにも手をかけた。
「ご主人様、重いようでしたら、二人で運びましょう。無理をなさって、腰を痛めてしまってはいけませんから」
「ああ、大丈夫。……ちょっと運動不足なだけだよ」
「では、こちら側を私が持ちますね。その方が、廊下の角も曲がりやすいと思いますので」
結局、二つ目の箱は二人で運ぶことになった。エリーゼの歩幅に合わせて廊下を進みながら、和彦は、誰かと声をかけ合って作業をするのも久しぶりだと気づく。
荷物を下ろして部屋へ戻ると、窓から入る風が、銀色の髪をふわりと揺らした。床が見えるようになった部屋を眺め、エリーゼは満足そうに頷く。
「これでお掃除もしやすくなりました。お手伝いくださって、ありがとうございます」
「いや、運んだだけだし。あとは掃除機をかければいいのか?」
「そちらも、お掃除に使う道具なんですね。よろしければ、使い方を教えていただけますか?」
「ああ、じゃあ持ってくるよ。音はちょっとうるさいけど、床の埃を吸ってくれるんだ」
和彦は廊下へ出ると、一階へ向かって階段を下り始めた。少し前までなら腹が膨れたあとはソファに寝転がり、そのまま夕方まで動画でも眺めていただろう。
二階から、ほかの荷物を動かしてもよいかと尋ねる声が聞こえる。和彦は階段の途中で足を止め、「今戻るから、ちょっと待っててくれ」と返事をしてから、掃除機の置いてある収納へ向かった。
こうして、異世界からやってきたメイドと、三十五歳の無職男による共同生活が始まった。




