第四十一話 娘の部屋はひとつじゃない
冬鈴令の施行前説明会は、王都広場で開かれた。
王宮の中ではなく、広場。
マリア第一王女の判断だった。冬鈴令は王族や貴族だけのものではない。パン屋の二階、洗濯屋の奥部屋、北境の避難所、王宮の子ども部屋、すべてに関わるものだからだ。
広場には、小さな展示が並んだ。
星の部屋の木札。
丸パンの部屋の食事記録。
白い机の部屋の失敗報告。
選べる保温布。
凍った靴。
重い毛布。
子ども向け冬鈴令の冊子。
リュシーは冊子を見て、少し照れた。
表紙には冬鈴草と、名前を書く欄がある。中には、彼女の言葉を元にした文章が入っていた。
『部屋を変える時、大人はあなたに説明します』
『嫌だと言ってもいいです』
『誰かを迎えたい時も、大人と一緒に安全を考えます』
エルミーヌ公爵夫人は、後援会の席で冊子を配っていた。
以前の彼女なら、そんな仕事を自分ではしなかっただろう。だが今日は、子ども一人一人に「自分の印を描いてね」と説明している。
ギルベルトは父親代表の席ではなく、木札作りの机で手伝っていた。
兎の木彫りはまだ下手だが、木札に紐を通すのは上達した。
リリアの修道療養院からは、白い保温布が届いた。名は出していない。ただ、布の扱い方の説明書が添えられている。
カミーユの姿はない。
だが、改訂された標準記録票には、彼の旧様式を赤く直した跡が残っていた。過ちは消えない。けれど、赤線の上に新しい欄ができた。
広場の中央で、マリア第一王女が宣言した。
「冬鈴令は、冬季療養児の部屋を守るための規則です。これは、母親だけに責任を負わせるものでも、国が全てを奪うものでもありません。子どもの名前を聞き、体を見て、嫌だという言葉を記録し、必要な支援を届けるための始まりです」
拍手が起きた。
その拍手の中で、リュシーは私の手を握っていた。
「おかあさま」
「なあに」
「リュシーのへや、どこ?」
「今は冬鈴館にあるわ」
「星の部屋も、へや?」
「ええ」
「丸パンも?」
「ええ」
「王宮も?」
「フィリップが安心して眠れるなら」
「北も?」
「北にも」
リュシーは空を見上げた。
「へや、いっぱい」
「そうね」
「でも、リュシーのへや、ある?」
「あるわ」
私は娘の手を握り返した。
「あなたの部屋が守られたから、他の部屋を考えられるようになったの」
リュシーは少し考えた。
「じゃあ、リュシーのへや、ひとつ。でも、へや、いっぱい」
「その通りね」
広場の端では、ユーリが北境の子ども向けに靴の乾かし方を説明していた。九歳の少年が、真面目な顔で大人に言っている。
「濡れたら大丈夫と言わない。すぐ言う」
大人たちは苦笑しながらも聞いていた。
ニコは星の札を見せ、ミーシャは丸パンを食べている。クララは母親の腕の中で眠っている。
どの子も、物語の飾りではない。
それぞれに部屋がある。
説明会の最後、リュシーは冊子の自分の欄に印を描いた。
冬鈴草。
その横に、少し迷ってから小さな兎も描いた。
「うさぎ?」
「おとうさま、れんしゅうしてるから」
私は笑った。
娘の世界には、過去の痛みも、今の練習も、一緒に置かれている。
すべてを綺麗に片づけなくても、部屋は温かくできる。
それを、私はこの冬に学んだ。
説明会の終わりに、一人の母親が私のところへ来た。
腕には二歳ほどの男の子を抱いている。子どもは眠っていたが、眉間に皺が寄っていた。
「うちには、冬鈴館へ通うお金も時間もありません。それでも、この冊子を使っていいのですか」
「もちろんです」
「立派な部屋ではないんです。隙間風もあります」
「立派でなくても、できることから始められます。寝る場所の名前、足元の冷え、毛布の重さ、食べられるもの。まず一つ記録してください」
母親は冊子を胸に抱いた。
「名前なら、書けます」
「そこからで十分です」
彼女が去った後、私は広場を見渡した。
冬鈴令は、完璧な施設だけのものではない。
隙間風のある家で、母親が子どもの名前を書くことからも始まる。
娘の部屋はひとつ。
でも、その考え方は、貧しい家の小さな寝床にも届かなければ意味がない。
広場の片隅で、セドリック兄様が冊子の配布数を数えていた。
「足りない」
「何部刷ったの?」
「十分だと思った数だ」
「兄様の十分は、時々少ないわ」
「お前の必要は、時々多すぎる」
そう言い合いながら、兄は追加印刷の手配をした。
冬鈴令は、私たちが思ったより多くの手に渡ろうとしている。
それは喜ばしいことだが、同時に怖いことでもある。
広がれば、誤解も生まれる。形式だけ真似て、子どもの声を聞かない場所も出るかもしれない。
だからこそ、冊子の最後にこう入れた。
『この紙を持っているだけでは、部屋は温まりません。子どもに聞いてください』
説明会の終わり、広場の片隅で一人の母親が私に声をかけた。
「うちの子は、貴族でも病弱で有名な子でもありません。それでも、名前札を作っていいのでしょうか」
「もちろんです」
「部屋と呼べるほど立派な場所ではなくても?」
「寝る場所があり、その子の名前があり、寒いと言えるなら、始められます」
母親は涙ぐみながら頷いた。
その問いに答えた時、私は改めて理解した。冬鈴令は立派な部屋を持つ人だけの制度ではない。立派ではない場所を、少しでも子どもの場所へ近づけるためのものなのだ。




