第二十四話 王都の吹雪
移管令まであと二日という夜、王都に吹雪が来た。
北境ほどではない。
けれど、王都の人々は雪に慣れていない。石畳は滑り、馬車は遅れ、古い家の窓から冷気が入り込む。夜半には、冬鈴館と三つの分散部屋に次々と知らせが届いた。
パン屋の二階で休んでいたミーシャが咳を始めた。
教会の星の部屋では、ニコの寝台近くの窓枠が凍り、冷気が下りてきた。
洗濯屋の乾燥室では、湿度が下がりすぎてユーリの喉が痛み出した。
そして、王立療養院東棟からも、密かに助けを求める使者が来た。
「東棟の一部暖房が止まりました」
若い看護師は雪まみれだった。
「正式な応援要請ではありません。ですが、子どもたちが寒がっています。上司は中央魔石炉の再起動を待てと言っています。でも、待てません」
私は一瞬、目を閉じた。
王立療養院は敵側の施設だ。
だが、そこにいる子どもは敵ではない。
「保温布を持っていきます。医師も一人。記録係も」
アルノルトがすぐに言った。
「私が護衛します」
「あなたは冬鈴館の総指揮を」
「いいえ。王立療養院へ向かう道が危険です。私が行きます」
「では私も」
「ノエリア様」
「王立療養院の子どもたちの状態を見ます。冬鈴館側はハンナとミレーヌに任せます」
ハンナは頷いた。
「お任せください。リュシー様は私が」
リュシーは寝巻きの上に外套を羽織り、廊下に立っていた。
「おかあさま、いく?」
「王立療養院の子どもたちが寒いの。保温布を届けてくる」
「リュシーも」
「行けません」
娘は口を結んだ。
泣きそうだったが、泣かなかった。
「じゃあ、これ」
彼女は自分の棚から、予備の保温布を一枚出した。
冬鈴草の刺繍が入っている。お気に入りの布だ。
「本当にいい?」
「リュシー、えらんだ。とられてない」
私は布を受け取った。
「必ず届けるわ」
王立療養院への道は、白く荒れていた。
馬車は途中で進めなくなり、最後は徒歩で向かった。アルノルトが前を歩き、私は保温布の包みを抱えた。若い医師と看護師が続く。
東棟に入ると、廊下の空気が冷えていた。
中央魔石炉は止まってはいない。だが、吹雪で煙道の一部が詰まり、熱が奥の部屋へ届いていない。見本室はまだ暖かい。問題は、見えにくい奥の病室だった。
エマがいた。
人形を抱き、唇を青くしている。
「ノエリアさま」
「遅くなってごめんなさい」
私はすぐに足元の冷えを逃がし、リュシーの保温布をエマの肩へかけた。
エマは布の刺繍を見た。
「花?」
「冬鈴草。寒い時にも咲く花よ」
「だれの?」
「リュシーが選んでくれた布」
エマは布を握った。
「ありがとう、っていう」
「伝えるわ」
廊下では、王立療養院の職員たちが戸惑っていた。冬鈴館の者に助けられることを恥じる者もいれば、ほっとした顔をする者もいる。
私は恥を責めなかった。
今は子どもの足を温める方が先だ。
保温布を配り、寝台を壁から離し、窓の結露を拭き、重すぎる毛布を外す。若い看護師たちはすぐに動きを覚えた。
「標準手順にありません」
年配の職員が言った。
「では、緊急手順にしてください」
アルノルトの声は低く、逆らいにくかった。
夜明け前、東棟の子どもたちの体温は安定した。
大きな事故はなかった。
私は壁にもたれ、ようやく息をついた。
その時、カミーユ補佐が現れた。
髪が乱れ、眼鏡に曇りがある。彼も夜通し動いていたらしい。
「なぜ、ここに」
「助けを求める使者が来ました」
「正式な要請ではない」
「子どもが寒いという要請でした」
彼は何か言いかけ、やめた。
病室の中で、エマがリュシーの布に包まれて眠っている。
その光景を、彼は見た。
私は記録係に言った。
「東棟支援記録に書いてください。王立標準設備は吹雪時、奥病室で熱不足。冬鈴館保温布と個別調整により、児童の体温安定」
カミーユ補佐の顔が苦くなった。
「それを利用するのですか」
「記録します」
「あなたはいつも記録する」
「子どもの冷えを、なかったことにしないためです」
彼は黙った。
外では、吹雪が少しずつ弱まっていた。
冬は待たない。
けれど、待てない時に助け合える仕組みなら、作れるかもしれない。
冬鈴館へ戻った時、夜はすでに明けていた。
玄関で待っていたリュシーは、私を見るなり駆け寄ろうとして、ハンナに止められた。床が濡れていたからだ。
「おかあさま、布、届いた?」
「届いたわ。エマが使った」
「エマ、あったかい?」
「ええ。ありがとうと言っていた」
リュシーはほっとした顔をした。
けれど、次の瞬間には不安そうに自分の棚を見た。お気に入りの布が一枚ない。その空白を、娘は確かめている。
「さみしい?」
私が聞くと、リュシーは少し考えた。
「ちょっと。でも、リュシー、えらんだ」
「新しい布を一緒に選びましょう」
「おなじじゃなくていい」
娘はそう言った。
誰かに渡したものの空白を、同じ物で埋めなくてもいい。
選んで渡した記憶も、その棚に残るのだと、リュシーはもう知っていた。




