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第二十三話 失敗した三番目の部屋

 白い机の部屋で問題が起きたのは、宿泊実証の二日目の夜だった。


 対象はユーリ。


 北境から来た九歳の少年は、足先の凍傷が軽く、日中は元気そうに見えていた。本人も「大丈夫です」と言う癖が強い。そのため、医師会の旧診察室で短期観察を行うことになった。


 部屋は暖かかった。


 温度記録も標準範囲内。


 毛布は軽いものを選び、靴下も乾いていた。


 それでも、夜半にユーリの呼吸が浅くなった。


 看護師がすぐに気づき、私が呼ばれた。部屋へ入った瞬間、違和感があった。


 暖かい。


 だが、空気が重い。


 白い机の部屋は元診察室で、密閉性が高い。暖炉を弱くしても、人数が増えると空気がこもる。ユーリは窓を開けたいと言えなかった。寒くなると妹に悪いと思ったのだ。


「ユーリ。苦しい?」


 彼は首を振ろうとした。


 私はその前に言った。


「大丈夫と言う前に、体のことを言って」


 ユーリの目が揺れた。


「……息が、重いです」


 すぐに窓を少し開け、衝立で冷気が直接当たらないようにした。暖炉の熱を布へ移し、足元を保つ。医師が呼吸を確認し、しばらくしてユーリの顔色は戻った。


 大事には至らなかった。


 だが、失敗だった。


 私は台帳に書いた。


『白い机の部屋、夜間換気不十分。暖かさを優先しすぎ、空気の重さを見落とした』


 翌朝、私は全員に報告した。


 成功だけを提出すれば、移管令を止める材料にはなりやすい。けれど、失敗を隠した制度は、王立療養院と同じになる。


「白い机の部屋は、現状のままでは夜間宿泊に使えません」


 会議室が静かになった。


 若い医師が青ざめた顔で立ち上がった。


「私の確認不足です」


「私の確認不足でもあります」


 私は答えた。


「換気と冷えを同時に管理する手順が足りませんでした」


 セドリック兄様が腕を組んだ。


「これを提出すると、不利になる」


「提出します」


「分かっている。言ってみただけだ」


 兄はため息をついた。


「だが、修正案も同時に出せ。失敗して直した記録なら、むしろ強い」


 その通りだった。


 私たちは白い机の部屋を夜間宿泊から外し、日中診察と短時間観察に変更した。夜間は星の部屋と、急遽整えた洗濯屋の乾燥室を改修して使うことにした。


 乾燥室は暖かいが湿度が低い。そこで、湯気を出しすぎない水皿を置き、子どもの喉の状態を記録する。


 完璧な部屋はない。


 だから、完璧だと言い切らないことが大事だ。


 ユーリは朝、私に頭を下げた。


「迷惑をかけました」


「迷惑ではありません。教えてくれたのです」


「ぼく、言えなかった」


「次は、息が重いと言って」


「はい」


 リュシーが横から言った。


「大丈夫、だけ、だめ」


 ユーリは苦笑した。


「リュシー様も、言うんですか」


「いう。おかあさまに、いわれる」


「じゃあ、ぼくも言います」


 子ども同士の約束は、大人の注意より効くことがある。


 その日の午後、カミーユ補佐の部下が実証記録の確認に来た。


 私たちは白い机の部屋の失敗も含めて提出した。


 部下は驚いた。


「不利な記録も出すのですか」


「出します」


「王立移管を止めたいのでは」


「止めたいです。でも、子どもを危険にした記録を隠して止めるなら、意味がありません」


 その部下はしばらく黙り、記録を受け取った。


 夜、アルノルトが私の肩に保温布をかけた。


「悔しいですか」


「はい」


「怖かったですか」


「はい」


「それを記録しますか」


「……いえ。あなたに言ったので、今日はそれで」


 彼は少しだけ微笑んだ。


「それも進歩です」


 私は保温布を握った。


 失敗した部屋を隠さない。


 それが、冷たい制度に勝つための遠回りでも、必要な道だった。




 ユーリの失敗記録を提出した後、彼の母親代わりとして付き添っていた北境の叔母が私に頭を下げた。


「失敗などと書かないでください。受け入れていただいただけで十分です」


「いいえ。十分ではありません」


 私がそう言うと、彼女は驚いた顔をした。


「ユーリが苦しいと言えなかったこと、私たちが気づくのに遅れたこと。それは記録しなければ、次の子も同じ目に遭います」


「でも、冬鈴館が責められます」


「責められるべきところは責められます。その上で直します」


 叔母は涙をこらえた。


「王立の人たちは、失敗を隠します」


「私たちは隠さない場所にしたい」


 その日の夕方、ユーリ本人も記録を読んだ。


『息が重い』という自分の言葉を見て、彼は少し赤くなった。


「これ、みんなに見せるんですか」


「名前を伏せることもできる」


「……名前、出していいです。大丈夫じゃないって言う練習になるなら」


 大丈夫ではないと言う練習。


 それは、白い机の部屋が失敗から得た一番大事な成果だった。



 白い机の部屋の入口には、翌日から新しい札を置いた。


『この部屋は一度失敗しました。だから、直しています』


 医師会の若い医師は最初、そんな札を出すのは恥だと言った。


 ユーリがそれを聞いて、首を振った。


「隠される方が怖いです」


 その一言で、札は残った。


 失敗を隠さない部屋は、完璧な部屋より少し安心できる。少なくとも、苦しいと言った時に紙から消されないと分かるからだ。

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