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第十七話 ギルベルトが頭を下げた日

 冬鈴館の保護者会は、もともと小さな集まりだった。


 食事の時間、薬の飲ませ方、保温布の洗い方、子ども同士の遊び方。母親たちが多いが、父親や祖父母も少しずつ増えている。


 その日、ギルベルトが保護者会で証言することになった。


 彼の希望だった。


 私は最初、迷った。彼が冬鈴館で語ること自体、リュシーの負担になるかもしれない。だが、リュシーは自分で聞きたいと言った。


「おとうさま、おはなし、する?」


「ええ。昔、間違えたことを話すそうよ」


「リュシーのへや?」


「そう」


「リュシー、きく。いやになったら、でる」


「分かった」


 会議室には、いつもより多くの保護者が集まった。


 レーヴェルト侯爵が頭を下げるところを見たいという好奇心もあっただろう。だが、多くの人は、自分たちが今直面している問題と同じ構造を知りたがっていた。


 ギルベルトは壇上に立った。


 彼は派手な礼服ではなく、落ち着いた黒の上着を着ていた。貴族の威圧感を少しでも減らそうとしたのかもしれない。


「私は、かつて娘の療養室を別の者に明け渡すよう命じました」


 最初の一文で、部屋が静まり返った。


「娘の診断書があり、母であるノエリアが日々の記録をつけていたにもかかわらず、私はそれを読まなかった。幼馴染の療養を優先し、娘と母を北翼の寒い部屋へ移そうとしました」


 リュシーは私の膝に手を置いている。


 手は少し硬い。でも、逃げようとはしない。


「私はその時、自分を悪人だとは思っていませんでした。病弱な者を助けているつもりでいた。妻なら支えるべきだ、母なら何とかできるはずだ、子どもは慣れるだろうと考えた」


 彼は一度、息を吸った。


「その考えが、娘の命を危険にさらしました」


 誰かが小さく息を呑んだ。


「今、王立医務局は冬鈴館の移管を求めています。彼らの全てを否定するつもりはありません。国の支援は必要です。ですが、私がかつて使った言葉と似た言葉が、今また使われています。公共のため。効率のため。母親は感情的だから。子どもは慣れるから」


 ギルベルトは深く頭を下げた。


「どうか、その言葉の先にいる子どもの部屋を見てください。私は見ませんでした。だから、今ここで証言します」


 長い沈黙があった。


 やがて、ニコの母親が泣きながら言った。


「うちの夫も、最初は冬鈴館なんて大げさだと言いました。今は、ニコが眠れるなら何でもすると言っています。間違えた父親も、変われますか」


 ギルベルトは顔を上げた。


「変わるには、毎日見なければなりません。私はまだ途中です」


 洗濯屋の夫が腕を組んだ。


「貴族の旦那がそう言うなら、俺も息子の薬帳を読まんとな」


 部屋に小さな笑いが起きた。


 緊張が少しほどける。


 リュシーは私の手を握った。


「おとうさま、いま、みた?」


「ええ。あなたの方も見ていたわ」


「じゃあ、いい」


 その言葉の軽さに、私は逆に胸が詰まった。


 子どもは大人の過去を背負う必要はない。


 けれど、大人が変わろうとする姿を見る権利はある。


 保護者会の後、ギルベルトはリュシーの前に膝をついた。


「聞いてくれてありがとう」


「おとうさま、まちがえた?」


「間違えた」


「いまは?」


「直している途中だ」


「じゃあ、つぎ、とり、もっとじょうず」


 ギルベルトは一瞬固まり、それから苦笑した。


「努力する」


 リュシーは頷き、私の方へ戻ってきた。


 許しではない。


 判決でもない。


 ただ、今日の約束が一つ増えた。


 その夜、保護者会の記録をまとめると、参加者の署名が三十を超えていた。


 父親たちの署名も多い。


 ミレーヌが言った。


「査問で使えます」


「ええ」


「でも、それ以上に、冬鈴館の中が少し変わりました」


 私は会議室を見回した。


 長椅子、丸く削った木札、壁に貼られた子どもたちの言葉。


 ギルベルトが頭を下げたことは、過去を消さない。


 でも、誰かが薬帳を開くきっかけにはなる。


 そのきっかけを、私は証拠台帳とは別の場所に書いた。


『今日、父親が一人、薬帳を読むと言った』


 制度は大きな法令だけで変わるわけではない。


 食卓の前で、寝台の横で、父親が薬帳を開くことからも変わる。




 保護者会の後、父親たちが薬帳の読み方を教えてほしいと集まった。


 最初は照れくさそうだった。咳の回数、薬の時間、食事量、寝る前の機嫌。母親たちが当然のように見てきた項目を、父親たちは一つずつ聞き直した。


「こんなに見るのか」


 洗濯屋の夫が呟くと、隣の母親が答えた。


「見ていたのよ、ずっと」


 その一言に、何人かの父親が黙った。


 責めるためではない。


 でも、知らなかったという言葉だけでは、もう足りない。


 ギルベルトもその輪にいた。彼はリュシーの薬帳を開き、二年前の記録を指でなぞった。読まなかった日々の文字を、今さら読む。


 時間は戻らない。


 けれど、今日読んだ父親は、明日の夜に子どもの咳を聞けるかもしれない。


 その可能性を、私は会議記録に残した。



 その夜、リュシーはギルベルトの木の鳥を手に取った。


「おとうさま、まえ、みなかった。いま、みる」


「そうね」


「リュシーも、みる」


「何を?」


「おとうさま、れんしゅう」


 娘の声に甘さはなかった。期待しすぎてもいない。ただ、見ている。


 見られ続けることは、謝ることより難しい。


 ギルベルトには、その難しさを知ってほしいと思った。

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