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第十六話 医務局長の帳簿

 ギルベルトの古い鍵で開いたレーヴェルト家の文書庫は、埃と革の匂いがした。


 立ち会いは三人。


 私、ミレーヌ、そして王都法院から派遣された記録官。ギルベルト本人は文書庫の入口まで来たが、中へは入らなかった。


「私が入れば、必要なものだけを選んだと言われるだろう」


 彼はそう言って、鍵だけを渡した。


「あなたがそう考えられるようになったのは、良いことです」


「褒められている気がしない」


「褒めています」


 ギルベルトは少し困った顔をした。


 文書庫には、侯爵家の医療契約が何年分も残っていた。リリアの療養に関する紹介状、医師の診断書、保温石の購入記録、南翼療養室の改修相談。


 その中に、カミーユ・ロシュの署名があった。


 当時は医務局の契約審査官。彼は、リリアの療養には南向きの高保温室が必要だとする意見書を出している。問題は、その意見書の日付だった。


 私がリュシーのために南翼療養室を改修し終えた、翌月。


 つまり、彼は新しく整った部屋の存在を知った上で、リリアに使わせることを推奨していた可能性がある。


 ミレーヌが冷静に写しを取った。


「この時点で、リュシー様の診断書も提出されていたはずです」


「あります」


 私は別の束から娘の診断書の控えを見つけた。


 幼児。低温環境で発熱と呼吸困難の危険あり。南翼療養室での継続療養が望ましい。


 二つの書類は、同じ箱に入っていた。


 ロシュ審査官の署名入り意見書。


 リュシーの診断書。


 彼は知らなかったのではない。


 見た上で、優先順位を変えた。


 理由はすぐには分からない。リリアの病状を重く見たのか、ギルベルトの希望を通したのか、誰かから圧力を受けたのか。


 だが、その構造は今と同じだった。


 声の大きい大人の都合が、子どもの部屋を動かす。


 さらに奥の棚から、標準保温毛布の初期契約書が見つかった。


 納入商会は、ロシュ補佐の義弟の商会。


 契約条件には、『王立冬季療養院および関連移管施設における優先納入』とある。冬鈴館が王立移管されれば、保温布工房の布ではなく、この標準毛布が使われることになる。


 ミレーヌが小声で言った。


「利益誘導の疑いは出せます」


「でも、それだけではエルミーヌ公爵夫人は止まりません」


「ええ。彼女は利益では動いていない」


 文書庫の隅で、私は古い帳簿を見つけた。


 革表紙には『冬季療養後援会寄付台帳』とある。


 開くと、エルミーヌ公爵夫人の名が何度も出ていた。莫大な寄付。施設建設費。標準寝具購入費。孤児療養枠。


 彼女は本当に、多くの子どもを助けようとしていた。


 その助け方が、子どもの名前を消すだけで。


「複雑ですね」


 ミレーヌが言った。


「ええ」


 悪人だけなら、どれほど楽だっただろう。


 ロシュ補佐には利益の匂いがある。


 エルミーヌ公爵夫人には、喪失と信念がある。


 医務局の若い担当者には、標準こそ安全だという教育がある。


 そして、子どもたちには寒い足がある。


 どれも同じ台帳には収まらない。


 夕方、文書庫から戻ると、ギルベルトが待っていた。


「必要なものは見つかったか」


「ええ。あなたにとって不利なものも」


「そうだろうな」


「南翼療養室の件で、医務局はリュシーの診断書を見ていました」


 ギルベルトの顔が青ざめた。


「私は……その箱を開けたことがなかった」


「それも記録します」


「分かっている」


 彼はしばらく沈黙した。


「ノエリア。私は父親として、査問で証言する」


「何を?」


「自分が書類を読まず、娘の部屋を奪おうとしたこと。医務局の意見書を、都合よく利用したこと。そして、それが間違いだったこと」


 私は彼を見た。


「あなたの評判は落ちます」


「もう落ちている」


「侯爵家にも影響します」


「娘の部屋を奪った家名を守っても意味がない」


 その言葉は、以前のギルベルトからは想像できなかった。


 許すかどうかは別だ。


 でも、彼が今、父親として立とうとしていることは分かった。


「証言するなら、リュシーのためだけでなく、他の子のためにもしてください」


「そうする」


「そして、証言したことを免罪符にしないでください」


「分かっている」


 彼は深く頷いた。


 その夜、私は証拠台帳に新しい項目を加えた。


『医務局は過去にも、幼児の診断書を見た上で部屋の優先順位を変えた可能性がある』


 過去の冷えが、今の制度へつながっている。


 ならば、過去ごと査問室へ持っていく。




 その晩、私は文書庫で見つけた紙の匂いを思い出していた。


 古い紙は乾いている。けれど、そこに書かれた判断は今も湿った冷気のように残っていた。誰かが読まなかった書類。誰かが都合よく読んだ書類。誰かが箱にしまい、誰かが忘れた書類。


 リュシーの診断書も、その一枚だった。


 私は写しを新しい封筒に入れ直した。端が折れないよう厚紙を添える。


 ハンナがそれを見て言った。


「奥様は、紙にも寝床を作りますね」


「紙が傷むと、証拠が弱くなるもの」


「そういう意味だけではありません」


 私は手を止めた。


 子どもの記録にも、居場所が必要なのかもしれない。


 読まれる場所。


 なくされない場所。


 都合のいい箱に閉じ込められない場所。


 冬鈴館の記録室は、そのためにも作らなければならない。

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