第4話 誓
「___はっ。」
俺は走っていた。
息も絶え絶えになりながら必死に走っていた。
目的地はわからない。
怖い。こわい。
手に残る感触。
何故、何故俺が…?
疑問ばかりで解答を考える余地がない。
喜ぶ二人の少女。
仕事を斡旋した…赤く染まった男。
叫ぶ少女達の声に驚くように、俺は次の瞬間走り出していた。
何で、なんでなんでなんでなんで俺がっ…!!!
人を___?
脳が理解に達した途端、俺は全身の力が抜けると同時に、身体中のものを全て吐き出した。
吐瀉物と共に全部無かったことにならないだろうか、どうかあの男は最初からいなかったことにならないだろうか。
まるで俺が俺自身を拒んでいるかのように治らない嘔吐き。
俺が全て空っぽになったところで後ろからの衝撃を感じ、俺は意識を手放した。
「……イ。…ルイ。」
優しい声に俺は振り向いた。
そこには微笑むリタがいた。
「リ…タ。お前、生きてたのか…?」
ふふっと口に手を当て笑うリタ。
「何言ってんの?ルイ。」
リタの口から漏れ出す赤。
「ルイが殺したんでしょ?」
失った意識を一気に吸い寄せながら目を開いた。
震えの止まらない身体を懸命に落ち着かせようと考える余白すらなかった。
ごめん、ごめんごめんごめんごめん。
リタを失った悲しみと自分への憤りとがぐちゃぐちゃに混ざった嗚咽が漏れる。
「よぉ、目ぇ覚ましたのか。」
静かにでも確かに冷ややかに俺を見下ろす男。
その視線に俺は一気に冷静さを取り戻す。
こいつは…あの時パン屋にいた…。
先程までもがいていた手足が縛られていることにようやく気付く。
「お前、よくも俺のダチをやってくれたなぁ。」
怨恨のような物言いに、俺は湧き上がる感情が静かに沸点を迎えた。
「何言ってんだよ…。お前達だろ?…俺やリタを騙したのは…。」
「お前らの…ただの遊びで…リタは死んだんだぞっ!!!」
後戻りできない悔しさを痛感しながら、激しく射抜くように男を見据えた。
だがそんなものは無意味だった。
俺の身体は男の蹴り出した足で、後ろに吹き飛んだ。
肺の圧迫を感じ酸素を取り戻そうと必死な俺を、男は見下した後、耳元で囁いた。
「…だから何だよ。」
「__ゴミが一つ減っただけだろ。」
高らかに笑った男の声とは裏腹に俺の心は一気に音を無くした。
ゴミだと…?
黒い何かが渦巻く。
モヤがかかって自分の視界が不明瞭になる。
許さない。
お前達も。お前達を見て見ぬ振りをする奴らも…。
絶対に地獄を見せてやる。
小さな高窓から入る細やかな月光が雲に侵食され、始まりを告げた。
翌日以降も同じ事の繰り返しだった。
蹴る。蹴る。腹を、何度も。
反応のない俺に飽きたのか、頻度は目に見えて減っていった。
夜も更けた頃に、俺はいつものように壁に縄を擦り付けていると、カタンッと小さな音と共にひとひらの桜の花びらが舞い落ちた。
音の方向を見上げるとそこには月明かりが似合う切長目の少年がいた。
「…サウール。」
「話は後だ。静かにしてて。」
彼は俺の縄を手際よく解いた後、二人で高窓から飛び出した。
幸い追手は来なかった。
「ありがとう。」
「構わない。皆が心配している。」
お互い最低限の言葉だけを交わし、彼らの棲家へと足を運んだ。
到着するなり様々な方法で安堵を伝えてくれた。
リンとラムダが優しく「おかえり。」という言葉と涙をくれた。
ガディは熱い抱擁で、マナは少し遠いところで今夜の食事を用意しながらもこちらを見て誰よりも暖い笑みをくれた。
その後、マナの用意してくれた食事を皆で囲み、芯はどこまでも変わらない彼女達にどこかホッとした。
どうか、このままでいて欲しい。
「腹は満たされたか?」
食後離れた木の下で空を眺めている俺に声を掛けてくれたのは、ガディとラムダだった。
「あぁ、いつも本当にありがとうな。」
この言葉では伝え切れないであろう気持ちをめいいっぱい込めた。
「そして、すまなかった。俺は皆の状況を何一つ理解していなかったんだ。」
「こんなにも幸せになるべき奴らが、こんなにも報われないなんて。」
俯く俺に、二人は黙って遠くを見つめていた。
少し強い風のせいで、木々達がざわめいていた。
「本当にっ、ルイって不思議だよね。」
「そうだよ。お前、ここきた時俺らの誰よりも汚かったんだぞ?どうやって生きてきたんだよ。」
和やかな空気に視線を落としながら微笑みを返した。
俺は皆のような過酷な環境で生きてはいない。
寧ろ周りの人達がいたからこそ幸せでいられた。
今も昔も。
実際ここにきても俺はずっと皆に助けられている。
きっと俺は今も、彼等のそのどこか大人びた笑顔の裏に隠れているものを知らないままここにいるのだろう。
俺も皆の力になりたい。
皆が寝静まった頃、俺は音を立てないようにそっと体を起こした。
そのまま桜の木に向かい手を合わせる。
リタ。
ありがとう。皆に出会わせてくれて。
ありがとう。俺に見えなかったものを見せてくれて。
ありがとう。ぎゅっと手を握ってくれて。
今夜の夕食の際残しておいた最後のパンをそっと添え、俺は背を向けて歩き出した。
深く静かな森の中、動物達の鳴き声や川のせせらぎを聞きながら進んでいく。
幸せを願うことすら許されない弱者。
それを抑制し続ける者。
その理が当たり前とされる世の中。
黒く染まっていく心に一筋の閃光を突き刺す。
変えてやる。
どんな手を使ってでも。
「___ルイっ…!」
…月の光も届かなくなったあたりで聞き慣れた声がした。
振り返るとそこに最も大切な光が見えた。
「みん…な。な…ぜ。」
月光に照らされ、いるはずの無い彼女らの姿を見て動揺してしまう。
「水クセェな!」
やめてくれ…。
「あんたの考えることがアタシに隠し通せると思った?」
痛い…。
「ルイ、帰ってから暗かったもんね。」
揺らいでしまう…。
「…手を貸す。」
あぁ…。
「…もう誰もいなくなって欲しくないから。」
戻ってしまう…。
喉の奥がひりついて、息がうまく吸えない。
グラグラと崩れ落ちそうな俺の手をそっとマナが取る。
「…みんなでやろう。」
その瞬間、ぽたりと地面に落ちた一滴を境に俺の心は静かに、でも一気に融解していく。
「きっと…みんな、もっと傷つく。」
「うん。」
「俺まだ…何も…持ってない。」
「大丈夫。」
「辛いこと…いっぱいしなくちゃいけない。」
「皆で分けよう。」
マナは握っていた手をより一層しっかりと包み込んでこう言った。
「アタシ達の手で、未来を変えるんだ。」
その手に次々とそれぞれの想いが重なっていく。
この結末を望んでいたのか望んでいなかったのか、振り返っても未だに分からない。
俺の決意は違った形で始まりを告げることとなった。
絶対に皆を守る。
そのためなら、いくらでもこの手を汚してやる。
そう誓った___。




