episode93
女子一同が温泉でキャッキャしていると思われる頃、傷裏は旅館のロビーで1人、思案していた。
(今回の事象によって最終的に引き起こされる事態は、おそらく僕と『タイガ』の一体化……いや、というより修復か。僕が切り離した好奇心やその他諸々の罪深き感情が再び僕の元に集結する。僕が表に駆り出される時間の方が長いのはきっと人格の原点が僕だからということか……)
これは誰かの陰謀や策略ではない。単なる偶発的現象だ。傷裏龍の持つ人格的ネットワーク第三者が介入できるほど浅いものではないのだ。
(でもなんで急に……可能性としては、やっぱり兼六園か。人格分裂の原因であるあの場所……景色や空気が僕に作用して変化を起こした? わけがわからないけど、こうでも理由づけないと思考が追いつかない……)
強引に理屈を作る。
しかし、これが正しいとなると問題が。
(原点である僕に感情が集結するということは……『タイガ』はどうなる?)
自問したが、答えは決まっていた。
消える、ということだろう。
(それは……マズイな)
『タイガ』に消えてほしくない。それは傷裏の心にある純粋な思いだった。
相棒を失いたくない。
だが。
(……どうなんだ?)
淀みない自らの信念が揺らぐ。
自分は本当に、『タイガ』の心配をしているのか、確信が持てない。
『タイガ』は自分の負の権化だ。罪を全て押しつけ、肩代わりさせ、逃げてきた。
おそらく過度の仲間意識に反映されているのは、これの言い訳のためだろう。
欠落した分の感情のしわ寄せではない。傷裏は自らの欠点を放棄し、その穴を埋めて自分を正当化できる依り代を無意識に求めた。
結果、今に至った。仲間を守れば……助けられれば、自分の罪は帳消しになるかもしれないと、短絡的に無意識に考えたのだ。
(…………)
黒崎と会話したことで、気が晴れたと思っていた。
吹っ切ったと思っていた。
だが、物事はそう簡単には進まない。
ご都合主義のフィクションではあるまいし、心の闇は呆気なく消え去るわけではない。
「はぁ……」
ソファに腰を置き、頭を抱えてため息をつく。もうどうすればいいのか全くわからなくなってしまった。
いっそ、悩む感情も捨ててしまえば、これほどの苦悩もせずに済むのだろうか。
いや。
「……僕は馬鹿か」
それでも今までと一緒ではないか。傷裏は無意識にまた、『タイガ』に責任を加担させようとしていた。
やはり傷裏は、傲慢だった。
「なんで僕は……こうもダメなんだ……!」
唇を噛み締め、苛立ちを発散するように足を拳で叩く。
イライラばかりが募る。そしてそんなことしか考えない自分に対してさらにイライラしていく。
どうしようもない。何もできず、何も考えられない。
そんな時。
「……ドラちゃん?」
聞き慣れた声がした。見ると、そこにいたのはやはり柳沢だ。彼女は心配そうに傷裏の顔を覗き込んでいた。
マズイ。直感だった。彼女を不安にさせてはいけない。
判断し、すぐに笑顔を作る。
「やぁ、柳沢さん。風呂上がり? 早いね」
「ちょっと……ドラちゃんと話したいことがあったから、早めに上がった」
「お……僕に話? 何かな?」
まただ。今一瞬だけ、一人称がブレた。こうして彼女と会話している今も、一体化は進行していた。
「……ドラちゃん、さぁ」
どうやら彼女は何かを言いたいらしいのだが、それを言うのは至難の技のようだ。彼女から恐怖に近い感情が垣間見える。
「……今は、どっちなの……?」
「どっち?」
「ドラちゃんか……『タイガ』って子か」
「……え?」
なぜだ。
なぜ彼女が、『タイガ』を知っている。
「……ごめんなさい。ドラちゃんとクロちゃんが話してるの……聞いちゃって……」
(あぁ、なるほど)
やはり彼女にも話しておくべきか。黒崎との会話の中で、傷裏は密かにそう考えていたが、どうやら既に知られていたようだ。
「今の僕がどっちか、って聞かれれば……多分傷裏になるのかな。今のとこ、僕と『タイガ』はリンクが切れた状態だ。自由に出入りはできない」
「そう……なの」
彼女は『タイガ』の存在の有無を聞いた。
だが、これはおそらく前フリ……導入でしかないのだろう。
彼女が真に問いたいことは別にある。
だから聞いてみる。
「怒ってる? 僕が『タイガ』のことを話さずに隠していたこと」
彼女は無言で首を横に振った。
「……怒ってるわけじゃ、ないの。ただ…………怖いの」
「怖い……?」
「ドラちゃんがドラちゃんか……わからなくなった……。何が正しいのか、何が間違ってるのか、自分が見ていたものが……信じられないの」
それは相談というよりは憂さ晴らしに近い言い回しだったかもしれない。
しかし、傷裏はそれを苦とは思わない。
彼女は思いを語ってくれているのだ。それを受け止めないのはまさに傲慢以外の何者でもない。
「でも……それでも、私は思うの。人格が2つといっても元は1人の人間。2人は別人でありながら、同時に同一人物でもある。そういうことなんでしょ?」
弱さを肯定し、その上で告げる。
「私はやっぱり、ドラちゃんが好き」
ハッキリと告げられた。
目を背けず、確固たる意志を持ち。
断言された。
「………………え?」
これは一体、どういうことなのだろうか。
「ドラちゃんの強い所も、優しい所も、少し抜けている所も、そして……弱さも、全部まとめて好き」
なぜ、こうなっているのか。
「自分の想い、ずっとわかんなかった。馬鹿な私じゃクロちゃんみたいに包容できるわけじゃないし、シマちゃんみたいに理解することもできない」
彼女は、何を言っているのか。
「でも、だからこそなの。私は馬鹿だから物事の真相なんてわかんないし、ドラちゃんの背負う覚悟なんてもっとわかんないけど、それでも、一緒に背負いたいと思うの。分かち合いたいと思うの。力になりたいと思うの!」
だって、ありえないじゃないか。
「だから、もしよかったら、私にドラちゃんを支えさせてください」
自分が誰かに好意を持たれるなんて、ありえないじゃないか。
「ドラちゃん、私とつき合ってください!」
頭を下げられた。
純真な想いをそのまま写したようだった。
「……………………なんで……」
信じられない。
ありえない。
「なんで……僕なんだ…………なんで僕なんかを……」
「ドラちゃん、私は本気だよ。冷やかしで言ってるわけじゃない。だからお願いします」
傷裏の心は、疑問で埋め尽くされた。
なぜ自分が。
どうして自分が。
ここで理解する。
傷裏は、過度なまでに自己嫌悪だ。
それもまた重なり、自分が嫌になる。
自己嫌悪の連鎖だ。
「柳沢さん……顔を上げて」
柳沢にそう言い、ソファに座るように促す。
2人でソファに腰掛け、互いは落ち着く。
「ドラちゃん、急かすようで悪いけど、返事を聞きたい。ドラちゃんは私のことをどう思っているのか、それを聞きたい」
「……なんで、僕を…………」
「言ったでしょ。私はドラちゃんの何もかもが好き。理論づけた理由なんてない。私って馬鹿だからさ、もう突っ込むしかないの」
「……いつから」
「どうなんだろうね。1年のどっかかな。最初は遠くの席から顔を眺めてたり、頑張ってあいさつしてみたり、そんなことしてた。そう考えると、今こうして会話して告白できてるのは奇跡ね」
ずっと、想っていてくれた。
それに傷裏は、気づくことができなかった。
彼女を随分と、幽閉してしまっていたのだ。
それはなんという傲慢だろうか。
自己嫌悪。
(……あれ?)
しかし、何か違う。
確かに、傷裏は今、自己嫌悪している。
だがそれ以前に、もっと別の、温かい感情が傷裏を包んでいた。
きっと言葉で表すとしたら、それは喜びだ。
自分を大事に思ってくれていたこと。
特別に思ってくれていたこと。
それが嬉しかった。
どうとも表現できないこの湧き立つ感情。
自然と心が安らぐ。
ここでついに、傷裏は知る。
人は、個人では生きられない。
仲間がいてこそ、生きられる。
個人が仲間を守るのではなく、仲間同士で守り合い、助け合う。
それこそが、最も素晴らしく、最も求むべき人と人との関係性なのだ。
「……ありがとう、柳沢さん」
ならば答えねばならない。
「柳沢さんがいないと、僕は今までやってこれなかったと思う。昨日も、さっきも、そして今も。あなたのおかげだ。だから柳沢がそこまで僕のことを想ってくれたことも、凄い嬉しい」
素直に話せた。
違和感なく、純真に。
嘘偽りなく、話せる。
「だけど、ごめん。僕は君の想いに答えてあげることができない」
嘘偽りがないからこそ、相手を傷つけてしまうこともある。
だけど、伝えるしかないのだ。
そうじゃないと、傷裏は生きる資格を失う。
自分を殺してしまう。
「僕、好きな人がいるんだ。誰よりも好きな人が……いるんだ」
彼女の顔を見ることが辛かった。
でも、見据える。
目を背けてはいけない。
前を向かなければいけない。
黒崎に言われたではないか。
自分の罪を本当の意味で肯定し、理解し、許せるのは自分だけなんだと。
なら肯定しよう。
なら理解しよう。
なら許そう。
「だから、ごめんなさい」
こちらもまた、ハッキリと言った。
気持ちに嘘をついてはいけない。
それは彼女をより傷つけることになる。
彼女は……。
「……そっか」
彼女は、笑っていた。
誰が見てもわかる、やせ我慢だった。
それがとても辛い。
しかし、逃げてはいけない。
彼女は精一杯頑張っているんだ。自分が頑張らずにどうする。
「……ごめんね、ドラちゃん。辛いこと言わせてごめん。振られる方もアレだけど、振る方も辛いよね……うん」
この状況においても、彼女は傷裏のことを気にかけていた。
それを見て、傷裏は思う。
彼女は馬鹿などではない。誰よりも優しく、誰よりも強い。
「そっか……振られちゃったか。うん、わかった。長年の想いもこれで伝えられたし、私は満足よ」
肩が揺れていた。
目が潤んでいた。
声が震えていた。
「……あのね、ドラちゃん。最後に1つ、1つだけ、お願いしていいかな?」
「……何?」
「少しの間……ドラちゃんの体、貸して。それで全部、終わらせるから……」
「……わかった」
返答を聞くと、柳沢は一言お礼を言い、傷裏の胸に顔を預け、両手でその体を抱きしめた。
しばらくの間、彼女は何も言わなかった。
しかし、シャツを通して感じた淡く悲しい水の冷たさ、そしてわずかに聞こえる彼女の嗚咽が、全てを物語っていたのであった。




