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episode90

 何も言えなくなった。

 言葉を失った。

 驚愕。

 その一言だった。



「……どうして……そんな……」

「図星なのね」


 彼女が冗談で言っているようには見えない。

 真剣に、聞いていた。


「なんで…………そう、思うんだ?」

「傷裏君を見ていて思ったの。あなたは、確実に1人じゃないって。……いつもの柔和な傷裏君とは別に、少し目つきが強くて猫背が酷い人格が……その中にはあるって……そう思ったの」


 確かな根拠なんてなかった。

 感覚的に、直感的に、彼女は真相に辿り着いたのだ。


「最初は傷裏君の体調が悪いんだと思ってた。でも途中で気づいたの。もう1人の人格の雰囲気って……アレに似てるってことに」

「アレ?」

「戦闘中……傷裏君のようで傷裏君とは別の、あの他人の感覚に……」


 そういえば、思い出す。傷裏が黒崎と初めてシミュレーションで戦ったあの翌日、黒崎は戦闘中の違和感を指摘していた。


『まるで別人みたい』


 この時点、傷裏は彼女に恐怖心があった。

 洞察力ではなく直感力。

 皆無に等しいヒントから、ゴールまでの糸を辿っていた。

 そして、今回も……。


「ねぇ、傷裏君。本当のことを教えて。あなたは……一体誰なの?」


 どうする。ここで語るか?

 いや、それが得策とは考え難い。これ以上彼女を巻き込むことは、害悪でしかない。

 彼女のためにはならない。


「……だ」


 大丈夫。そう言おうと口を開く。

 が、見てしまった。

 彼女の……黒崎梨々香の真っ直ぐな目を。

 万に一つの曇りなく、純粋で強固な目を。

 意志の強さ。

 それを見てしまった傷裏の心は、揺らいだ。

 彼女を巻き込まないということは、彼女に嘘をつくということは、彼女の意思を無視する行為ともとれる。

 だから……。

 だから……。


「…………わかった、話すよ。ただし、このことは一切他言無用だ。いいな?」


 黒崎は神妙に頷いた。



 回想。

 それは2年前、傷裏が中学3年だった時のことだ。

 その時の傷裏は、普通だった。

 平凡だった。

 凡才で、平坦で、優れた身体能力やバーバリアンの操縦技術など持ち合わせていない普通の男子だった。


『ほら、父さんも母さんも早く!』


 春休みのある日、傷裏龍は家族3人で旅行の最中だった。場所は石川県金沢市、その名所の1つである兼六園。

 その時の傷裏龍は、自らの内側に『タイガ』という別人格を有してはいなかった。

 その時の傷裏龍は、精神的に幼かった。別段何かの病気というわけではなく、単にそういう性格だったというだけだった。

 その時の傷裏龍は、探究心も仲間意識も通常だった。ゆえに、年甲斐に家族旅行というものを楽しんでいた。


『……ん?』


 そんな時、傷裏龍は見つけた。

 橋の中央に何か、黒いアタッシュケースが置かれていた。どうやら電子ロックがかかっているようで、外からは開けられそうにない。


『なんだろこれ……』


 傷裏龍はそれを手に取って見渡してみる。さらに観察してみると、遠隔操作用のワイヤレス受信機も備えつけられていた。以前授業で教師の余談でこの話が出たため、偶然知っていた。


『父さん母さん、これなんだろ?』

『龍、それきっと誰かの落とし物よ。係りの人に届けてあげましょう』

『そうだな、よし龍。一緒に持っていこう』


 父がアタッシュケースを持ち上げた、その時だった。

 覚えているのは、アタッシュケースの隙間から、ピカッと激しい光が放たれたことだ。

 そしてその直後、多量の爆炎が一帯を一瞬にして飲み込んだ。

 反応など、誰もできるわけがなかった。

 これが、のちに言う兼六園焼失事件である。兼六園に仕掛けられたいくつもの時限爆弾が同時に起爆、兼六園を来園者もろとも火の海に変わったのだ。死亡者多数、未だに回収できていない死体も少なくなく、生存者は指を折って数えられる程度だという。

 傷裏龍の両親もまた、死んだ。

 しかし、傷裏龍は生きていた。彼は酷い火傷(やけど)を負ったが、偶然生き延びることに成功した。

 これは誰も知らない話だが、爆発時、傷裏龍の両親の体が偶然壁となり、傷裏龍に致命傷を与えることを防いでいた。不幸中の幸いと言うべきか、まさに奇跡だった。

 両親の死が伝えられると、傷裏龍は1週間塞ぎ込んだ。


『……僕のせいだ』


 悔やんでいた。


『僕があのアタッシュケースに興味を持たなければ、父さんが……母さんが死ぬことはなかった。僕が偶然、爆弾からちょっと離れたせいで、僕が生き残った……』


 これは傷裏龍の責任ではない。

 誰もがそれを理解していた。

 本人以外は。


『僕の好奇心が人を殺した……僕が……僕が……僕が……僕が……』


 それは飛躍した思考だった。

 正常ではなかった。

 しかし、両親の死を目の前で見てしまった傷裏龍の精神は、とっくに正常ではなくなっていた。


『僕のせいで……僕のせいで……僕のせいで……僕のせいで……僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕のせいで僕の……』


 ついに。

 とうとう。

 傷裏龍は自身が許せなく、憎たらしく、腹立たしく。

 限界が、とっくのとうに迎えていた限界が。

 崩壊した。


『僕(ボく)ノせイで』


 自我などあったものではなかった。思考がめちゃくちゃに崩れ、言語能力すら失われた。


『アァアぁあァアァアァアぁアァアァあァアァアァアァアァアぁあァアァアァアぁあァアァアァアァアァアァアぁあァアァアァアァアァアァアァaァアァアァアァアァアァあぁあァアァアァアァアァaァアァアぁアァアァアァあァアァアぁアァアァアぁアァアァアぁあぁアァアぁアァアァアァあァアァアァアァあァアァアァあァアァアァアァアァアァaァアァアァアァアァあぁあァアァアァアァあぁあぁaぁあぁアァあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁアァアァアァアァアァアぁあぁアァアァァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァあぁあァアァアァアァアァアァアァアァアァあぁあぁアァアァアァアぁあァアァ!』


 発狂。

 理由なく、意図なく、意思なく。

 発狂した。

 その時が、傷裏龍にとってターニングポイントだった。

 傷裏龍が拒んだ自らの『好奇心』を排斥するためだけに、傷裏龍は新たな人格を無意識に作り出した。

 それこそが、『タイガ』だった。

 『タイガ』とは、傷裏龍そのものだった。

 それからしばらく経ち、傷裏の精神が安定した頃だ。その頃には既に、傷裏と『タイガ』はある程度のコミュニケーションを完了していた。


『すまないが、傷裏龍という少年は君で合っているか?』


 1人の男が、傷裏の病室にやってきた。髪はボサボサ、薄汚れたツナギを着た中年の男だった。

 そう、この男こそ、市原斗真であった。


『君は、今回の兼六園焼失事件についてどれほど知っている? 数少ない生き残りだからな、聞いておきたかったんだ』

『……いきなり失礼な人ですね。確かに僕は生き残りですが、アタッシュケースが爆発したことしか知りません。それは既にテレビで何度も放送されているはずですが?』


 傷裏は改めて理解する。自分の口調が明らかに変質していることを。

 好奇心が失われ、感情が欠落した傷裏は、昔の傷裏とは確実に変わっていた。


『なるほど、そうだな、すまなかった。では最後に1つ、聞かせてくれ』

『……なんでしょう?』

『君は、今1人かい?』


 ゾワッ。

 悪寒が走った。

 1人。

 客観的に見れば、傷裏は今1人だ。

 しかし、実際は違う。傷裏の中には、もう1つの人格がある。これは2人目と解釈してもいいだろう。


『……調べたんですか?』

『あぁ、調べたよ。数週間前、君は随分激しく暴れたそうじゃないか。その時を境に、君の中にもう1つの人格が生まれたことが確認された』

『……それで? まさか興味本位だけで僕のことを調べたわけじゃないですよね?』

『あぁ、もちろんだ。今日は君に頼みたいことがあったから来たんだ』


 市原は自らのバッグの中からノートPCを取り出し、画面を開く。

 そこに映っていたのは、傷裏の生体データだった。どうやってかは知らないが、採血時のDNAデータを使って数値化しているらしい。


『俺は軍人のような地位にいるんだが、悪いが君のデータを採らせてもらった。……結果わかったんだが、君はバーバリアンの操縦適性が非常に高いんだ。過去類を見ない圧倒的に高い数値、計測不能と出た』


 バーバリアン。傷裏にとってそれは、軍事兵器である人型ロボットであるという程度しか知らなかった。完全に別世界の存在だった。


『これはこちらの勝手な都合なのだが、君には俺の管轄する組織でバーバリアンのパイロットになってもらいたい』

『……は?』


 これはさすがに議題が突飛過ぎる。脈絡がない。


『僕がなんでパイロットなんかやらなくちゃいけないんですか。適性? 知りませんよそんなの』

『ま、普通はそういう反応になるだろうな。だがしかし、パイロットになることは君にとって利益となるはずだ』

『なぜそう言い切れるのですか』

『爆弾犯に復讐ができる』


 言葉が止まった。

 そして、無意識に思案に入った。

 復讐。

 その言葉が、傷裏の精神を容赦なく揺さぶる。


『おい龍、やめとけ。こいつは危険だ。お前を利用したいだけに決まってる』


 『タイガ』からの忠告があった。

 だが、そんなものは傷裏の耳には届かない。

 復讐。

 両親の仇。

 しかし、犯人への恨みとは別の思いも、同時に存在していた。

 罪悪感から逃れたい。

 心を紛らわしたい。

 生きる目的が欲しい。

 誰かのためではない。

 完全な私欲。

 自分を落ち着かせるために。

 だから……。


『わかりました。やります』

『それは良かった。感謝する』

『復讐ができるなら、僕は何年でも、その苦痛に耐えますよ』

『それはいい心がけだが、心配はいらない。君が退院後、早速本社に来てもらい、チューナーという機械を介して君の脳に技術を送り込む。これによって、君はバーバリアンを動かせるようになるし、格闘のイロハも熟知できる』


 その日、傷裏龍は、パイロットになる決意をした。

 退院し、市原から新居を貰い、現在に至る。

 それが傷裏龍の過去。

 『タイガ』の過去。

 人生の分岐点だった。

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