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episode76

 その日、ある男が死んだ。

 男の名はクーシ。力を求めてEUCのとある計画に自ら参加したが、それでも劣等感を払拭することができず、ある女性に憧れを抱くことで自我を保っていた男だ。

 彼は彼女に憧れを抱いてはいたものの、それ以上の感情はなかった。恋慕はおろか、友情を持つこともなかった。

 だから、彼女と敵対したその時、彼に躊躇はなかった。

 だから、彼女の意見を聞くことはなかった。

 だから、彼女の行為に激怒した。

 そんな彼は、彼女の手によって殺された。銃弾を脳天に受けた。


「……………………カハッ! ……ゴッ、ゴホッ……!」


 口から粘ついた血が吐き出された。呼吸を整えるため咳をする。

 彼……クーシは、死んではいなかった。額に受けたはずの弾丸は、体外に排出されており、ダメージによって仰向けの状態から立つことはできないが、かすかに意識があった。


「……そうか、俺は……進化したのか……カハハ、やった……やったぜ……!」


 朦朧(もうろう)とする中で、クーシは確かな喜びと達成感を得る。


「俺は……適応した! 研究所の奴らが想定していなかった進化を遂げた! このまま突っ走ってやる! 誰も届かなかった領域に……」

『それが君の願いか、なんと淀んだものか。これだから、最近の人間は……』


 声がした。

 複数の声が、同時に聞こえた気がした。

 同質の声が、重複した気がした。

 だが、クーシを見下ろすように立っていた人間は1人だけだ。

 その人間に抱いた感情は、『そもそもこいつは人間なのか』ということだ。

 髪は白く、紺のスーツで上下を揃えた若い青年の外観だ。肌もまた白く艶があり、ひ弱な印象を持った。

 だが、これを人間と認知していいのかが不明であり、理解不能だった。

 男はクーシに対して憐れみの目を向ける。


『君は何がしたい? 答えないと、俺に殺されるぞ?』


 クーシにナイフが向けられる。だがそんなもので動じることはない。

 動じず、わずかに動く口で返答する。


「……力を手に入れる。それだけだ。誰も……俺を見下さない、誰も、俺に……逆らわない。そんな力が…………欲しい」

『なるほど、了承した。なら、私と来い』

「……は?」


 男はその外観に似合わず落ち着いた声だった。もう少し幼さがあってもいいと思うが、どうにも年配者のような雰囲気を感じずにはいられない。


『このままでは、君は色々な勢力から追われることになるだろう。それは君にとって不都合なはずだ。つまり、ここで差し出される蜘蛛の糸は掴むが得策じゃないかね?』

「……俺を匿って、お前になんの得がある? そこをハッキリさせてもらわねぇと、俺はお前を信用することができねぇな」

『ほぉ、意外だな。君は今まで誰かを信用したことがあったのか?』

「……言うじゃねぇか」


 不快だった。この男の一言一句は、クーシの心の底を見透かしたようで、いい気分にはなれなかった。


『理由ならあるぞ。私は君の持つその特異な肉体と知識が欲しい。君に今必要なのは、安全な場所と力だろ? それを提供すると約束しよう。心配はない、約束は守る』

「……面白いじゃねぇか。いいぜ、乗ってやるよ、その契約」


 男が差し出した手を、クーシは不敵な笑みでしながら掴んだ。



 場所、そして時は変わる。

 福岡での一件があった1週間後、傷裏たちは夏休みの登校日ということで学校まで赴いていた。

 傷裏たちの通う技師科クラス。

 そこは、今、戦場と化していた。


「おい、誰か宿題の機体図面案貸してくれ! 10分でコピるから!」

「誰だよ俺の机から数学の宿題持ってったやつ! こっちだってまだ4ページ終わってねぇんだよ!」

「死ぬ! これマジで死ぬ! 宿題残り過ぎて死ぬ! クソッ、こうなりゃ他のクラスのやつ盗んできてやる!」

「もしもしお母さん⁉︎ わたし今日宿題家に忘れたってことにしといてお願い! 頼むから口裏合わせて! ちょっ、電話切らないで!」


 登校日になって直面する事態の1つが、宿題の定期提出である。ちゃんとサボらずに勉強しているかを確認する地獄の時間、ヘルタイムなのだ。


「大変なことになってるね……」


 傷裏と一緒に登校してきた黒崎はその過熱ぶりに思わず一歩退いた。

 退きながらも、その表情は恍惚とした嬉しそうなものだった。

 今まで登校日はおろか学校すらロクに行っていなかった黒崎にとって、これは新鮮なものなのだろうと、傷裏は理解した。別に人の苦しむ様を見て喜ぶS気質ではないと、言い逃れをしながら。


「あ、傷裏! お前ようやく来やがったな! とっとと宿題貸せ! どうせお前のことだから既に終わってんだろ⁉︎」


 傷裏が教室に入るや否や、唐沢が凄い勢いで近づいてきた。


「まぁ……終わってるけど、貸す気はないよ? そこは今までやってこなかった君に責任があるんだから」

「お前冷たいこと言うなよ……俺に恩を売っとけって。絶対儲かるから」

「それ、詐欺の常套句じゃん……」


 涙目になりながら懇願する唐沢をスルーし、傷裏は席につく。


「よぉ、龍。久しぶりだな。今日は一段とうるさいな、このクラス」

「そうだね、青島さん。ていうか1つ聞いていいかな?」

「ん?」


 隣の席で優雅に腰を置く青島に、傷裏は率直な疑問を投げかける。


「青島さん、唐沢君に宿題見せてあげなくていいの?」

「ぶっ⁉︎ ……ゴホッゴホッ……え、なんでアタシがぁ⁉︎ 冬夜にぃ⁉︎」

「青島さん、驚きすぎ。それ全然本音隠せてないから。ていうか声裏返ってるよ?」


 相変わらず唐沢LOVE全開の青島であった。思い切り平常心を失い、驚きのあまり後ろ向きに転倒して椅子から転げ落ち、顔を赤くしながらむせる。


「いや……別にアタシはあいつが……そういうのとか……そういうのじゃなく、て! じゃなく……なくて……」


 次第に声はかすれていった。こんなにテンパりながらも、まだ本心を否定する気のようだ。

 仕方ない、ここは強行手段に出るしかない、傷裏はそう判断し、転倒して尻もちをついたままの青島の耳で小さくささやく。


「ここで助けてあげれば、青島さんの好感度は急上昇すると思うんだけどなー?」


 わざとらしく助言を伝え、傷裏は席についた。

 しばらく青島はその状態のまま硬直していたが、やがてゆっくりと立ち上がり、自身のカバンからプリントの束を取り出す。

 無言のまま、等速運動で、自身の席で悲しみのあまり突っ伏している唐沢の前に立つ。


「な、なぁ……冬夜?」

「…………」


 唐沢は動かない。

 青島は顔を紅潮させ、スカートの端をつまみながら、勇気を振り絞る。


「あの……だな…………もし困っているんだとしたら……アタシの宿題、見せてあげないこともないが……どうする?」


 ガバッと、唐沢が急速に頭を上げる。その目は希望に満ち溢れた目であり、女神を拝むような目だ。


「いい……のか?」

「あ、あぁ。いいぞ、特別に、見せてやらんこともないわけじゃないわけじゃないわけじゃない……ぞ」

(どっちだよ……)


 第三者の傷裏的に見ればそう思えてしまったが、今回はツッコミではなく傍観者に徹する。


「マジか!」


 感激した唐沢は青島の手をグッと握りしめ、その状態で天を仰ぐ。


「あぁ、青島! マジでありがとう! お前は天使だ! 女神だ! 救世主だ! 青島ってこんなに優しかったんだな! 今まで気づいてやれずに悪かった! いやぁ本当に感謝だ! あの傷裏デビル野郎とは大違いだ!」

「おい」


 傍観者である傷裏のツッコミは届かない。


「あ、あ、あの……の、の…………いや、ちょっ……」


 そして青島はというと、まともな言葉を発することもできずに口をパクパクと開閉を繰り返していた。

 これを言ってしまえば傷裏はかなりのゲス野郎になってしまうのだが、人が色恋沙汰で挙動不審になる様は見ていて面白いと思うのであった。

 もちろん、自分のことは棚に上げて、であるが。

 最終的に。


「近いんだバカ!」

「ぐぅぉぅぇえ⁉︎」


 テンパり過ぎてわけがわからなくなった青島の理不尽ラリアットを食らって唐沢は轟沈、そのままHRルームが始まるまで目が覚めることはなかった。

 つまり、宿題を見せてもらうことができなかったのであった。本末転倒であった。




「旅行に行こうよ!」


 放課後のこと。技師科のメンバー5名+アウラの6名は、学校の近くにある小さなカフェでアフタヌーンティーをとっていた。

 そんな時である。柳沢が唐突にそう言った。


「旅行ぉ?」


 訝(いぶか)しげに青島が聞く。その手にはフォークに刺さったショートケーキが。唐沢に買わせたものだ。


「おい織、いきなりなんだ?」

「いやね、夏休みも残り2週間しかないじゃない? でもさ、私たち何もしてないのよ! もっとドラマティックでバイオレンスなことをしたいじゃない!」


 熱弁する柳沢であるが、傷裏と黒崎とアウラという福岡行きを経験した3名からすると、もう旅行もドラマティックもバイオレンスも経験済みであった。満腹であった。


「ねぇ、スーちゃんはどう思う?」

「……どうでもいい、お前らに任せる」


 唐沢に意見を求めた柳沢であったが、その返答は長いものに巻かれる方式のものだった。机に突っ伏したまま動く気配がない。


「じゃあドラちゃん、クロちゃん、それにアーちゃんは?」


 アーちゃんとはアウラの呼び名である。省略し過ぎではないかと思うが、アウラ本人がこれをいたく気に入っているので特に言うことはない。


「僕も任せるよ」

「私も右に同じ」

「…………」

「楽しみ、だそうです」


 アウラ1名だけが乗り気であった。


「じゃ、決定ってことでいいわね? あ、でも学生だけで旅行するのは校則で禁止されてるし、誰か大人連れてこないと」

「そこは戸田さんを連れてくればいいんじゃないかな?」

「あ、だったら室井さんも来れば楽しくなると思うんだけどどうかな?」

「いいね〜、ドラちゃんもクロちゃんも結構乗り気じゃないの〜」


 そういうことで、夏休みの思い出作りの計画が練られることになった。

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