episode75・恋愛と市原
「私たち、つき合うことになりました」
それはなんの脈絡もない事後報告だった。いやそもそも、この類いの報告に事前報告など必要ないのだが。
そんなことより。
つき合う。
それは男女が一定のラインを越えた先に存在する未開拓地であり、対人関係パラメータの『友達』より数段上の上級職である。
とにかく、5W1Hを明確にすることが先決だ。
When、つまり『いつ』か? 福岡から帰ってきた翌日、午後2時だ。
Where、つまり『どこ』か? BP機関の中にあるカフェテリアだ。傷裏やアウラはここをよく癒しのスポットとし、歓談の場としても用いられる。そこにいる一同はカフェテリアの円卓を囲んでいる。
そしてWho、つまり『誰』か?
それは……。
「え、ちょっ、え、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ⁉︎ ちょっっとマジですか、神野さんっっ⁉︎」
「え、え、嘘⁉︎ お2人……いつの間にそうなったんですか、戸田さんっっ⁉︎」
傷裏と黒崎はあまりにも突然で驚愕の事実を知らされたことに驚きを隠せず大声で叫んだ。
そう、Whoの正体は、神野と戸田なのであった。
「いやぁ……なんか成り行きでね。ね、ヒロちゃん?」
「はい。まぁ色々ありまして。ですね、戸田さん」
ここで誰もが驚いていることといえば、戸田が神野のことを課長ではなくヒロちゃんと呼んだことに他ならない。
しかしなぜか、戸田は不満を感じているようで、ふくれっ面+ジト目+上目使いで神野を見つめる。
「もう、ヒロちゃん! 私のことはミーちゃん、もしくは恵実ちゃんって呼んでって言ったじゃない!」
「いや……えっと……やっぱり恥ずかしいというかですね……」
「もう……それじゃ恋人っぽくないじゃない……バカ」
神野が気恥ずかしそうに俯くと、戸田は悲しそうにシュンと拗ねた。
戸田LOVEの神野としては、そんな悲しい表情はしてほしくないという純情感情が湧き立つのだ。
恥を捨て、覚悟を決める。
「わ、わかりました! では恵実さん……ということで……どうでしょうか……?」
覚悟を決めたつもりでいたが、その声はだんだんと小さくか弱くなっていき、最終的には赤面に終わった。
それを見た戸田の頬が緩む。
「……それなら、許すわ」
顔を赤くしながら、そう言った。
ここで1つ、判明したことがある。
戸田は人を軽く弄ることが大好きなミニS系女子であるゆえに今まで気づかれなかったが、逆に弄られるサイドに立った時の対応がまったくできていないのだ。言うなれば、柳沢と同じタイプだ。
(名前で呼び合うだけで親密度が急激に高まってる……。名前の影響力って凄い……)
と、正直どうでもいいことを考えている傷裏であった。
「あのあのあのー、質問いいですか?」
身を乗り出しながら、黒崎が全力で手を振って会話の主導権を奪う。その目はとてもキラキラしており、希望の結晶体と称するが正しいと言えた。
世の中の大抵の女子は恋愛トークというものが大好きと聞いたことがあったが、黒崎もその範疇の内のようだ。
「どっちが告白したんですか?」
「そうねぇ……聞きたいかしら?」
戸田の目がキラッと光った。その時点で理解できた。この話、長くなると。
女子の『こういう系』のトークは長いのがお決まりだ。校長先生の朝礼以上に長くなる。なぜなら『こういう系』のトークは語り手の私情が10割を占めているからだ。ゆえに、話の時間軸はよく飛ぶし、意味のない話が延々と続く。
つまりは、ここは逃げるべきだ。
『俺もその意見には賛成だ。他人の色恋沙汰なんて興味ねぇし』
相棒の同意も得られた。
さぁ、GO!
「待ちなさい」
走り出そうとした直前、頭頂部に強い重圧を受けた。それのせいで、逃げることができない。
重圧の犯人は……もう見る前からわかっていた。
「ねぇ、傷裏。あんたも私の話、ちゃんと聞いていきなさいよ。どうせ今日暇でしょ? 大体3時間は余裕あるわよね?」
「あの……戸田さん……今日これから家に帰って大掃除をする必要が……」
「今じゃなくていいわよね? それに、傷裏の家は私の家でもあるんだから、後でじっくり手伝うわよ」
「うっ……」
詰んだ。チェックだ。
ということで、傷裏は不本意ながら3時間のノロケトークを受けることとなった。
話を聞きながら、傷裏はふと思った。
(そういえば……市原さん、朝から見ないけどどこいったんだろ?)
同時刻、EUCフィンランド領の某研究所にて。
そこを取り仕切る数人の男たちが会議室に集まっていた。
一同の表情は暗い。それもそのはず、彼らが数多の金銭と時間を投じた計画……その根幹を成していたメインシステムが先日、外部からの影響により崩壊した。全て0になったのだ。気が重くならない方がどうかしている。
これは研究所の存亡程度の問題ではない。その計画……Revolutionプログラムの中核を担っていたのは、世界第5位を誇るスーパーコンピュータの『ブリタニア』だ。その機能の大半がレクイエムの破壊によって失われた。これはEUC全体の問題でもある。
「一体どうする気だ! 幸いEUCにはまだ第3位のスーパーコンピュータ『プロイセン』があるが、それでも損失は損失だ! 政府は我々を見限って一切の援助を絶ち、我々の存在すら関知しない! もうどうすることもできない!」
「いやしかし、ブリタニアが破壊されたといっても、まだスペアのデータが残っている。あれを使えば研究は再開でき、政府からの援助も……」
「バカを言うな! あの計画はスパコンの持つ高度演算能力によって進化個体の状態を逐一管理する必要があるんだ。第5位を壊してしまったから第3位を使わせてほしい、なんて言って政府が承認はずがない!」
彼らに安定した未来はなかった。加えて、今までの研究サンプルたる存在だった進化個体はマインドコントロールが切れたためほとんど脱走した。
ほとんど、ということはそうでない者たちがいたということだ。自身の持つ力で祖国を守りたいという者たちがいた。しかし、彼らは政府に引き取られ、相応の待遇で軍属化が認められた。研究所にはもう、何も残っていない。
「あぁ……クソ! あのモルモット共……俺たちが育ててやった恩を忘れやがって……今まで誰が衣食住を提供してやったと思っているんだ!」
『おいおい、その怒りはちょっと筋違いってやつじゃねぇか?』
研究所の所長である男がやり場のない苛立ちを露わにしていると、知らない声が一室に響いた。
知らない声は天井の隅に設置されているマイクからだった。普段は研究所内のアナウンスで使うものだが、何かおかしい。
今この研究所にいる人間は『この部屋にいる人間で全員』のはずなのだから。
知らない声は恐怖に駆られた男たちには我関せずといった様子で、小馬鹿にしたように言う。
『あぁ……マイクテス、テステステース……。てめぇら、元気にやってるか?』
「……貴様、何者だ? 外部からこちらの通信機器をジャックしたみたいだが……」
『お、あんたがそこのリーダーか、この通信が外部からってさかっただけ、てめぇはまだ頭が回る方みたいだな』
「何者だと聞いている!」
『まぁそうカッカしなさんなって。俺は市原斗真。市原……って言えばわかるだろ?』
市原斗真の述べた言葉。
短く単純で難題さなどない自己紹介。
そのはずなのに、男たち……特に所長は言葉を失った。
「い、い……市原…………だと? まさかあの……」
『多分てめぇらが考えている市原で合ってるよ。ちなみに俺はあの家の長男だ。てめぇらが畏怖してるのは俺の親父だろうから、まだ安心だろ』
「なぜ市原が我らに介入する⁉︎ 我らは貴様らに何をした⁉︎貴様らの害悪となることは……」
『てめぇら、昨日一昨日俺の部下に手をかけただろ?』
「なんのことだ! 知らんぞ!」
『しらばっくれてんじゃねぇぞ』
市原斗真の声色が変わった。
おちゃらけた雰囲気は消え去り、圧倒的な怒気が前に出た。
明確な敵意。
『アウラ・アロラ、傷裏龍、黒崎梨々香、戸田恵実、神野博之。計5名は俺がよく知る知人だ。そいつらに危害を加えたのは間違いなくてめぇらだ。市原にケンカを売ったんだ、そのツケは、しっかり払ってもらうぞ?』
「し、知らん! 我々はそんなこと……」
必死の弁明をしながら、所長は男たちにハンドシグナルを送った。その意図は『今すぐデータをかき集めて逃げる準備をしろ』だ。
しかし。
なんの脈絡もなく、地が激しく揺れた。どうやら襲撃を受けたようで、研究所内の警報アラームが鳴り響く。
『てめぇらのことだから、どうせ攻め入られる前に逃走を図ろうとか考えてたんだろうが、そんなこと許すはずねぇだろ』
そこで所長は気づいた。市原斗真の声の背後から、別の音がしているのを。
機械音……というよりはモーター音だ。
そこまでの情報を得た上で、所長はようやく理解した。
「まさか……今貴様がいるのは……」
『ご名答だが、一足遅かったな』
さらに衝撃音がした。まるで巨人が大地に降り立ったような重い音だ。
『俺が今いるのは、てめぇらのいる場所だ』
その翌日、フィンランド領の某施設が一夜にして破壊された、というニュースが報道された。




