episode66・利用と影響
「おめでとう!」
神野は最後のウサギをケージに入れると、戸田から賞賛を受けた。
拍手され、ハイタッチされ。
「いやぁ、頑張った! 君は本当によく頑張りましたね。うん、頑張った頑張った!」
部下を褒める上司のような言い方で、優しさマックスのハグを進呈された。
部下を褒める上司というより、ペットを褒める飼い主かもしれない。
「え、え、えぇ、と、ととっと、と……そので、す、ね、ね、ね、ね……え……」
対する神野は絶賛慌てモードだった。顔どころか全身を紅く染め、視線はあっちこっちへ高速移動、意識は朦朧と、である。
傷裏の場合なら、ここで気絶であろう。しかし、神野の場合は……。
「え、ちょっ、課長大丈夫⁉︎」
「え? ちょっ、やばっ⁉︎」
神野の鼻から、赤い血がスーッと流れた。
神野の場合は外面的に変化が生じる。この鼻血が代表例である。
これで不幸中の幸いなのが、戸田が鼻血の原因を理解できずに本気で心配してくれていることだ。
「ねぇホントに大丈夫⁉︎ どっか打った⁉︎ 今から病院行く⁉︎」
「え、い、いや、だだだ、だい、大丈夫ですはい! いやホントに大丈夫です!」
詰め寄る戸田に退く神野。
「興奮で鼻血ってリアルであるんですね〜」
「そうだねー」
そんな様子を笑顔で傍観する傷裏と黒崎。彼も人のことを言える義理ではなかった。
「…………」
そしてそんなものには興味を持たずケージの中のウサギを楽しそうに眺めているアウラなのであった。
「傷裏君、ちょっといいかね?」
傷裏は兵藤に声をかけられ、一同から離れた位置まで移動する。
「傷裏君、君は何を知った?」
「何を、と申しますと?」
「さっきの赤井へのメールのことだ。俺が君からの要請を受けてメールを送った。これまではいい。だが、そのジャストタイミングで赤井はウサギを確保していた。これは少々いいタイミング過ぎやしないか?」
「そう……ですかね」
傷裏は適当に流そうと考えたが、兵藤はそれを許さない。
「ここからは俺の推測だ。……君は俺がメールを送ったあの時、赤井の近くにいたのではないか? しかし、赤井に直接告げることができない状況だった。例えば、赤井が秘匿している何かを偶然見てしまった、とか」
「…………」
「加え、君は赤井に見つかってはならなかった。隠れていた、と言うが適切か。いち早く赤井と離れようとして、方策を考えた。この時、君か赤井かのどちらかがウサギを確保していたのだろう。だから君は行動した」
兵藤に連絡させるという策を。
「…………」
「どうだい、当たりかい?」
末恐ろしい。
傷裏は冗談抜きで、兵藤に危機感を抱いた。
彼にヒントは与えたか?
ノー。
彼に何か話したか?
ノー。
彼に光景を見せたか?
ノー。
ノーだ。
絶対的に、ノーだ。
だとしたら、兵藤はなぜわかったのか。
きっと理由はない。兵藤はこれを勘の一言で済ませるのだろうが、それで納得できるはずがない。
だが、納得するしかないのだ。
兵藤は皆無に等しい情報から正解に辿り着く。それはまさに常軌を逸する能力だ。これほど敵に回したくない人間はそうはいない。
「いや、別に気にしないでくれ。あくまでこれは推測だ」
「…………」
信じていいのだろうか?
彼を……兵藤を信用して。
赤井の行っていたことは止める必要のある事態だろう。それは誰の目から見ても明白だった。
不思議に思う人もいるだろう。普段の傷裏ならここで介入したりはしない。傷裏は仲間に対しては深く接するが、それ以外の扱いは淡白だ。どうなろうが知ったことではない、というのが今までだ。
だが。
いや、むしろだから。
傷裏たちが最初にこのブレイン社に来た時、赤井が言った一言が今、気になり始めていた。
『君、いい素材の雰囲気を持っていますね』
あの言葉、どういう意味なのか最初はわからなかったが、今ならわかる。要は人体実験のサンプルにちょうどいい、ということだ。
武術において、究極の達人は人の肉体を見るだけでその力の質を見極められるというが、赤井はそれが研究者的視点でそれが可能ことである。加え、傷裏は兵藤を倒したチームの主格である。
つまりは、材料としての株価が急上昇してしまった。このまま赤井を放置しておれば、傷裏自身が危険に晒されることになるのだ。
よって、傷裏は対策を施す必要がある。最悪の場合、傷裏にとどまらず黒崎やアウラも被害に遭う可能性があるのだ。放置はできない。
(だがいいのか? この人と赤井さんがグルという可能性も捨てきれないが……)
兵藤が敵ではないと思いたいが、断言はできない。たった1日2日会った程度の人間を二つ返事で信用できるほど、傷裏は純粋な人間ではない。
だが、傷裏個人ではこの問題は解決しないこともまた事実だ。そしてそれは赤井と設定の濃い人間でなくてはならない。
となれば、頼るしかないのだろう。
「あの……兵藤さん。1つ、聞いていいですか?」
「ん、なんだね?」
「兵藤さんは、この人たちを知っていますか?」
「ん?」
傷裏は携帯のメモ帳で例の人体実験の被験者たちの名前を記して兵藤に見せる。写メをそのまま見せないのは、画像を撮ったという事実を知られないためだ。
「……なぜ君が彼らの名を知っている?」
疑問と恐怖、それに警戒心を孕んで発せられたその言葉には、嘘や誤魔化しといったものは感じられなかった。
「彼らは、あなたの知る人間なのですか?」
「まずこちらの質問に答えてもらいたい」
「……あなたを信用していいんですか?」
「信用できないなら、利用すればいい。俺を利用すればいい。俺は構わんよ、利用されようと」
利用。
その言葉はかなり便利だったりする。他人の力を借りることができ、なおかつ信用する必要がない。
切り捨てられる。
信用できるかどうかは、その最中で見極めればいい。
「……場所を移しましょう。ここでは危険です」
戸田たちの中にいる赤井に目をやりながら、傷裏はそう言った。
「今日、僕は赤井さんの研究室に侵入し、彼らの名前が記載された書類を発見しました」
傷裏と兵藤は、社の屋上にいた。会話が聞き取られることはない。
「……侵入した理由は?」
「あの部屋にウサギが入って行くのを見たので、仕方なく侵入しました」
「なるほど……。で、そこで資料を見たということか。それは行方不明者の捜索リストなのか?」
「行方不明……ですか?」
「あぁ、そうだ。君が教えてくれた彼らは、数ヶ月前から連絡が取れなくなっている、ブレイン社所属のテストパイロット……つまり俺の同僚だ」
そこで傷裏は彼らの名前をネットで検索してみた。結果、全員行方不明者として捜索願が出されていることが表示された。嘘ではないようだ。
「赤井なりに行方不明者を探そうとしていたということか。傷裏君、驚かさないでくれよ。改まって言うものだから何かと思った」
「……多分あれ、行方不明者を探そうなんて考えているものじゃないですよ」
「なんだと?」
ここで傷裏は、写メに保存した例の資料を兵藤に見せる。
しばらく無言でその画像を見ていた兵藤だったが、しばらくしてその顔は驚愕に包まれた。
「なんだ……これはっ」
「見ての通り、人体実験のレポートです。赤井さんは思考操縦システムを作る経緯で、こんなことをしていたんですね」
さて、どう出る?
もし兵藤が赤井と通じているなら、ここで何かしらの対処を講じてくる。例えばこの屋上の物陰に伏兵を潜ませる、など。
だが。
「き、傷裏君……これは、真実、なの、か?」
今の兵藤に平常心はなかった。
平静を乱し。
動揺し。
錯乱した。
「……兵藤さん?」
「だって……おかしいじゃないか。俺は赤井をよく知っている、知っているんだ。相棒と言っても差し支えない。だからわかる、わかるんだ」
頭を掻きむしり、自身の言葉を噛み締めるように呟く。
事実を受け入れるように。
逆に、理解を拒むように。
「確かに赤井は……自身の研究に没頭すると周囲が見えなくなったり、たまに迷惑をかけることもあるが……それでも! ……人体実験などそんな……そんなことが……」
「兵藤さん……落ち着いてください」
「俺が原因か……。俺がパイロットに未練を抱いていたせいで、赤井がこんな……」
「兵藤さん!」
一種の精神異常状態に陥っていた兵藤を、傷裏が両肩を掴んで一喝する。
「あなたは何を悔やんでいるんですか! 赤井さんがどんなことになろうと、それは赤井さんの罪であってあなたの罪ではない、違いますか!」
「しかし……」
「僕はあなたに言われたことがずっと引っかかっていました。『人が人に与える影響』というものが、ずっと。……確かに、人は必ず他者からの影響を受ける存在です。それはいい意味でも、悪い意味でも」
傷裏はこの2日、それをずっと考えていた。
それを踏まえ、傷裏は自らの意思を見つけた。
「でも、結局のところ、核心はその人自身なんですよ。あなたがそこまで自分を卑下する必要なんてどこにもないんですよ」
「……君とは、わかり合えそうにないな」
「でしょうね。価値観が違いますから。ですが、どうします?」
「どうする、とは?」
「僕たちの意思が違うからって、赤井さんの暴挙を止めない理由にはならないと思いませんか?」
「そう……だな」
その1点だけにおいて、2人は同調した。




